お笑い芸人と生活保障受給
メディアで露出度が高い、いわゆる人気お笑い芸人のひとりの、その母が15年近くにわたって生活保護を受給していたことが週刊誌の記事で話題となり、国会議員がそれをとりあげて、当事者の芸人がテレビで記者会見して謝罪するという事態となった。
年収5000万円以上と推定される人気芸人の母が、ごく最近に至るまで生活保護を受給していた。母親が受給を始めた15年ほど前には、芸人という仕事でほとんど収入がなく、後に売れて収入を得るようになってからも収入が不安定で母親を扶養する自信が持てなかったために、母の受給を継続した。ようやく収入が安定してきた5~6年前からは母親に仕送りを始め、今年4月からは、母の意志で生活保護の受給を辞退している。
この騒ぎに関して、宮台真司という社会学者は、議員の行動は「人気取りであると同時に不用意な、というか不必要な問題の拡大」だとし「本質的な議論がなされないで倫理的な批判ばかりが出てくるということになってしまう」、受給は福祉事務所のやりとりによって「当局が許容していたこと」だとし、本来なら批判についてもこの芸人と福祉事務所に半々か、4:6で、6の方が福祉事務所にいかないとおかしいとする。「役所には税金を使って、税金の使い方を最適化した上で福祉を行う責務がある。そのため、役所が最適化の責務を怠っていたことになる」とし、「役所がそれでいいというのなら、『じゃあ母親は生活保護のままでいいや』って思う人が出てくるというのは、もちろん道義的に責めていいけれど、いくらでもあり得ること。行政の適切性という観点で考えれば、そういう人間が必ず出てくるということを想定した上で、枠組みを適正化するべき。それが本質なのに、実名を挙げて特定の個人に批判を集中させた議員の資質には大きな疑念がある」と語り、「問題の本質を見失わせるようなスキャンダラスティックな意見表明をするなと(議員に)警告するべきだ」としている。
またこの件に関して、お笑い芸人の大先輩で大物のひとりであるビートたけし氏は「世の中にはさまざまな仕事があって、好き嫌いを言わなければ、大部分の人間はなんとか職に付けるだろう。一方で、芸人はほとんどが儲からない、収入がきわめて少ない。そういうことは十分わかったうえで、敢えて『好きな仕事』として、芸人という道を選んでいる。だから芸人は、必死にアルバイトをする、他にカネを得る、という努力をしなければならない。そういう自発的な努力は当然だ。」と言っている。
育ててくれた親が自活できないという状況にあるとき、子供としてはなんとかしてその親を扶養することは、法的義務などという問題以前に、当然のことである。そういう親の状況を省みず、「自分の好きなことをしたい」という理由で、収入がない仕事をしている芸人は、ビートたけし氏が言うように、懸命にカネを得るためのアルバイトをして、少しでも親を扶養しようとするのが通常の、あるいは本来の姿である。
今回話題となっている芸人も、親が生活保護を受けていたことを「恥じていた」という。ところが、問題が発覚して、反省したうえで、「母親への援助を始めた5~6年以前からの受給に対して、なんらかの返済を考えたい」としている。これは少しおかしい。
自分の母親が生活保護を受給する、という事態に対して、子として自分が恥じる、反省する、というのであれば、その反省は、自分がその状況下で必要なカネを稼ぐことを優先せず、敢えて自分が「好きな仕事」として収入が期待できない芸人という仕事を選択した、ということに対してでなければならない。自分が「好きな、儲からない仕事」をしたがために母親に生活保護を受給させてしまったことを反省すると言うのであれば、今や芸人として成功を収めたのだから、生活保護を受給した最初の15年前の分から、全額を返済することを提案するのが自然であり当然であろう。現時点でのこの芸人は、ビートたけし氏が言う「さまざまな選択肢があるに関わらず、『自分が好きな仕事』として芸人を選んだ、ということのしっかりした自覚が欠落している。記者会見で、かわいそうなほど反省しているように見えても、本質的なところで、まだわかっていないのである。
宮台真司の批判は、的外れのみならず大きな問題がある。今回の問題について、福祉事務所側の対応・処置に問題があることは事実である。しかし福祉事務所側の問題を含めて、こういう問題を的確・タイムリーに指摘しなければ、いつまで経っても問題は隠れたままであり、解決される機会がない。今回のような露出度の高い関係当事者が発見されたとき、これを契機として問題提起をすることは、議員の立場として当然のことである。とうてい「不必要な、不用意な問題の拡大」ではない。しかも「倫理的な批判ばかりが出てくる」という言い方には、看過できない大きな問題がある。社会福祉に関わる制度は、できるだけ「性善説にもとづき」かつ「やわらかい」法制度によるものであることが望ましい。宮台真司が主張する「そういう人間が必ず出てくるということを想定した上で、枠組みを適正化するべき」と言う思想では、どうしても性悪説にもとづく「かたい」法制度が必要となる。そういう制度では、どうしてもほんとうに救済すべき弱者への対応が洩れがちとなる。当事者・関係者の健全な倫理的態度こそが、社会福祉制度を健全に運用・維持することを担保できるのである。「役所がそれでいいというのなら、『じゃあ母親は生活保護のままでいいや』って思う人が出てくるというのは、もちろん道義的に責めていいけれど、いくらでもあり得ること。」という態度では、どうしても「かたい」法制度にもとづく、弱者への洩れの多い制度とならざるを得ないのであり、「本質的な問題」には、法制度の問題とともに、当事者・関係者の倫理的な態度の重視が必須なのである。こういう問題は、中長期的には教育の問題にも波及するであろう。
問題を抱えた当事者・関係者が他にも多数実在するなかで、たまたま問題を指摘され、メディアに暴露された今回の芸人に対しては、私もその不運を同情する気持ちが少しはあるけれども、これが表に出たおかげで、私は未だに「学者」「識者」と自認する者たちが、とても問題の多い思考をしていることにも気づかされた。そういう意味では、今回の事件は、十分意味があった。









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