談山神社紅葉見物(5)
本殿
木造十三重塔を過ぎて少し東に進んだところに、本殿(旧聖霊院)がある。
大宝元年(701)十三重塔の東に鎌足の木像を安置する祠堂が建立され、聖霊院と号したのが現在の本殿の由来である。
大織冠社や多武峰社とも呼ばれていた。三間社隅木入春日造という珍しい造りである。日光東照宮造営の手本とされたという。幕末の嘉永3年(1850)に造替が行われた。
靴を脱いで建物のなかに入ると、広々とした部屋、高い格子天井、朱色の柱と梁など、非日常的な雰囲気の美しい空間である。すくなくとも室内の内装は、最近手を入れてきれいにしたのかも知れないと思った。
室内には、「多武峰曼荼羅」と名づけられた藤原鎌足・定慧上人・藤原不比等の3人を描いた絵の写しが展示されている。この本物は、権殿に展示があった。
曼荼羅の絵の最上段には三面の神鏡があり、その前に御簾が垂れている。それから両脇に向かって帳(とばり)が降ろされる。藤が絡む松の描かれた衝立を背景として、画面中央に藤原鎌足が少し左方向に顔を向けて座っている。画面の右下には鎌足の長男定慧上人が、画面の左下には鎌足の次男藤原不比等が、それぞれ中央に顔を向けて座っている。定慧上人の手前には鎌を咥える狐が、不比等の手前には矢を咥える狐が控える。
同じく室内展示として「増賀(ぞうが)上人坐像」がある。
木造、玉眼、彩色の増賀上人坐像である。法衣を纏い禅定印を結んで結跏趺坐している。静かに端座する老僧の姿は、端正で静謐な趣に満ち、多武峰で浄行を行った増賀上人の面影を彷彿とさせている。
比叡山で慈恵大師(元三大師)良源に師事して天台教学を学び、応和3年(963)如覚の勧めで多武峰に住んで「摩訶止観」「法華文句」を講じ、「法華玄義鈔」「無限念仏観」などを著した。また、毎年四半期ごとに法華三昧を修した。一方不動供(不動明王を供養する修法)などの修法や法華経読誦を行い、奇瑞を現したという。高い名誉や利権を嫌い、奇行譚を多く残した。即身仏となったと伝わる。
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