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高崎通浩『民族対立の世界地図―アジア/中東篇』中公新書ラクレ

 2002年3月発行の本である。10年以上前にテロ事件が頻発していたころ、少し興味をもって買ったものだと思う。しかしいろいろ取り紛れたのだろう、購入したことも忘れてしまって、こうして歳末の整理の最中に「発見」したのであった。
 中央ユーラシア、インド亜大陸、東南アジア、中国、クルド民族、パレスチナ、などの「民族問題」について概説的に述べている。ここで「民族」をグループ分けするとき、その根拠は従来から一般的にある言語・文化だけでなく、宗教、重要視する習慣・習俗、社会的階層なども含まれる。
とくに、アフガンのパシュトゥーン人の歴史と動き、中国のあまり報道されない少数民族の深刻な問題、いまや世界最大の国を持たない浮遊民族集団となってしまったクルド人問題、そして最近も新たな騒動が生じたイスラエル・パレスチナ問題、など簡潔ではあるが要領よく解説されている。
 国家間の「戦争」が甚大な災禍をもたらすことは誰でもわかっているが、実は「内戦」、「小規模紛争」、さらに「テロリズム」など、すなわちLow intensity warと呼ばれる戦いのほうが実は被害は大きい。戦争あるいは紛争の「責任者」がよくわからない場合が多く、容易に停止できなくなるのである。その原因の多くを占めるのが、この本であつかう民族問題である。
 民族問題の本質や真因は、簡単にわかるものではないが、必ず歴史的背景が深く関与している。そして、当事者にとっては限られた時間、限られた資源、さらに限られた能力で判断を迫られ、行動せざるを得ない。そのうえ関与してくる第三者が、常に善良で無私で妥当な振る舞いをしてくれるわけではない。典型的には、国連という存在がいかに現実に役に立たないものであるか、あてにできないものであるか、この本が述べる事例でもよくわかる。もちろん、だからと言って国連をなくす方がよいとまでは言えないが。
 個々の民族問題に対する評価としては、私はこの著者にすべて首肯するものではなく、賛同できない論点も少なからずある。しかし、傾聴に値することは多い。
 民族問題のような複雑な問題は、メディアに登場する「識者」が弁舌さわやかに話すほどには簡単ではない。そういうことが、この本からも伝わってくる。この本が書かれてから15年以上が経過して、この後ISなどの新しい問題も発生したけれど、述べられていることは現在も生きている。
 私たち自身も、こういった思わず目をそむけたくなる、逃げたり避けたくなるような事態に遭遇する可能性はある。呑気で無責任で浅薄なメディアの報道から、少しでも実のある情報を引きだすための基礎的な知識、すくなくともその素材を与えてくれることで、このような本は意味があるだろう。

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映画『この世界の片隅に』

  好評のアニメーション作品である。NHK朝ドラで一躍注目を浴びた若手女優の「のん」が主役の声優をつとめたことでも話題になった。
  広島で生れたすずは、絵を描くことが好きな他は、ぼんやりのんびりした少女であった。子供のときある橋のうえで人さらいにさらわれるが、そのとき一緒にさらわれたのが後に夫になる少年であったらしい。
  戦争が近づいたある日、すずは軍港があった呉に嫁いでいく。すずが知らない間に、すずを見初めた男がいて、そこへ嫁ぐのであった。呉での新婚生活がはじまるが、出戻りの義姉がいたりして、苦労も多い毎日であった。それでも気に病まない性格にも救われ、夫の家族に溶けこんで行く。そんなごく平凡で穏やかな生活を、徐々に戦争がむしばんでいく。
  私も戦後生まれであり、このすずの時代の生活の実態は知らない。しかし描かれた当時の人びとの日常生活は、とても丁寧に普通の平凡な生活を描いているようで、自然で説得力がある。登場人物は、ひとりも傑出したり、悪者だったり、とりたててなにかの運動をしたりする人はいない。いずれもごくありふれた普通の生活を地味に生きる人たちばかりである。それが、描かれた世界の現実感と説得性をもたらしている。
  とりたてて反戦を訴えるわけではないが、作品全体から戦争の悲しさや理不尽さが伝わってくる。のんの天然さを現すような声も、この映画にぴったりである。静かで淡々とした物語であり、しんみり観るものを引きこむ作品である。

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映画『インフェルノ』

  すでに好評を博した『ダ・ヴィンチ・コード』および『天使と悪魔』の続編であるという。ただ、残念ながら私はそれらを観ていない。
  バートランド・ゾブリストという大富豪でもある遺伝学者が、世界を滅亡させ得る非常に強力な感染型ウィルスを用いて、世界の人口を半分に減らそうという計画をたてた。「過激な方策を以ってしない限り地球の人口爆発に歯止めをかける事はできない」と信じ込んで、彼なりに人類の未来のために決断した、というのである。この企みを実行しようとするグループと、それをなんとか阻止しようとするグループとが、イタリアのフィレンツェとトルコのイスタンブールを舞台に壮絶な戦いを演じる。そしてゾブリストの計画の秘密は、ボッティチェリの絵画「地獄の見取り図(Map of Hell)」に隠されている。
  主人公はハーバード大学で宗教象徴学を専門とする教授ロバート・ラングドンである。彼は、フィレンツェの病院の一室で目を覚ます。彼は傷を負い、世界が灼熱地獄になる悪夢にうなされていた。担当医のシエナ・ブルックスは、彼が頭部に銃撃を受けた負傷が原因で記憶喪失に陥っているのだと告げる。ここへ女殺し屋ヴァエンサが現れ、ロバートはシェナとともに逃走し、事件解明の長い旅がはじまる。
  誰が敵で誰が味方か、ストーリーの展開とともにどんでん返しが繰り返され、登場人物も多く、非常に複雑でこんがらがったストーリーが展開する。
  息をつくひまもないスピード感溢れるサスペンスで、2時間ほどの鑑賞時間が短く感じられる。ストーリーは、さすがに現実離れの感が免れないが、退屈しない、おもしろい内容である。
  主演のトム・ハンクスはもちろん、謎の女医シェナを演じるフェリシティ・ジョーンズも、とても魅力的である。

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宮本正興・松田素二 編『新書アフリカ史』 講談社新書

 かなり以前に東京水道橋の書店街を散策したとき、なにげなく買っておいた本であったが、ふと細切れ空き時間の退屈凌ぎを兼ねて読み始めた。しかし、読み始めるとなかなか興味深い書であった。
 15世紀にはじまり18世紀から本格化した植民地時代より以前のアフリカについては、アフリカ大陸内に自らの書き言葉を持つ原住民が存在しなかつたために、残されたモノに頼って歴史をたどる考古学的方法と、アフリカ以外の史料に頼る方法の2つしか歴史をたどる手段がない。独自文化・独自文明の存在を引き続き解明していくことは、アフリカにとって重要である。かなり古くからアフリカ大陸内に、独自のそれなりに高度な文化・文明が存在したことはたしかなようである。また、はやくからアフリカの人々が、中東・南アジアの人々と独自の外交・通商を営んでいたことも、さらに解明が進められるであろう。ただ、これまでの研究の範囲からも、アフリカ大陸がその地理的条件のために、地域的に細かく分断され、言語も細分化されてその数が非常に多く、ユーラシア大陸よりはるかに多様性が存在した、むしろ多様性に富みすぎてまとまりを欠いたことが、現在に続くマイナスの所与条件となったようである。
 文字による記録、すなわち史料が少ないという意味では、南アジアのインドが似ているのかも知れない。インドも、言語の数が数百にのぼるほどに多すぎることが文字の記録の困難さにつながっているのではないだろうか。インドのように高度の文化・文明を古くより広く認知され、人口も経済力も大きく、他国への影響も大きかった国でさえ、文字に残る古い史料がほとんどないため、歴史的研究がきわめて困難であるようだ。
 アフリカの植民地時代以降はすでにわれわれもある程度情報を取り入れることができたが、この書が主張するように、これまでの情報は西欧先進国的価値観にきわめて偏った情報であったろう。読んでいると、とくにイギリスの巧みで狡猾な効率の良い統治方法に驚く。現地の伝統的統治システムをイギリスの植民地支配に支障のない範囲のみ切り出して、その頭領のみを確実・徹底的に掌握・制御するという方法は、かつての日本が台湾・朝鮮に対して試みた国民的同化政策と比較すると、抜きんでて冷徹・冷酷・過酷でありながら、被統治者から日本ほどには憎まれることもなかったようである。アフリカ大陸は大部分が植民地化されてしまい大変な被害を被ったが、そのこと自体がよくも悪しくも歴史的事実である。
 さきの大戦後を主とするアフリカ諸国の独立後の歴史は、きわめて厳しいものであった。しかしこの書にも述べられているように、植民地化した西欧諸国のみに原因と責任を押し付けても未来が開けるわけではない。「自己責任」を外部から主張することはいささか慎重を要するが、アフリカ諸国内部の当事者自身の認識としては、「自己責任」をしっかり自覚・意識して、自律的な意志・思考・計画・評価を貫徹して、他国からの支援を得るにしても自らの選択と決断で前進する以外に状況を改善する道はないだろう。
 また、ここでも「民主主義」の実現の難しさがよくわかる。議会をつくり、議員を選挙して、王権や首長権のような独裁的権力を廃止したとしても、それだけではまともな「民主主義」とはならない。選挙に立候補する側も、選挙を通じて為政者を選出する側も、真摯に学んで身につけなければならないことがあり、そこまで達するのは容易ではない。
 私にとっては、この書はこれまでほとんど知らなかった事実・史実を教える貴重なものであった。ただ読者の希望としては、日ごろなじみのない用語・人名・地名が多出することもあり、もっと多くのわかりやすい地図と、詳細な索引を添えて欲しかった。

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映画『素晴らしきかな、人生』

  2016年の作品で、ウィル・スミス主演作品である。
  ニューヨークの広告代理店を共同創業者でもある友人3人とともに経営し、大成功を納めていたハワードは、最愛の6歳の娘を難病で失ってからは、仕事にも人生にも意欲を喪失し、会社経営も危機を招いていた。ハワードは、親友である共同経営者3人の話にも、耳を貸さなくなっていた。そんな事態に危機感をもった共同経営者の3人は、偶然見つけた無名俳優3人を雇って、愛・死・時間の3つの「神」を演じてもらい、ハワードに働きかけようとした。その結果、共同経営者の目的とおり会社の株を有力出資者に売却することは達成したが、ハワードにも、共同創業者3人にも新たな転機が訪れた。
  仕事に人に真摯であるとは、誠実であるとは、家族とは、家族やパートナーへの、あるいは子供への愛とは、そして人生とは、そんな問いについての物語である。
  主人公ハワードを演じるウィル・スミス、共同創業者の友人を演じるエドワード・ノートン、ケイト・ウィンスレット、マイケル・ペーニヤの自然な演技がとても良い。ケイト・ウィンスレットは、タイタニックのときの若さ溢れる美貌を過ぎて、すっかり円熟した落ち着いた女優になっていた。ハワードの妻を演じるナオミ・ハリスは、成熟した知的な美貌を発揮している。愛・死の「神」を劇中で演じるキーラ・ナイトレイと老女優ヘレン・ミレンもとても良い味である。1時間半程度の比較的短い映画だが、十分満足できる、見応えある作品であった。

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歳末の墓参

 歳末の快晴の午前に、明石に墓参した。若いころはなにかとせわしなくて、先祖供養にもあまり関心なく、年に1回ほど父母にともなわれて墓参すればよいほうという感じであった。26年前に父が亡くなり、そのときの遺言に、江戸時代からの多数の墓石を整理してひとつにまとめなさい、古くなった仏壇を更新しなさい、とあったけれど、仏壇の更新はなかなか実施する機会がなく、私が離職して母が養護施設に入居したあと、ようやく仏壇を入れ替えた。すると毎朝、自然に仏壇に向かって拝礼をするようになり、さらに2回のお彼岸、夏のお盆、そして歳末と、毎年4回の墓参が定例となった。父の遺言も、思った以上に私の意識を変えたようである。
 墓参のために毎年違う季節に同じところを訪れると、季節の推移とともに明石の町の様子の微妙な変化を特段意識するでもなく観察するようになる。瀬戸内気候のためか、冬も温暖で夏は風が涼しく、とても快適そうな町である。さすがにここ四半世紀ほどの間には随分変わったけれど、長らく古い町並みが残って暖かなノスタルジーに浸ることができるところであった。実際には住んだ経験もないのに、私にとってなんとなく故郷の風情を感じることができる場所なのである。
 しかし今年の夏、菩提寺のすぐ近くにあった古い市場が火災となり、長時間燃え続けて全焼するという事件があった。このたびその現場を訪れたが、工事用のような粗末なフェンスに囲まれた焼け跡は、まだほとんど手付かずの荒廃した悲惨な様子であった。こうしてまた、見覚えのあった景観がひとつなくなった。
 墓の両親に近況を報告して、そのあと近くの別のお寺の墓地に数年前に亡くなった従兄の墓にお参りして、いつものように海岸を散策して、昼食に菊水の寿司を食した。

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「民主主義」と「信頼できる相手」と「外交」

 韓国政府は、一昨年日本と締結したいわゆる慰安婦にかんする日韓合意についてタスクフォースを結成して検証したという結果を、日本政府に提示してきた。
 これについて朝日新聞社説は、合意は尊重されるべきだとする一方で、以下のように述べる。

(社説)日韓合意 順守こそ賢明な外交だ  2017.12.28 朝日新聞電子版
(前略)
 文政権はこの報告(韓国外交省の作業部会による日韓合意の検証結果)を踏まえた形で、政府見解を来年にまとめるという。いまの日韓関係を支 える、この合意の意義を尊重する賢明な判断を求めたい。
(中略)
 一方、日本政府の努力も欠かせない。政府間の合意があるといっても、歴史問題をめぐる理解が国民の胸の内に浸透していくには時間がかかる。
 合意に基づいて設けられた韓国の財団は元慰安婦への現金支給を進め、7割以上が受け入れを表明した。関係者は「全員がいろんな思いがある中、苦悩しつつ決断した」と話す。
 さらに日本政府にできることを考え、行動する姿勢が両国関係の発展に資する。
 この合意を、真に後戻りしない日韓関係の土台に育て上げるには、双方が建設的な言動をとり続けるしか道はない。

 韓国のメディアである中央日報は、検証結果なるものの内容を記述したあと、以下のように述べる。

<慰安婦TF発表>韓日慰安婦合意に「非公開内容」あった…安倍首相、海外碑の処置も要求
2017.12.27 中央日報電子版
(前略)
  申ガク秀(シン・ガクス)元駐日大使は「非公開にすることにした内容を公開し、全体的に不完全だとか問題がある合意だと整理されたため、日本としては韓国政府が従来の合意を履行する考えがあるのかについて疑いがさらに強まる」とし「政府が対日政策を樹立するうえで選択肢が大きく制約される可能性がある」と懸念を表した。

 朝日新聞は、韓国の外交関係者でさえ指摘している外交当事者間の守秘義務違反への懸念にまったく触れず、その一方で今回の韓国の勝手で一方的な振る舞いに対して、日本側にも責任と義務があると主張している。そもそもこの日韓間に横たわる理不尽な問題を、ねつ造記事の長期間にわたる執拗な繰り返し報道によって招来した張本こそが朝日新聞であるにかかわらず、このような無責任な他人事の発言である。 

 読売新聞に以下のように報道される河野外務大臣の発言は、しごく当然である。

河野外相「非公表前提を公表、いかがなものか」 2017.12.28 読売新聞電子版
 河野外相は27日、日韓合意の検証結果を韓国外交省の作業部会が発表したことについて「韓国政府が既に実施に移されている合意を変更しようとするのであれば、日韓関係がマネージ(管理)不能となり、断じて受け入れられない」とする談話を発表した。
 合意について談話は、「正当な交渉過程を経てなされたものであり、合意に至る過程に問題があったとは考えられない」と強調した上で、「両政府間の合意であるとともに、国際社会からも高く評価されたものだ」として、着実な実施を強く要求した。
 河野氏は同日、訪問先のオマーンで記者団に、「非公表を前提としているものが一方的に公表されたというのはいかがなものか」と不快感を示した。日本政府は26日、韓国政府から外交ルートで内容の事前説明を受けた際、遺憾の意を伝えた。外務省幹部は「信義則違反で、外交交渉が成り立たなくなる」と憤りをあらわにした。

 以上のような日韓の報道のあと、次のような「やっばり」というべき韓国の報道があった。

文大統領が声明「日韓合意の手続きに重大欠陥」  2017.12.28 中央日報電子版
 【ソウル=岡部雄二郎】韓国大統領府は28日午前、日韓両政府が2015年末に交わした、慰安婦問題の「最終的かつ不可逆的な解決」を確認した合意について、文在寅ムンジェイン大統領の声明を発表した。
 韓国外交省作業部会が27日に公表した検証結果を踏まえ、合意に至る手続きなどに「重大な欠陥があった」と指摘。「この合意で慰安婦問題は解決されないという点を改めてはっきりと申し上げる」とし、日本側に何らかの対応を求める考えを示した。
 日本政府は合意の見直しには一切応じない方針だ。声明は、「再交渉」や「破棄」などには触れていないが、文政権が今後、これらを主張すれば日韓関係が緊張するのは必至だ。文氏は声明で、「何よりも被害の当事者と国民が排除された政治的合意だったという点で、非常に痛恨だ」と述べた。
 外交省作業部会は27日、合意に至る協議が秘密交渉で進められ、被害者の理解を得られていない、などとする検証結果を公表した。

 一般に、日本と韓国とはともに民主主義にもとづく国家であり、価値観を共有する隣国であり、友好善隣関係を一層推進すべきである、と言われる。友好善隣関係を一層推進すべきということには、なんら反対すべき点はない。しかし、「民主主義」の実質・内容、そして「価値観を共有する」については、われわれ日本からみて深刻な疑問と懸念がある。
 現代世界では、とくにアメリカが主導して「民主主義」を重要な判断基準とし、たとえば中東諸国に対して厳しく対処する傾向がある。しかし数年前の「アラブの春」騒動でも判明したとおり、選挙を導入して実施したりする形式的な改革だけで「民主主義国家」が創出できるわけではない。
  韓国は、さきの大戦後の李承晩政権、日韓基本条約を締結した朴正煕政権などを経て、1987年盧泰愚大統領が民主化宣言をした。たしかに議会も大統領も選挙によって選出するシステムはできた。ところがさきの大戦以後、下野した元大統領はいずれも新政権によって厳しく糾弾され、投獄されたり激しく攻撃されたりすることが一貫して続いている。自分たちが選出した指導者を、熱狂をもって排撃することが国民的習性となってしまっている。国民に一貫性が欠如しているのか、気まぐれなのか、それともまともな指導者に欠如しているのか、外からは真相がわからないが、要するに望ましい民主主義が未だに成熟していない、端的に言えば典型的な衆愚政治に陥っていることは間違いないだろう。
 日本も、さきの大戦直後には占領軍総指揮官マッカーサーに「12歳の子供程度の国民」と揶揄されたり、つい最近にもあの「民主党」に政権を預けてしまったり、といささか心もとない部分はあるのかも知れない。それでもすでに百数十年前に国際問題として不平等条約を経験し、国家としての約束・信頼関係たるもののなにかを艱難辛苦を伴いつつ理解し体得してきた。少なくともこのたびのような事象に関する限り、韓国のレベルとは雲泥の差であろう。
 上に引いた文在寅大統領の発言「何よりも被害の当事者と国民が排除された政治的合意だったという点で、非常に痛恨だ」との、民主主義国家では信じられない言葉が、あろうことか韓国を代表すべき大統領の口から発せられたのである。文在寅大統領は、韓国国家を代表して、ほんの2年前の自分の国たる韓国が、信用できない間違った国家だと公言したのである。そんなことをヌケヌケと口走る文在寅大統領と韓国を、日本はじめ他国はどうしたら信用することができるのだろうか。
 現状のような韓国は、国家として到底信頼をおくことはできないことが明確である。いくら「反共産主義」、「反非民主主義」で同じ側にある、と言ってみても、信用できない相手との協力関係はほとんど意味を持たない。
 河野外相がいうとおり、日本はごく妥当な対応に徹したらよい。

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2017年 吉例顔見世興行 ロームシアター京都

 京都南座は、昨年2016年の1月から休館して修築工事のために使用できないので、昨年末は先斗町歌舞練場で歳末恒例の顔見世が興業された。私たちはそのときは観劇しなかったが、どうもその臨時会場は手狭なこともあって、来場客から評判がよくなかったらしい。そして今年も南座工事完了が間に合わず、今回は岡崎のロームシアター京都で吉例顔見世興行が行われた。
 私は、このロームシアター京都で催し物を鑑賞するのは初めてである。この会場は昭和35年(1960)に、京都市の2000席を超える本格的大型コンサートホール「京都会館」として創建されたのを前身とする。建物の老朽化で2012年から閉館していたが、大規模な改装工事を経て、2016年1月「ロームシアター京都」として生まれ変わった。工事費用を拠出した地元の大手電子部品メーカーローム社が命名権を買い取ったことによる。建築物と設備は最新鋭で、美しく快適な会場となっている。顔見世はメインホールで催されたが、座席数も多く、舞台から遠い座席もじゅうぶん高く見通しよくなっていて、その点では南座より鑑賞しやすいといえる。ただ、本来がコンサートホールであるため、歌舞伎には必須の花道はない。
 さて、家人と二人で鑑賞したのは、夜の部の4つの演目であった。
2017
 最初は「良弁杉由来(ろうべんすぎのゆらい)十二月堂」である。この物語の主人公良弁大僧正は、奈良時代に実在して奈良東大寺の初代別当となった人物である。伝記として、近江国の百済氏の出自で、幼いころ野良仕事をする母の側から鷲にさらわれ、助けられて寺で育てられて高僧となり、30年後に母と再会したという話が伝えられている。そんなことから、明治期に歌舞伎に取り入れられた。
 若くして東大寺の別当に上り詰めた良弁大僧正は、孝心を実現したいと幼くして生き別れた母を探していた。自分が拾われたと聞いた大きな杉の木の下を訪れ、日々懸命に祈った。するとある日、みすぼらしい老女が現れ、身の上話をはじめた。老女はもと「渚の方」という貴族夫人であったが、いなくなった幼子を探し求めて放浪するうち今のような落ちぶれた姿になってしまったという。そして自分の息子は、家宝の小さな仏像を納めたお守りを持っているはずだ、と。良弁は、母の形見として大切に持ち続けてきたお守りを出すと、その袋の中に小さな仏像が出てくる。こうして母と子が長い別離を乗り換えて再開を果たす、という物語である。渚の方を藤十郎が、良弁上人を鴈治郎がそれぞれ演じ、親子の歌舞伎役者の共演である。まもなく86歳になるという藤十郎の達者ぶりには畏敬の念を禁じ得ない。
 次の演目は、「俄獅子(にわかじし)」である。
 俄獅子とは、かつて江戸吉原に毎年8月1日から晴天日のみ30日間を通して、芸者・幇間(ほうかん)が、仮装をして凝った踊りの新曲を見せた年中行事があり、「吉原俄(よしわらにわか)」と呼ばれていた。この年中行事の催しと獅子舞を組み合わせて舞踊化したものが、歌舞伎に取り入れられたのである。江戸っ子気質である粋と洒落っ気に加えて、吉原の廓情緒として「吉原俄」の雰囲気を、長唄舞踊で表現するのである
 主役は二人の芸者であり、時蔵と孝太郎が演ずる。ワキとして、襲名披露した橋之助・福之助・歌之助の三兄弟が3人の鳶頭を演じる。真夏の吉原との設定であり、照明も明るく、軽快で明るく華やかな舞台である。
 3番目の演目は、「人情噺文七元結(にんじょうばなしぶんしちもっとい)」である。
 この演目は、もともと幕末・明治の落語の巨匠であった三遊亭圓朝の創作人情噺であった。情話の中におかし味を持たせなくてはならないという難しい要件から、難しい一題とされ、逆にこれができれば落語家として一人前と見なされたという。
 明治初期に、花のお江戸を我が物顔に闊歩する薩長の田舎者に対して、江戸っ子の心意気を示そうとして創作したと伝える。主人公左官長兵衛を橋之助改め芝翫が、その娘おひさを壱太郎が、和泉屋手代文七を七之助がそれぞれ演ずる。そして舞台も終わり近くになって、鳶頭伊兵衛を演ずる仁左衛門が登場して、芝翫・橋之助・福之助・歌之助の襲名披露の口上をした。ほんの一寸の出番だが、仁左衛門が登場すると舞台がぱっと華やかに、かつ引き締まるのは、さすがである。
 最後の演目は、「大江山酒呑童子(おおえやましゅてんどうじ)」である。武勇を誇った源頼光と、大江山に潜む怪物酒呑童子の対決を長唄舞踏で演じる。酒呑童子を勘九郎が、源頼光を七之助が演じる。男役の七之助もなかなか美しくてよい。
 今年は南座が休業のため、歌舞伎を観る機会が少なかったので、うれしい貴重な機会として、しっかり満喫した。

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映画『ラ・ラ・ランド』

  2016年のハリウッドの話題を席捲した大ヒット映画である。映画に疎い私でさえ、タイトル名だけはしっかり頭に入っていた。
  時代背景は不可思議である。登場する風景や自動車などは1950年代を感じさせるが、一方で現代ITの典型たるスマートフォンが登場して、そこはかとなくシュールな印象を漂わせる。主演のエマ・ストーンは、現代的というよりはとても古風な容貌である。ストーリーは冬・春・夏・秋・5年後の冬、と5部構成となっていて、ストーリーの内容そのものは、昔からあったような映画女優とジャズ演奏家の夢多く、苦悩多く、儚く、しかし着実でもある恋愛物語である。
  女優の卵も、ジャズ演奏家も、ともに自分の夢や構想を大切にして譲らず、しかし挫折し妥協もし、それでも懸命に生きている。しかしその一方で恋には齟齬を生じ、結局は結ばれない。とても破天荒で現実離れしている雰囲気のなかで、語られる事実はまことに現実的でもある。誰もが大女優になるわけではないし、音楽家として成功できるわけでもないし、愛する人と結ばれるわけでもない。それでも、それらさまざまな要素が絡み合う現実に対しては、誰でも共感できる要素があり範囲がある。そういう意味で、さまざまな面でふわふわした、夢見心地のようでありながら冷徹な現実をも現しているこの映画に、それぞれが感銘をうけることができるのだろう。
  大変な好評を得たことも、たくさんの賞を獲得したことも、しっかり納得できる良い映画だと思う。

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箭内昇『メガバンクの誤算』中公新書

 長期信用銀行に長年勤め、役員にまで登りつめたのち経営陣を批判して飛び出した著者が、内部を知り尽くした銀行業界の内幕・問題・課題を暴き出した書である。
 アメリカではいち早く1971年のニクソンショックを契機として、銀行界は「変動の時代」に突入して危機を迎え、ビジネスの形態が変わり、業態が変わり、そのなかで多くの銀行が破綻した。日本でも危機は静かに訪れてはいたが、大蔵省の護送船団方式に守られて変革を怠り、旧態依然のまま表立った破綻もなくバブルに突入した。かたやアメリカでは、かつてのようにすべての銀行を破綻から救うことはせず、延焼を防ぐという政策がとられ、それぞれの銀行が競争環境の中で生き残りのために積極的に新しいチャレンジを繰り返し、変革を推し進めた。しかし日本では、相変わらず預金と貸付のみの旧態依然としたビジネスで、ただバブルの景気高揚だけに乗っかって華々しく成長したかに見えていた。ところがバブル崩壊で一気に弱みが現れ、日本の銀行界は深刻な危機に陥った。1990年代の10年間だけで、アメリカと日本の銀行の企業競争力の格差は、数十年でも追いつけそうにないと思えるほどに拡大してしまったという。
 以上のような内容は、製造業に従事してきた私にとってほとんど知らなかったことであり、金融業界の特殊性を知らされてその実情に驚く。しかし、銀行ならでは、あるいは銀行だけの問題や危機とは考えられない深刻な事実も指摘されている。典型的には、経営に不正が絡む企業業績の悪化である。これこそ企業に致命的なダメージを与える。最近わが国の大手製造業に、このような大問題が多発してしまっている。著者が指摘する経営者のモラルこそは深刻で重大な問題であるが、決して銀行だけの問題ではない。
 15年も前の本だが、非常に刺激的で興味深く一気に読んだ。

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«河上肇『貧乏物語』岩波文庫