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Niall Ferguson,”The Square and the Tower”(7)

3.印刷技術と革命とネットワーク
(3)ネットワークが推し進める啓発と変革
 新しいアイデア・思想がネットワークを介して速く伝達されるようになって、ネットワークが推進する(Network Driven)の科学革命、啓発革命が普及していった。こうして大学や都市がネットワークとして結合されるようになり、情報が狭い範囲に閉じ込められず広く伝達されるようになった。新しい科学も発生してくる。たとえば気象学は、ひとつ乃至少数の観測地点のデータでは成り立たず、広範囲の地域にわたる多数のデータを集積してこそ成り立つのである。通商を生業としつつ、東インド会社はヨーロッパとアジアをつなぐネットワークを形成していった。
 アメリカ独立革命、フランス革命などの大革命においても、ネットワークの役目は決定的であった。革命の成功のためには、書かれて印刷された言葉と文章の共有が必須であり、暗黙の友愛(Freemasonry)のネットワークが決定的な貢献を果たした。アメリカ独立時の、銀細工職人であり愛国者であったポール・リビア(Paul Revere)の「真夜中の騎行」などの活躍は、その一例である。

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Niall Ferguson,”The Square and the Tower”(6)

3.印刷技術と革命とネットワーク
(1)グーテンベルクの印刷機と宗教改革
 イベリア半島(ポルトガル、スペイン)の人々が大航海時代をむかえていたころ、中央ヨーロッパでは宗教改革が進行していた。
 印刷技術そのものは、15世紀よりはるか以前から中国に存在していたが、15世紀のグーテンベルクの印刷機の歴史的衝撃ははるかに甚大であった。それは、宗教改革と結合したからであった。ルターの宗教改革も、もしグーテンベルクの印刷機が登場しなければ、ほんの少し前のチェコのヤン・フスとおなじ運命にとどまったであろう。
 ルターは、宗教のみならず印刷技術を駆使してコミュニケーションを抜本的に変革したのである。1440~1450年ころ、印刷機の登場でまったく新しい経済セクターが創生され、印刷物でなく印刷機そのものがマインツから同心円的に急速に普及して、ルターの文章が北ヨーロッパに急速に拡散して、強かなネットワークが拡大し、それに比例してプロテスタント人口が増加し続けたのであった。メアリー1世の厳しい弾圧や執拗な反宗教改革の運動にも関わらず、新しい印刷技術を組みこんだプロテスタントのネットワークは大成功した。


(2)宗教改革の経済への想定外の影響
 ルター革命の後、プロテスタントが普及した国は経済的に大きく発展した。それはルターの意図を超えて、宗教改革が人的・経済的資源を宗教から世俗に移動させたからである。ドイツ、そしてとくにイギリスで、教会を建設するよりもビルや学校を建設するようになり、そこで学んだ学生がキリスト教関係の仕事より世俗的活動に向かうようになった。つまり宗教改革で、精神と社会と生活の世俗化が急速に進展したのであった。
 この背景には、印刷技術の発展・普及による本の著しい普及があった。1400~1500年の100年間に、イギリスでは本の価格が10分の1になった。こうして数学などの自然科学をはじめ製造技術、経済学などさまざまな世俗的知識が普及した。ヨーロッパは長い間ローマを中心とするキリスト教文化(「すべての道はローマに続く」)であったのが、ネットワークを基礎とする世俗的文化に取って代わったのであった。

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Niall Ferguson,”The Square and the Tower”(5)

2.皇帝と探検家
(3)大航海時代
 15世紀末ころには、ヨーロッパは他地域とは異なる文化・経済を獲得し、大航海時代に突入した。
 Henrique the Navigator(エンリケ航海王子:1415-1460)は、ポルトガル王子として航海士に冒険航海を命じ、ポルトガルからアフリカ最南端をまわって大西洋からインド洋、そして太平洋へ至り、新しい海洋商船ルートを開拓させた。続いてポルトガルは、中国との交易を開始した。ポルトガルの場合は、みずから生産した物品を輸出したのではなく、通商ルートと交易拠点を開拓・独占して、他国から買った物を別の国へ売ることで利益を得るものであった。そのための航海技術・地図・船舶を確立したが、それ以上の活動ではなかった。やがてイベリア半島から東に進んでブラジルを発見、植民地化した。
 スペインはイベリア半島から西に向かい、南に下り、ついにアメリカ大陸を発見した。スペインは、交易拠点のみに飽き足らず、新天地から金・銀・その他の財を奪いつくす意欲が大きく、攻撃的であった。折しも天然痘のような疫病と、帝国内の内紛があった南アメリカのインカ帝国は、200分の1に満たない少数のスペイン軍に簡単に征服され滅ぼされてしまった。南アメリカ植民地に投入したスペイン人の人口はアメリカ植民地に投入したイギリス植民人口よりもずっと多く、スペインは現地人との混血を奨励したので、征服者(Conquistador)は被征服者の制度・文化のみならず生物学的特性までも変えてしまったのであった。

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Niall Ferguson,”The Square and the Tower”(4)

2.皇帝と探検家
(2)初めてのネットワークの時代
 ユーラシア大陸では、14世紀に腺ペストが大流行した。それまでにか細いながら開拓されたヨーロッパとアジアを結ぶ通商ネットワークをたどって、腺ペストが4年間を費やしてゆっくり感染拡大した。このペスト流行で、南ヨーロッパの人口の75%、ヨーロッパ全土の人口の50%が死亡したという。
 1500年ころ、ヨーロッパはネットワーク的な国家群、東アジアは専制的なヒエラルキー的国家群からなっていた。そのなかで、イングランドは相対的に自由度が大きく、商人は自分の財産を自分の意思で自由に使用することができた。東アジアでは家族的結合の専制的支配者がヒエラルキーを統治していた。専制的支配者たちは、戦略的に支配者同士で婚姻関係を構築し、家族・血縁ネットワークを構成した。イタリアのメディチ家(Medici)は、政治的エリートとして、商人・銀行家の有力者とも血縁を造り、経済的にも発展した。ラグサ共和国(現在のクロアチア・ドゥブロニク)のベネディット・コトルリ(Benedetto Cotrugli)は、豪商・古典的教養人として、政治とは慎重に距離を置きつつ国際的な血縁ネットワークを形成し、博学者のネットワークのマニフェストとして”The Art of Trade”を著わしている。

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Niall Ferguson,”The Square and the Tower”(3)

2.皇帝と探検家
(1)ヒエラルキーの登場と滅亡
 人類が社会的ネットワークをつくりはじめ、力を合わせて協力して行動することを習得して行動するようになると、そこに参加している人々を外敵から護るために力が必要であった。そして人間に限らずすべての生物には力の強さ、体力、知力に差が存在する。したがって自然に上下関係が求められ生じてヒエラルキーが発生した。時代が変わり生活が変わっても、優劣、戦闘能力の差、財力の差などは存在して、ヒエラルキーは経済的にも政治的にも実践的に自然かつ有効であった。古代帝国の登場である。
 ヒエラルキーのトップは、なんらかの形の「王」であり、たいていは神になることを指向した。ヒエラルキーでは王以外の下層の者には横と交わる自由はなく、王のみが王同士のネットワークを形成した。その王のネットワークは、ヒエラルキーを維持する安全保障に有効なこともあったが、危機の原因ともなった。
 古代帝国は存続できず、滅び去った。古代帝国のヒエラルキーは、他のヒエラルキーから滅ぼされることもあったが、ゲルマン民族の侵入のような新しいネットワーク集団、あるいはキリスト教のような新しい宗教のネットワークによって変質・崩壊したのであった。ヨーロッパでは、5世紀ころに移民∔宗教+疫病が入ってきてローマ帝国を滅ぼしたのであった。
 7世紀にはもうひとつの一神教イスラム教が出現し、宗教的ネットワークから新しいヒエラルキーを形成した。かつてのローマ帝国はカトリック教皇の下に帝国の小さな破片としてネットワーク的に残ることになり、封建制の前駆となった。当時は交通手段もなく、ヨーロッパとアジアとは断絶していて、世界をひとつにするネットワークはなかった。

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Niall Ferguson,”The Square and the Tower”(2)


 世の中の社会構造を2つに分類してみる。ひとつは人間が基本的には対等に相互に結び付いている関係で、これをnetwork=ネットワークという。その象徴は人々が同じ目線で集う広場であり、すなわちsquareである。もうひとつは上位下達、命令服従の対等でない関係で、これをhierarchy=ヒエラルキーという。その象徴は明確に階層が分断されている塔であり、すなわちtowerである。
 これまでの歴史学は、圧倒的にヒエラルキーをもとに考えられ構築されてきた。その主たる原因は、考察の根拠たる史料が国家、組織などヒエラルキーに基づくものがほとんどを占めていたからである。ネットワークに基づく史料は、私信、書状などごく限られかつ断片的な形態の文書でしか存在しなかったので、歴史学に豊富に情報を提供することができなかったのである。
 しかし現実の歴史的事実を改めて考察してみると、比較的少人数の小さなネットワークが貢献をして、結果として大きな変革が起こったことは意外に多い。ここでは、ネットワークの働き、貢献を尊重しながら人類の歴史を見直してみる。

1.ネットワークとヒエラルキー
 人類は、12,000年前に社会的ネットワークをつくりはじめ、力を合わせて協力して行動することを習得し、そのことにより飛躍的に強い生物に変革した。
 しかし多数の人間を動員しパワーを行使するとき、もっとも有効な関係はヒエラルキーである。短時間に議論不要で直ちにひとつの目的に結集して行動できる。多数の人間をおなじ目的に動員する農業社会に適したヒエラルキーは、ネットワークと同じくらい早くから人類史に登場した。 
 ネットワークは、日常的感覚としてはかなり強い関係で結合しているネットワークを想像するが、実は必ずしも常に意識にのぼるわけでないような弱い結合によるネットワークが重要で、その弱い結合にかかわらず非常に大きな変革の力になることがある。アイデア(思考)や行動は、文字よりも直接的に接するネットワークの各段階を通じて伝達する無意識の模倣(copy)が伝達の大きな要因である。文化は複雑であればあるほどその伝達には、一定規模の同調者集団のマスが必要かつ有効である。
 そのような弱い結合のネットワークを考えると、段階の数が大きいネットワークが身近に存在することになるが、実はせいぜい6段階もたどるとほとんど世界中全員の人々とつながってしまうのである。
 そしてグラフ理論を用いて数学的に解析すると、ヒエラルキーが少し拡張したネットワークのひとつの特殊形態であることが証明できるのである。
 集中化せず、クラスターを含み、弱い結合を持つことができるので、ネットワークはヒエラルキーよりも進化に適している。悪いアイデアを良いアイデアにつくり替えることもできる。しかし、ネットワークは時間的にも空間的にもひとつの方向にまとまりにくいという欠点をもつ。
 ヒエラルキーは、本質的にリジッドで固定的であり、トップダウンで横方向の繋がりがないので、思想や文化が伝達して広がることに適さない。その半面では悪いことが伝染病のように感染拡大しにくいメリットがあるとも言える。
 ネットワークは、とどまらず常に変化する。思想やイデオロギーがウィルスのように伝染する。位相変化してより複雑なネットワークに進化することも容易である。ほんの少しの要素が加わっただけでラディカルに変貌することもある。
 ネットワークの性質を理解して歴史を振り返ると、何かを滅ぼすから歴史が変わるのでなく、連続して多様なモノを加えつつ変化して歴史が変わる様相が見えてくる。古びて機能が劣化したヒエラルキーも、新しいネットワークの挑戦を受けて生まれ変わるのである。リジッドで固定的なヒエラルキーは自己変革できなくても、ネットワークからのインパクトにより生まれ変わることができる。

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「今こそGUTAI」展(下)

Photo_20201231060901  16年前に作品群をまとめて眺めたときには、ふと頭の中にグループ・サウンズの音楽を思い出し、技量や才能はさておき、自分の感性と感覚を信じてともかく突き進もう、というイメージで見たことを記憶している。このたびは少しちがって、具体の抽象美術が、欧米の抽象美術とかなり違うものだと感じられることに気づいた。良い意味で余計な影響を受けず、日本的なオリジナリティが感じられる。その要因について、作品を眺めながら考えてみた。すくなくとも一つの要因は、具体の抽象美術では、細かな部分への執着・注力という特徴があるのではないか、と思う。
 田中敦子の電球と電気配線の集合のような絵にしても、山崎つる子の多様な色彩の絵にしても、嶋本昭三の丹念な絵にしても、いずれも抽象的な造形が細やかに精緻に描かれている。写真でなく実物を目の前にすると、気ままに描き込んだというより、かなりの意志と意図と情熱をもって懸命に描いたということが観る者に伝わってくる。「神は細部に宿る」というコトバを、ふと思いだした。芸術家の頭の中に、かなりの思考、躊躇と果断、悩みと解決などが錯綜して、それらのひとつの結果として画面ができた、という創作の過程の一端が感じられる。Photo_20201231061001
 私は、オートマティズムという作風は、芸術家の真摯な思考過程を反映しないと思って、あまり好まないが、白髪一雄のフット・ペインティングなるものをあらためてまとめて眺めると、画家が単純に偶発性のみで創作するのではなく、それなりの意志表現として創作しているような気もしてきて、今回はじめて白髪一雄の作品を部分的であれ共感でき理解できたような気がした。
Photo_20201231061002  吉原治良の「黒地に赤い丸」、あるいは元永定正の「N.Y.No1」などは、大胆に簡素化した構成で、その表現方法としては西欧の抽象絵画に似ていそうなものだが、不思議に西欧近代美術あるいは西欧現代美術の模倣という感じが無い。簡単な構成のなかに、高度に思考して設計された意思とそれを表現するための精緻さを明確に読み取ることができる。これもひとつの「細部」といってよいだろう。Photo_20201231061101
 具体の作品は、さまざまな美術展のなかの一部の展示作品としてときどき間歇的・断片的に眺めてきたように思うが、こうして改めてまとめてじっくり鑑賞すると、当初想定していたよりも安心して入り込める感じがした。

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「今こそGUTAI」展 (上)

 Photo_20201229060201 兵庫県立美術館で「今こそGUTAI─県美の具体コレクション」と題した特別展が開催された。今年は兵庫県立美術館開館50周年記念の年だが、あいにくコロナ騒動のためにさまざまな予定が延期や変更となった。この時期は、当初の年間計画ではフランスのスーラージュ美術館と提携して「スーラージュと森田龍子」展を開催するところを、具体コレクション展に変更したのであった。
 コロナ騒動の影響は入場制限をもたらし、完全予約制となったお陰で、混雑に悩まされることもなくなったが、入場希望日と入場時刻を事前に決めて申し込む必要があるので、鑑賞に出かける身としては、いささか窮屈ではある。Photo_20201229060301
 私はこの同じ美術館で、16年前にやはり具体グループの作品展を鑑賞した。兵庫県芦屋市に在住した吉原治良が昭和29年(1954)に立ち上げた芸術運動で、「現代の美術が厳しい現代を生き抜いて行く人びとの最も解放された自由の場であり、自由の場における創造こそ人類の進展に寄与し得ることであると深く信じる」とのメッセージを「具体」の活動理念として提唱したこと、16人ではじまった活動が、1960年ころから若手も多数参加して拡大し、1970年の大阪万博でピークを迎え、その2年後の1972年リーダー吉原治良の急逝で解散したこと、などはすでに知っていた。
Photo_20201229060001  具体の活動期間は私自身の小学校入学直前から大学卒業ころ、すなわち私の少年期・青年期にぴったり一致していて、当時のわが国の時代的雰囲気を共有しているので、この展示会の受け取り方も、今の若い人たちとは当然かなりちがうのだろう。当時は世の中全体がとても貧しくて自分の手にはほとんど何もなく、しかし高度成長時代で経済も生活も日々良くなっていく方向性は身をもって感じることができ、夢や希望は無限に広がっていた。そんな時代の活力・エネルギーのようなものを、あらためて感じるのである。

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Niall Ferguson,”The Square and the Tower”(1)

まとめ
 ふとしたことからこの書を知り、英語kindle版で読んだ。
 広場すなわちスクエアーでネットワークを象徴させ、塔すなわちタワーでヒエラルキーを象徴させて、ネットワークとヒエラルキーを論ずるこの書の題名としている。著者は歴史学者だが、この書は歴史書というより、歴史をどう読み解くべきかを論ずる歴史エッセイである。
 世の中の政治・社会の基本構造をネットワークとヒエラルキーとに分類すること、さらに理論的にヒエラルキーはネットワークのひとつの特殊解と位置づけられる、というのがこの論考の基礎である。
 歴史において、ネットワークとヒエラルキーはともにおなじくらい古い歴史をもつ。人間が社会的生活を介して外敵から護られることが専ら大切であった古代農業社会では、ヒエラルキーの有効性が優って、先ずは古代帝国が誕生した。
 ネットワークが機能するためには構成員が情報を交換できる必要がある。なんの媒体もなかった太古では、直接対話することから始まった。この媒体の進化として著者は15世紀のグーテンベルクの印刷機の発明と、21世紀本格化したインターネットとをとくに顕著な革命として取り上げる。
 ヒエラルキーは、定まった目標に向けて構成員全体を結集し、短時間に素早く行動するには適したシステムである。だから古代帝国にはじまり、ローマ帝国、中国の何代にもわたる帝国、キリスト教を軸とした帝国、さらには近代の多くの王室の統治による帝国など、多数の帝国が登場した。
 ネットワークは、ヒエラルキーと異なり、構成員の結合は強いものも弱いものもあり、拡がりの境界もアイマイなことが多い。短時間にひとつの方向にまとまるには適さない。しかし融通無碍なことから自己変革も容易で、他のネットワークやヒエラルキーに関与・影響することにも適している。ネットワークは、ヒエラルキーに接触してヒエラルキーを変容させたり、崩壊させたりする強さも持ちうるのである。Square-and-tower
 これまでの歴史学は、ほとんどヒエラルキーにかんする部分のみを取りあげ論じてきた。それは論考の根拠となる史料が、ほとんど国家・団体などの堅固なヒエラルキーによって与えられたものが圧倒的多数であり、ネットワークから得られる史料が、私信、書簡などごく限られた、かつ断片的なものしかなかったからである。
 しかし印刷だけでなく、インターネットが普及する時代になって、ネットワークの時間的高速化と地域的拡がりは莫大なものとなり、ネットワークの貢献はますます大きくなった。かつ史料としての提供も飛躍的に増加した。これからの歴史学はネットワークの存在と働きを取りあげないわけにはいかなくなるであろう。
 本書の主な主張はだいたい以上のようなものである。
 この書そのものについての私の感想を以下に記す。
 この書に限らないが、最近話題となる歴史に関わる本を読むと、いずれもほんの少し前に思える西暦2000年のあと、21世紀の20年の重みを改めて感じる。たった20年の間に、とくに科学技術の急速な進展でさまざまなことがすでに変容していることを教えられる。
 この著者がヨーロッパ出身の人だからなのか、第一次世界大戦については詳しく述べながら、第二次世界大戦についてはほとんど触れていないのは、日本人読者としてはいささか奇異に感じる。触れることが少ないという点では、マスメディア、つまり新聞・雑誌・テレビ・ラジオについても触れられていない。著者にしてみたら、15世紀のグーテンベルクの印刷機ほどのインパクトはない、と言うことかも知れないが。
 次に、この著書の文章についてである。この書に限らないが、友人からの感想および書評などで、翻訳を読んだ場合に「悪訳」が目立つという声をよく聴く。私が原書を読んで思うのは、それは翻訳の問題だけでなく、原文にも責任があるだろうという点である。この本についても、全般にひとつの文章が長く、それは多くの場合出てくる単語とくに名詞・固有名詞に関係代名詞や過去分詞構文で頻繁に修飾がつくことに起因する。それを読む側からすると、主語・動詞・目的語の関係が直ちに理解しにくい、構文が直ちに把握しにくい、という問題がある。さらに、もしそれを翻訳するとなると、単に日本語をおなじ順序で並べたのではわかりにくくなり、意味が滑らかに通じるように文章全体を組みなおすことが求められる。したがって翻訳を引き受ける限りはそのような工夫や手間も実行すべきという意味では「悪訳」は翻訳者の側に責任があるのだろうが、原文がすっきり見通しの良いものであれば、もとから発生しない問題ともいえるのである。たとえば、これに先立って読んだYuval Noah Harari, "Sapiens, A Brief History of Humankind"の場合などは、文章が短く、構文も簡明で、とてもわかり易かった。そのような場合は翻訳も相対的にずいぶん容易だろうと推測する。
 最後に、この本のレジュメを書いたのだが、今回はとくに省略した部分が多いという言い訳である。500ページ余りのなかに50件以上のエピソードを取りあげ、したがって1件あたりに割り当てられる紙幅は少なく、テーマによっては予備知識が十分でないためにわかりにくいことも、あるいは著書が書き尽くせなかったがために伝わりにくいこともあったのかも知れない。つまり文章も構成も、私にはわかり易い本ではなかった面があり、自分が理解できる範囲を自分のための備忘録として記したのである。

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間人かに旅行(下)

城崎温泉散策
 翌朝は、やはりカニをベースとした朝食からはじまった。前日夜にたらふくカニを食べて、空腹感もないのだが、丁寧に調理された彩り豊かな朝食は、これまたとても美味しかった。
Photo_20201225062601  この日は朝から好天に恵まれ、青空から透明感溢れる優しい冬の陽射しが降り注ぎ、とても快適な一日となった。京都丹後鉄道で網野から豊岡に向かう。車窓からは、昨日までの雪を被った田畑や家々を眺める。まさに「絵に描いたような」雪化粧の美しい景色なのだが、現実にそこに住んで生活する人々にとっては、雪はとても厄介なことだろう。雪が積もると、道路の移動・輸送の機能は著しく低下する。道の脇や家屋・店舗の廻りを雪かきする人たちをなんども見かけたが、大変な労力だろう。眺めるだけの我々旅行者は、美しい雪景色を愛でるのみですむのだが、それでも以前おなじこの地を訪れたときに、鉄道が積雪で停止して、何本もの列車が運休となり、駅で長時間再開通を待ったこともあった。
 豊岡から20分ほどJR線に乗ると、城崎温泉駅に着く。ここも何度も訪れているが、こんなに天気のよいのは、おそらく初めての経験である。Photo_20201225062701
 今回は、GoToトラベル・キャンペーンのお陰で、宿で大幅割引をもらったうえに、GoToトラベル地域共通クーポン券というのをいただいた。結構な金額だが、宿泊日とその翌日の2日間のみが有効期間なのである。急にカネを使おうと思っても、すぐにアイデアは出ず、なんとかこの地元に還元すべく頭をひねりながらの散策となった。
 いつものように観光案内所に立ち寄り、散策マップをもらって歩きはじめた。駅前通りの商店街を過ぎて地蔵の湯で左折し、旅館や外湯の立ち並ぶ通りを過ぎると、温泉神社への参道となる。
 山門をくぐるとき、突然頭上から雪の塊が落下してきて、危うく直撃を受けそうになった。屋根の上に降り積もった雪が、晴れて陽射しを受けて溶け出し、こうして次々に落下してくる。私たちの日常では経験できないことである。
Photo_20201225062801  続いて極楽禅寺にも立ち寄った。その道の途中には、最近新設されたと思われるお洒落でモダンなカフェができていた。伝統ある温泉街だが、時代を積み重ねるとともにこうした洋風のお店もますます増えてくるのだろう。ちょうど若いカップルが入っていった。
極楽禅寺は庭園の美しい寺院だが、この日ばかりは庭の全面が真っ白一色の雪に覆われていた。お寺の山門の前の多数のお地蔵様が立ち並ぶ小さな山のようなところも、この日は全面的に雪に覆われて、仏像のお顔がよくわからない。Photo_20201225062802
 極楽寺からもと来た道を帰るとき、やはりかなり新しいお土産店のコンプレックスがあり、少し見て回った。ここのお店の様式も、伝統的な純和風ではなく、大きなガラスや現代的照明を多用した明るいお洒落な雰囲気の施設となっている。
昼食をとろうと、シックな雰囲気のすし屋に立ち寄った。正面のファサードは地味だったが、なかは最近改装したのか新しく明るいきれいな店内であった。昭和17年創業で、まだ若そうなご主人は三代目だという。かつてはこの城崎温泉街にも多数のすし店があったそうだが、現在は3軒ほどになってしまったと話されていた。握りずしランチをいただいたが、海鮮なネタもシャリも美味で、添えられていたうどんも身体が温まりそうでおいしくいただいた。
 腹ごしらえもしっかりできたところで、念願の外湯に入った。なんどか同じ湯屋に来ているが、いつも温泉には大満足だ。漬かっているときは暑く感じずに自然に時間が経ち、出てくると身体の芯まで温まっていることを感じる。
Photo_20201225062901  着替えをしているとき、偶然この湯屋の従業員らしい人と地元のなじみの客らしい人との雑談が耳に入った。ひとりは、今回の政府の年末年始期間のGoToトラベル・キャンペーン中止宣言に対して強く憤慨していた。GoToトラベル・キャンペーンのお陰で、ようやっと来客が部分的にも復活して、いよいよこれからというときに、突然中止なんてとても受け入れられない、と。もうひとりが、多分日本中で同じ気持ちの人たちが多いだろうから、政府も宣言を至急取り消すのではないか、と。予約取り消しの電話対応には、ずいぶん困惑したとも。GoToトラベル・キャンペーン停止の混乱は、やはり関係者には大きな問題らしい。Photo_20201225063001
 外湯を出て、毎回訪れている地酒販売店に立ち寄り、いつものようにご主人が推奨する地酒を購入した。今回の酒は、イギリス人が日本に渡来して杜氏となり開発した純米酒である。フィリップ・ハーパー氏はバーミンガムに生まれオックスフォード大学英文学専攻を卒業した人で、日本に興味を持ち、英語の教師として過ごすうちに日本酒に出会い、やがて日本の酒造会社で働きながら醸造の実践を学んだという。日本人女性と結婚し、杜氏の資格を得て、いまではみずから開発した日本酒を製造している。今回買ったのは「純米酒ひやおろし『玉川』」という「生詰め酒」で、新酒を65℃で低温殺菌したものを、通常は出荷前にもう一度加熱して瓶詰するところを、最初の低温処理のみで出すものだという。店のご主人がとても薦めてくれるので、一升瓶を購入して提げて帰宅したが、果たしてほんとうに美味な酒であった。
 酒、入湯料、昼食の寿司ランチ、そして若干のお土産と、GoToトラベル・キャンペーンの地域共通クーポンは、無事順調に現地で消化できた。冬至に近い早い日没のころには、帰路の列車に乗りこんでいた。

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