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ブリテン島周遊クルーズ (53)

セントピータース港とガーンジー
 北ウェールズのホーリーヘッドを出たわれわれのクルーズ船は、1日半の航海を経てブリテン島の南、フランスのノルマンディーの北西の海に浮かぶチャネル諸島の2番目に大きな島であるガーンジー島セントピータース港に着いた。この港は9万トンのわれわれのクルーズ船は着岸できず、艀船による上陸である。Photo
 ガーンジーは、イギリス女王を君主とするイギリス王室の属領である。ただしイギリス連合王国には含まれないので、内政に関してイギリス議会の支配を受けず、独自の議会と政府を持つ。欧州連合に加盟せず、通貨はスターリング・ポントである。イギリスの海外領土や植民地と異なり高度の自治権をもち、イギリスの法律や税制および欧州連合の共通政策は適用されない。ただし、外交と国防に関してはイギリス政府に委任しており、主権国家ではない。
 紀元前6,500年頃までガーンジー島は現在のフランス本土ノルマンディー地方と陸続きであった。先住民は紀元前5,000年頃に農耕民族に追い払われた狩猟民族であるといわれている。933年、ノルマンディー公ギヨーム1世はチャンネル諸島を含む領地をブルターニュ公国から奪った。1066年、ノルマンディー公ギヨーム2世はイングランドを征服し、イングランド王ウィリアム1世(ウィリアム征服王)として戴冠した。ノルマンディー公ウィリアムである。それ以来ガーンジー島は、歴代イギリス王室の直轄地となっている。住民は、イギリス人とアングロ・ノルマン系フランス人で、宗教はイギリス国教会が65%、カソリックが35%である。
Photo_2 ブリテン島とフランスの間の交通・軍事の要衝に位置する天然の良港であるため、日本の沖縄にも似て、古代から大国に狙われ、後で述べるように複雑な歴史を経てきた。かつては漁業、貿易、軍事がおもな生業であったが、近年は観光とタックス・ヘイヴンの金融を生業としている。
 私たちが上陸した日は日曜日だったこともあり、クルーズ船で押し寄せる我々観光客や、自撮りをいたるところでやりまくり声が大きい中国人らしいアジア系の観光客に加えて、地元や近在からの観光客も多く、セントピータース港はとても混雑して賑わっていた。
 私たちは、まずコーネット城に行った。桟橋から徒歩で20分くらいであった。

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ブリテン島周遊クルーズ (52)

バンガー大学内のコーヒーショップと港への帰路
 帰路は、ふたたび大学のなかを通ることとし、コーヒーショップで喉を潤すことにした。
 大学のメイン・ビルディングのなかには、少しおしゃれなレストランと、生協の食堂のようなところ、そして隣接するコーヒーショップとがある。お腹が空くには至っていないのでレストランではなく、コーヒーショップに入った。Photo
 ここは、係の人はいるが、料金を支払うと紙コップをくれて、コーヒー・コーナーで機械を自分で操作して受け取るという仕組みである。機械にチャレンジしてみたが、コーヒーが思ったように出てこない。ここもコーヒー豆をまずその場で挽いて、さらに機械で湯を通すのだが、コーヒー豆が出てこないようだ。係の女性にその旨告げると、機械の一部をトントンと叩いて、なんとか解決してくれた。
 大学のコーヒーショップも、なかなか落ち着いて快適であった。
 こうしてバンガーでの快適な散策を終えて、鉄道でホーリーヘッド駅まで帰ってきた。ここから、来た時のように15分程度で、シャトルバスで船まで帰ると想定していた。
 ところが、シャトルバスはなかなか来ないし、やっと来たバスは、ホーリーヘッドの町のいくつかの拠点でクルーズ船の人たちをピックアッブしてまわり、40分ほどもかかってようやく帰船したのであった。
 このバスのなかで隣り合わせたのが、オランダから来たというおばあさんであった。アムステルダムから20kmくらいのところに住んでいて、今回のクルーズがアムステルダム発着というので、利便性から参加した、と。これまで他社のクルーズには何度も参加し、日本へもクルーズで行ったことがあり、東京・京都・奈良などはすでに訪れた、と。彼女はこのたび、私たちが参加する旅程の直前に、この同じ船がアムステルダム発着でロシア・バルト海沿岸をまわるクルーズにも参加していて、私たちの2倍の旅程を過ごしているという。ロシアのセントピータース・ブルクもなかなか良かった、とも言った。こういった長期のクルーズ愛好者も結構多いようだ。

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ブリテン島周遊クルーズ (51)

展望台から見るアングルジー島

Photo
 教えてもらったとおりに道を進むと、いったん坂を登り、そのあとかなり下った。つまり、バンガー大学があるちいさな山の北方向の裏側に展望台はあった。Photo_2
 展望台のすぐ下には牧草地がひろがり、牧草を機械ではぎ取ってロールにして、運搬用のフォークリフトのような機械で集積場にゆっくり運んでいる。のどかな落ち着いた光景である。大型犬を散歩させている人もいる。ゆったりした好天下の心地よい場所で、しばらくゆっくり休憩した。
 前方の遠景として、小舟が行きかうメナイ海峡をはさんで、アングルジー島が眺望できる。また、この付近の住宅地は、かなりゆったりした高級住宅地のように見える。

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ブリテン島周遊クルーズ (50)

バンガー大学
 図書館の前の道をさらに進むと、大学のある丘の麓に突き当たる。左に折れて少しのところに、大学の入り口への階段がある。そこを登ると、新館の建物のひとつに入る。受付カウンターのようなものがあり、職員らしい人がいたので、大学を少し見学したい旨を言うと、このすぐ横のエレベータで5階まで上がると近道だよ、と親切に教えてくれた。
Photo
 エレベータのお陰で、大学のメイン・ビルディングがある丘の上にすぐたどり着いた。そこで通りがかった若い女性に、大学の一部を見学して、続いて大学を抜けてマップにある展望台に行きたいが、どのように行けばよいか、と尋ねた。彼女は大学生でまだ入学したばかりだと言い、だいたいの道を教えてくれた。
 バンガー大学は、1885年にウェールズ大学の一部として勅令を受けて開学した公立大学である。第2次世界大戦中には、ロンドン大学の学生がバンガーに疎開して就学を継続した。1977年には、女性教師養成校であったセント・メアリー・カレッジと合併し、1996年には、バンガー・ノーマル・カレッジと合併するなど、規模を拡大させ、現在は学生数が1万人を超える大学に成長した。2007年にウェールズ大学から独立し、ウェールズ大学バンガー校から、バンガー大学へと改称した。

Photo_2 ①人文学部、②商学・法学・教育・社会科学部、③自然科学部、④物理学・応用科学部、⑤健康・行動科学部という分類の5つの学部から構成される総合大学である。イギリスらしく、オックス・ブリッジと同じく「物理学部」と物理学が独立学部になっているのが興味深い。教育評価ランキングで英国トップ15大学に位置づけられ、ウェールズで最上位の教育を提供する大学とされている。この丘の上には大学本部があり、各学部の建物は町中に散らばっている。学部生8,200人、大学院生2,400人、大学職員2,000人の、大規模な大学である。
 メイン・ビルディングに入った。ビル入り口の扉は、自動ドアであった。廊下は、建物はかなり古いが、掃除がよく行き届いていて、とても快適な雰囲気である。
Photo_3
 講義室のひとつを少し覗いてみた。内装はすっかり近代化され、少人数向けの機能的で快適そうな空間となっている。
キャンパスは細長く北東に続いているようだが、途中女性の二人連れに出会ったので、展望台への道を尋ねた。途中まで付き添って案内してくれるという。彼女たちは学生ではなく、この大学に勤務しているのだ、と。

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ブリテン島周遊クルーズ (49)

バンガーの町の図書館
Photo_2 大学は丘の上にあり、そのすぐ下の道路に面して、市立図書館のような小さな建物があったので、少し立ち寄ってみることにした。
 日本の地域図書館と同じような本棚と閲覧室があり、事務員の人が2人ほど動き回っていた。トイレに行ってみると、鍵がかかっていて入ることができない。図書館の事務員に、トイレを借りたいと申し出ると、鍵を貸してくれた。ここでは、そういうシステムになっているようだ。 Photo_4
 ちょうどサッカー・ワールドカップのプレリミナリー・リーグが終わろうとしていたが、そのそれぞれの試合の最新結果をパソコンのインターネットで調べて、館内の掲示板に記していた。日本がリーグ戦を勝ち抜き、決勝トーナメント進出が決まった直後だったので、日本から来たというと、おめでとうと言ってくれた。
このなかでも、フリーWi-Fiがあると、掲示されていた。

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ブリテン島周遊クルーズ (48)

バンガー大聖堂
 やがてハイ・ストリートの終りに、バンガー大聖堂が左手に見えてきた。
Photo バンガーの歴史は、525年聖デニオールがこの場所に修道院を建てたことにはじまる。この修道院こそがバンガー大聖堂のはじまりであった。つまりバンガーの町は、この大聖堂とともにあったといえる。1073年にノルマン人により破壊されるが、やがて再建された。その後もジョン王やエドワード1世の攻撃を受け、修復と増改築が繰り返されたという。外壁は石造り、内部は白壁の木造建築である。15世紀に作られた木彫のキリスト像がある、立派な聖堂である。Photo_2
 私たちが訪れた時は、まだ午前9時半ころで、入り口に記してある開場時刻10時までには間があったが、堂内にいた上品そうなおばさんが、今はみんなで掃除をしているところであり、その支障がなければぜひ入ってください、と言っていただいたので、なかに入った。
 数人の地元の人たちが、ボランティアで早朝の掃除に励んでいる。身廊の脇に、幼児用のコーナーがあり、小さな幼児が備え付けの絵本や玩具で遊んでいた。私たちが来たのを見て、珍しく思ったのか、かくれんぼをするかのように、椅子の下に籠ってしまった。掃除に来ている人たちは、いずれもフレンドリーな人たちである。
Photo_3 大聖堂を出て、大聖堂のすぐ横にある公園を歩いていたら、外国からの訪問者とわかったからか、ひとりのおばあさんが声をかけてくれた。これから大聖堂に行くので、ぜひ一緒にいらっしゃい。少し前に事故があってステンドグラスが2枚壊れたの、それで募金を集めて修理して、今はすっかり良くなっているの、と話してくれた。遠方からたくさん人が来るけど、あまり大聖堂には来ないのよ、とも。ちょうど今さっき大聖堂を訪問させていただいたばかりです、これから大学に行きたいが、どの道を行けばよいでしょうか、と答えた。こうして大学への道を教えてもらい、そちらに向かった。彼女の親切と大聖堂に対する愛着は、よくわかった。

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ブリテン島周遊クルーズ (47)

バンガーの町
 8時52分発ロンドン行きという列車に乗った。この列車は。日本での快速電車に相当し、適宜停車駅を飛ばして、特別追加料金なしに6時間ほどでロンドンまで行くのである。すでに知った通り車内にはフリーWi-Fiがあり、私たちも他の乗客も、多くの人たちがスマホに見入っている。私たちには、日本の家族や知人と連絡が取れる貴重なチャンスなのである。Photo
 30分弱でバンガー駅に着いた。さすがにひっそりした感じの町である。観光インフォメーション・センターのようなものもなさそうで、頼りのマップは、唯一日本のガイドブックに掲載されているごく小さな図のみである。まちがった道に入らないよう、まず駅員にハイ・ストリートへの道を確認した。
Photo_2 バンガーは、ホーリーヘッドがあるアングルジー島とごく狭いメナイ海峡を隔ててブリテン島側に位置する人口13,700人ほどの町である。イギリスでは最小のシティの一つであるとともに、ウェールズにある6つのシティのひとつで、最古のシティでもある。古くはバンガー大聖堂の町として、近年はバンガー大学を中心とした大学町として広く知られているらしい。学生でない人の半数がウェールズ語を話すという。たしかに町の表記は多くが、まずウェールズ語で記され、次に英語表記が続く。
 まずバンガー大聖堂に向かって、この町のメインストリートであるハイ・ストリートを歩く。日本でいうと、昭和レトロのようなノスタルジックな町並みである。通りに面してスーパーマーケット、小さなホテル、雑貨屋、教会、など生活感のある店舗や施設がならぶ。どういうわけか、理容店の数がずいぶん多い気がする。
 ハイ・ストリートは、大聖堂の方向にゆるやかな上り坂となっている。

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ブリテン島周遊クルーズ (46)

ホーリーヘッド港からバンガーへ
Photo_2 ダブリンで2日間の滞在の後一晩の航海で翌朝、船はホーリーヘッドに入港した。ダブリンとホーリーヘッドは100km弱と近接していて、フェリー船などの交通も多い。ホーリーヘッドは、ウェールズの西北端にある岬のようなアングルジー島の西端にある。厳密にはアングルジー島からフォー・マイル橋を渡った西側のごく小さな島ホリー島にある。地理的好条件から、4,000年前からブリテン島とアイルランド島との接点として人々が行き来していたことが、考古学的に認められているという。1839年ロンドンーリバプール間に鉄道が開通したとき、アイルランド島とブリテン島との交通路としてリバプールに追い越されたが、まもなく1850年にホーリーヘッドの鉄道駅が設置されると、基幹的な積出港として復活した。Photo_3
 この地は、とりたてて観光名所があるわけでもなく、クルーズ船の人たちは思い思いに散策したり寛いだりする。私たちは、あまり情報はないが、ウェールズの地方の町をのんびり散策しようと、ホーリーヘッドから近いバンガーの町を訪れることにした。
Photo_4 桟橋のあるところから、クルーズ船会社が提供する無料シャトルバスで、鉄道のホーリーヘッド駅まで連れて行ってくれた。駅でバンガーに行く列車の発車時刻・運賃・到着までの時間などを聞く。この駅はかなり古くて閑散としていて、営業を縮小したのか駅員が一人しかいない。駅員への問い合わせにも待ち行列ができる。ここで同じクルーズ船にメキシコからきた娘・母・もう一人の若い女性の3人グループと居合わせた。彼女たちは旅に出発する前にメキシコで鉄道のオープン・チケットを購入済で、バンガーよりかなり遠いチェスターまで行くので、その列車を問い合わせるのだという。行列の待ち時間に、私は駅窓口の脇のパンフレット棚を探り、時刻表を見つけて列車を検索した。私の番が回ってきたので、時刻表で探した列車と時刻を駅員に確認した。駅員は、時刻表と5分ほど違う時刻を告げた。私が時刻表を示して再確認すると、列道の時刻はわずかのズレだが頻繁に変わる、いま最新情報をコンピューターで調べた、と答えた。外国の鉄道は、いろいろむずかしいと再認識した。

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ブリテン島周遊クルーズ (45)

ダブリントリニティ・カレッジの研究の一端
 せっかく大学に来たので、ひとつだけでも大学の研究にかんする見学をしたいと思い、サイエンス・ギャラリーという場所を訪れた。ここでは、アイルランド軍との共同研究として、宇宙関連開発プロジェクトを推進しており、その途中経過の展示報告があった。Photo
 植物の炭酸同化作用と光の波長との関係について、太陽系のうち地球に比較的近い惑星の光環境を疑似的に生成し、植物の生長速度を観察している。当然ながら地球の太陽光のスペクトルがベストだが、金星の光環境もある程度の期待が持てることがわかった、という。
Photo_2 人間のゲノム構成に近いDNAを持ち、かつできるだけ小さく軽い生物として、ミバエ(実蠅)fruit fliesがある。このミバエを、宇宙環境を模した環境に置いて、どのようにどの程度サバイバルできるかを3年計画で調べている、という。もっとも厳しいのは温度で、これはマイナス50からプラス50℃を超えると、とても生命は保つことができない。重力は、ミバエの場合は想定以上に耐える。光は青から近赤外までなら大丈夫、などのデータが蓄積されつつある、と。その他、地球環境の細菌・温度・ガスなどの変動の、シミュレーションによるサバイバルの検討、火山活動の活発化にどの程度まで適応できそうか、火山の変化が海中のプランクトンの生態にあたえる影響など、データを蓄積しつつある、という。
 説明してくれた女子学生は、大学院に進学したばかりだといい、研究がおもしろくてしかたがないという雰囲気であった。若い人たちは、世界のどこでも希望の星であり、こういう人たちと接するのは気持ちが明るく楽しくなる。今後一層の健闘を祈りたい。
 クルーズ船に帰って、グラスゴーの鉄道駅で知り合ったブラジル人3人組に会ったとき、彼らがダブリンのトリニティ・カレッジを訪れた時の話を聞いた。3人組のクール・ビューティ風の若い娘さんが、トリニティ・カレッジのオールド・ライブラリーの前で、この大学の学生に声をかけ、「オールド・ライブラリーに入って「ケルズの書」を見たいんだけど、時間がないの。どうしたらいい?」というと、学生がついておいでと言って、観光客の待ち行列とはまったく違う学内専用の入り口から、すぐに無料で中に入られて、3人でゆっくり見学した、と。おそらく、ここの女子学生とその父兄、という感じで、うまくやったようだ。残念ながら私たち老人の4人組グルーブには、学生風のヒトはおらず、真似はできない。

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ブリテン島周遊クルーズ (44)

ダブリンのトリニティ・カレッジ
Photo 国立考古学・歴史博物館を出て、前の道を北の方向に少し歩くと、トリニティ・カレッジのキャンパスに突き当たる。大学の入口は少し西側にあるので、さらに200メートルあまり西に歩く。すでに午後3時半をまわっていたので、入り口にいた学生さんに門限などがないか確認したが、5時半ころまでは大丈夫という。入り口のある校舎を突き抜けて、フェローズ・スクエアという広場に出た。広場の北側にはオールド・ライブラリーという図書館の建物がある。この中のロングルームというところに「ケルズの書」というケルト芸術の最高峰とされる世界的な貴重図書が展示されている、というので、大勢の人たちの待ち行列ができている。これも事前のインターネット予約が推奨されていて、当日からの入館はなかなか困難だ。当然私たちはあきらめる。Photo_2
 ダブリンのトリニティ・カレッジは、アイルランド最古の国立大学である。イングランド女王エリザベス1世により1592年創立され、400年以上の歴史と伝統があり、アイルランドでの最高の地位と権威を持つ学府である。私になじみのある分野では、1951年物理学の教授アーネスト・ウォルトンが、ノーベル物理学賞を受賞している。加速器を改良して、陽子をリチウムの原子核に衝突させて、ヘリウムの原子核に変換させることに成功した。世界最初の人工的原子核反応であった。他分野では、すでに触れたが、ここの卒業生であったサミュエル・ベケットが1969年ノーベル文学賞を受賞している。政治関係では、保守主義の先駆的思想家エドマンド・バークがいる。作家のオスカー・ワイルドも世界的に有名だ。政治家では、アウンサン・スーチーがここで学んだ。卒業生の有名人は、枚挙にいとまがない。

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