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グロムイコ回顧録

 アンドレイ・グロムイコは1909年現在のベラルーシに生まれ、1989年ベルリンの壁崩壊の寸前にソ連で亡くなった。この間、ソ連の外交をほとんど一人で50年近くも取り仕切ってきた。
 社会主義国の政治家の回顧録としては、ゴルバチョフの保守派クーデター失敗の顛末を書いたごく短いものを除けば、私にとってほとんど初めて読むものである。それにこのような回顧録のような書物がそもそも社会主義国には少ない。そういう意味でかなり興味と期待をもって読みはじめたのであった。
 この回顧録の特徴は、政治家としての自分の信条や考え、さらにその思考のプロセスがほとんど記述されていないこと、自分の感情を慎重に注意深く、差し障りのないものに限定して記述していること、ほとんどすべての思考がきわめて形式的な社会主義・共産主義の教義に閉じ込められたものであること、である。
 彼は自分自身、骨の髄までマルクス・レーニンを仰ぐ共産主義者であるという。しかし、共産主義者であるということは、自分の思考を否定し、ひたすらレーニン、スターリン、フルシチョフ、ブレジネフ、そしてゴルバチョフの考えと方針に盲従することなのであろうか。彼が外交上で出会い交流のあった人々について語るとき、個人的、感情的な差し障りのない範囲での好き嫌いには少し触れてみるものの、その仕事の基本的な評価は、自分のものであるというよりソ連の中央政局のものをそのまま踏襲することに徹底している。このため、彼の記述による各国要人の人物像はあまり生き生きとしたものではない。
 ソ連の外交方針は一貫して核戦力の廃止と世界平和の実現を目指すものであったとし、冷戦を激化させた責任をひとえに米国に帰する。その一方で、独ソ不可侵条約付属秘密議定書の事実を否定し、ポーランド、ハンガリーなどの東ヨーロッパへの各種の政治的介入は平然と肯定する。アフガニスタンへの介入も、西側の関与と異なり、歴史的経緯から当然正当化できるものとする。さらに中央政府ないしは共産党中央が決めた政策の方向について、国民や同胞がどのように考えているのか心配する態度は全くない。たとえば、ニクソンにしてもサッチャーにしても、ある外国と緊張状態になると、その国との関係を考えるのとほとんど同じ位のエネルギーを自分の国内の人々に対して向けている。こういうところが民主主義の実質的な長所なのであろう。グロムイコの回顧録は、その点でソ連の政治が国民をなんら省みていなかった傍証ともなっている。彼はただ、政府中央の意向のみを忠実に図って行動するだけでよかった。
 たしかに、ソ連外交のトップとして多くの外国のトップと出会い、その印象を述べている部分は、ある程度興味深い面もある。けれども、結局以上のような大きな限界から、米国、ドイツ、イギリスの自由主義国家の政治家の回顧録ほどおもしろくはないのである。グロムイコはどうみても非常に頭の良い人であり、きわめて優れた官吏であり、かつ政府のトップに対して自分がでしゃばりすぎるのを抑制することができた人であった。自分を根っからの共産主義者と定義できるような生真面目で慎重な、ある意味で面白みに欠けるような人であったからこそ、このように長期にわたってソ連の中枢に君臨できたともいえよう。世界の歴史からみれば、冷戦の一方のキーパーソンが、グロムイコのような経験豊かで生真面目な人であったことが、結果的に安定のきわどい保持に役立った面があると思う。彼は生まれて間もなく社会主義革命に遭遇し、それが音を立てて崩れさるその寸前に息をひきとった。社会主義に一生をささげた人としては、実に良いタイミングで生涯を過ごしたともいえる。(1994.11.12)

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