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従弟の死

  5月のゴールデンウィークの最中、一人の従弟の訃報を受けた。70歳であった。その人とは1年半ほど前、彼の母堂の葬儀で会ったのが最後であった。私より8歳年長のこの従弟は、私のなかでは大きな存在であった。
  さきの大戦で彼の父は職を失い、そのあと会社勤めや自営など職を転々としたが、生活力のある人ではなかったようだ。わが国は高度経済成長の最中であったが、一家の生活は貧しかった。従弟は一家の生活を助けるために、中学生のときから新聞配達をはじめた。やがて新聞配達に加えて、牛乳配達をはじめた。働きづめの少年時代であった。
  彼はときどき私の家を訪れて、一家の代表として、私の父と日々の暮らしぶりなどについて、いろいろ話し込んでいた。茶の間で話しているので、私は小学生であったが、側で話をよく聴いていた。考えてみると、当時彼はまだ高校生くらいだったはずだが、私には成熟した大人に思えた。8歳の年齢差だけでなく、一家の大黒柱としての存在感があったと思う。私の父も、幼少から壮年までずっと経済的問題と闘ってきたので、感じ会うところが多かったのかもしれない。
  高校を出ると、彼は小規模の貿易を扱う商事会社を自ら創設して、その経営に専念した。必要を感じて独学で英語をマスターして、アジア諸国を走り回った。高度成長の時流にも乗って、事業は順調に拡大した。3人の兄弟を含む一家を支え続け、弟を大学に進学させた。
  月日が流れ、自身の3人の息子たちもすべて家庭を持ち、2人の孫にも恵まれた。70歳近くにもなって、最早自ら働かずともよいはずと傍目には思えたが、本人にとっては創業した会社は自分の子供と同然だったようだ。バブル崩壊以来、事業は不振を続け、事業経営にはいろいろ悩みが絶えなかったらしい。結局、生涯ずっと働きづめの人生であった。
  さいわい私自身は父のお蔭で経済的な苦労を経験しないで済んだが、彼の奮闘を間近に見ることで、私の人生観に緊張を加えることができた。彼は単なる従弟というのみでなく、尊敬する人生の先輩のひとりであった。
  長い間、ほんとうにご苦労さまでした。ようやくゆっくりできますね。ゆっくりやすんでください。

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