2017年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
フォト
無料ブログはココログ

« 原発事故の「被災」は政府の人災である | トップページ | カンディンスキーと青騎士 兵庫県立美術館 (2) »

カンディンスキーと青騎士 兵庫県立美術館 (1)

  兵庫県立美術館で「カンディンスキーと青騎士」と題した企画展があった。「青騎士」というグループは、私は名前だけでほとんど内容を知らないが、カンディンスキーはピカソなどとならんで抽象絵画では高名である。フランスではなく、ドイツで活動を続けた画家という点でも興味深く、家内と一緒に鑑賞に出かけた。
  カンディンスキーは、1866年にロシアのモスクワに生まれた。わが国の明治維新の直前に誕生したことになる。モスクワ大学で法律学と政治経済学を修めた学究肌の人物であったらしい。周囲は大学に残って学者になる、というコースを期待したという。しかし彼は、当時のヨーロッパ画壇を制覇していた印象派の巨匠 クロード・モネの作品に魅了され、1896年、30歳にして一大決心をして画家を目指して、ミュンヘンに渡った。当時ミュンヘンでは、フランツ・ファン・レンバッハが偉大な肖像画家としてミュンヘン芸術家協会のトップとして画壇の頂点をきわめていた。レンバッハの作品として「オットー・フォン・ビスマルク侯爵」(1895)の肖像画が展示されている。80歳にしてまだ矍鑠として政治に熱意を燃やす大政治家の風貌を、性格や内面にまで見事に表現している。レンバッハは「自画像」(1903頃) も展示されている。学者風の神経質そうな、生真面目で理知的な風貌である。
  レンバッハをリーダーとするミュンヘン芸術家協会のアカデミックかつオーソドックスな方向に対して反発してミュンヘン分離派を創設したのが、フランツ・フォン・シュトゥックであった。ミュンヘンの美術アカデミーで教えていたシュゥックに師事したのがカンディンスキーであった。しかしまもなくカンディンスキーは、シュゥックの芸術に飽き足らず、仲間と共に新しい美術を目指してファーランクスという芸術集団を創設し、その方針にそった絵画教室を設立した。1901年ころ、その生徒としてめぐり合ったのが、そのあと長らくパートナーとなったガブリエレ・ミュンターであった。カンディンスキーは、絵画の新しい表現の創出に没頭していたこともあって、ミュンターをモデルとした肖像画はめずらしいけれども、唯一ミュンターの肖像画が残されていて、今回展示されている。
Ws000056

人気ブログランキングへ

« 原発事故の「被災」は政府の人災である | トップページ | カンディンスキーと青騎士 兵庫県立美術館 (2) »

美術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1444830/40376143

この記事へのトラックバック一覧です: カンディンスキーと青騎士 兵庫県立美術館 (1):

» 「カンディンスキーと青騎士」展(兵庫県立美術館) [I my me gallery blog]
6/24に兵庫県立美術館にて「カンディンスキーと青騎士」展を鑑賞しましたので感想を書きます。この展覧会は2011/6/26まで兵庫県立美術館にて開催された後、山口県立美術館で2011/7/5から9/4まで開催されます。いま詳しい内容や批評を読みたくないという人はここから下は読まないでください。――――――――――――「青騎士」とは20世紀初頭のミュンヘンにおいて若き日のヴァシリー・カンディンスキーを中心に立ち上げられた革新的芸術運動である。この展覧会ではカンディンスキーを中心に、青騎士の主要メンバー... [続きを読む]

« 原発事故の「被災」は政府の人災である | トップページ | カンディンスキーと青騎士 兵庫県立美術館 (2) »