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「海の幸」 青木繁展 京都国立近代美術館 (2)

  青木は、明治37年(1904) 美術学校を卒業すると、久留米時代からの親友であった坂本繁二郎や、画塾で知り合った恋人の福田たねをともなって千葉県房総半島南部の海岸 布良(めら) に滞在し、多数の海辺の作品を創作した。フランス印象派の作品を思わせるような光と生命感を溌剌と表現した何点かの「海」(明治37年 1904) がある。そして、彼の代表作として広く知られる「海の幸」(明治37年 1904) がこのとき制作された。地引き網漁の様子を見てきた人たちから聴いた青木は、自らは直接その情景を見ることはなく、想像の世界でこの作品の画面を創作して、時間をかけて大作に仕上げたという。この作品は、私たちも小学校時代から教科書で何度かみたことがあり、よく知っているものである。ミクロには鋭く力強い線、マクロには整然と統一された焦点の明確な構図、画面一杯を使って躍動感と迫力を演出する配置など、見るものに強いインパクトを与える絵であり、眺めていて飽きることがない。

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   こうして卒業直後の明治37年(1904) は青木にとって、豊饒な年であった。
  翌明治38年(1905) には、福田たねとの間に長男蘭童が誕生した。青木は結局、たねとは正式に婚姻することなく、子供はたねが実家に引き取って育てた。この蘭童は、後に音楽家(尺八奏者)かつ作曲家として活躍することになる。福田たねとは、ともに絵画を学ぶ同志であり、いくつか絵画作品を合作してもいる。このたねを描いた肖像画が展示されている。「女の顔」(明治37年 1904) である。美しく描くというより、強い意志を持つこの人の内面を表現しようとした絵である。
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