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あるイタリア人

  仕事で知り合ったひとりのイタリア人がいる。私より3歳年少で、イタリアのある電子機器メーカーの最高幹部のひとりである。イタリアの自宅は18世紀に造られた古い建物の内装を更新したもので、延べ床面積は700平方メートルもある広大な屋敷であるという。米国と日本に長期滞在した経験があり、したがって米国と日本の実情にかなり詳しい。彼の、日常生活に関する意見が興味深い。
  彼は、米国では日用品が非常に安いが、良いもの、購入して是非使ってみたいと思うものが全くといって良い程にない、という。日本では、良い品物もたくさんあるが、値段が非常に高いという。イタリアでは、良い品物が妥当な価格で買えるので、結果として生活の質はイタリアでこそ非常に高いものが享受できるのだというのである。
  たとえば、現在彼は通常アルマーニのスーツを着用し、靴は革底で手縫いのものしか使用しない。これは彼によれば、ブランド好みでもなく贅沢嗜好でもないのだという。お金がなくて、安価な品物しか購入できないのであれば、決して無理をしてそういった品物を使うべきではないが、そういう品物をもし無理せずに買える立場にあるのなら、使用して心地よい、妥当に良い品物を使うのが彼らにとってごく普通の感覚なのだというのである。
  これに比べると、米国人はそのような種類のこだわりは少ないのだろう。大きなモールの商店、デパートなどを眺めても、実用的で比較的安価な品物がそろっているが、いわゆる高級品というものは極めて少ない。アメリカ人は、経済的に余裕ができても、身につけるものにこだわらない面がある。ビル・ゲイツがポロシャツとジーンズで勤務していたりする。こういう習慣はひとつの文化であって、どちらが良いとか悪いとかいうものではないだろう。
  一方、わが国では、私のように実用本位で安価なものを愛用している人種と、ブランドにこだわる人種とが居る。そして、そもそも「良いもの」という類の品物が非常に高価である。彼の経験によれば、ほとんど同じものが、日本ではイタリアの約2倍の価格で販売されているという。そういう状況では、彼はイタリアで購入して使用するような品物を、日本で購入して使用する気になれないことがあるともいう。
  彼の話しを聴いていると、彼のようなイタリア人は、ブランド嗜好というのと少し違う、もっと実際的な意味での生活用品に対するこだわりがあるようである。彼によれば、ある程度以上の良い品物は、ともかく使用していて快いから、そういうものを求めるのだという。そういうこだわりは欧州では米国よりも一般により強く、とくにイタリアのような芸術的感性に関心の高い国ではより一層そうなるのではないかというのが彼の意見である。
  元来、ブランド品といわれるような商品は、そういう自然で自発的・内面的なこだわりを満たすために発生したものなのかも知れない。彼個人が欧州やイタリアを代表するわけでもないだろうが、使ってみた上での快適さや安心感から離れて、虚栄心や外面的な価値にこだわる方向でのブランド指向とは少し異なるこうしたこだわりを、あらためて発見する。
  イタリアは日本と同様、第二次世界大戦で敗戦し、その直後の非常に貧しい時代にわれわれは生まれた。われわれの親の世代は、大変な苦労をして子供を育て、教育を受けさせてくれた。われわれはいやおうなく、親の貧しさ、苦労を身近に感じることができた。この結果、われわれはたとえ直接貧困や飢餓を経験せずとも、精神的にはきわめてハングリーなところを植えつけられており、貧困に対する恐怖心から追い立てられて、懸命に勉強した世代である。こういう傾向は、イタリアと日本とほとんど同様らしい。
  私も子供の時、両親につれられて行ったデパートが、日頃身近に見る機会のないとても豊かで華やかなモノにあふれていることに驚き、深く感銘したことを覚えている。次から次へと無限に続く豊かなモノのなかについつい迷い込み、場内放送で迷子の呼び出しをお願いするという事件になったこともある。その時代の記録フィルムをテレビなどで現在見ると、当時のデパートの店内は決してモノが豊富とは思えないのだが、当時の私にとっては途方もなく豊かで夢のような世界であった。今では、デパートに行って店内を見て回っても、モノの多さにいささかうんざりするような状況である。私の子供の世代も同様な感覚であろう。こういう感激を失うのは、やはりひとつの不幸と思わざるをえない。
  彼は、今やイタリアも日本も、若い世代が豊かさに甘んじてしまって、かつて存在したハングリー精神が喪失し、さらに目的まで失ってしまうという危機に瀕していると言う。私も身近な範囲でそういう傾向を感じて懸念しているが、イタリアも事情は同じであるということらしい。(2000.4.23)

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