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英霊の顕彰

  米国に仕事で出かけた。いくらも自由時間がなく、街を見学する時間はわずかであったが、それでもスキニアテレス村の小さな公園や、フィラデルフィアのインディペンデンス国立記念公園、そしてボストンのオックスフォードスクエア付近などを散策した。
  フィラデルフィアのインディペンデンス国立記念公園には、戦争記念館がある。独立戦争のころの戦争技術の進歩を展示した博物館だが、その一部には、第二次世界大戦やベトナム戦争で戦死した人々の顕彰碑がある。シラキュースに近い静かな美しい村スキニアテレスの、スキニアテレス湖に面した小さな美しい公園には、スキニアテレス出身の戦死者の顕彰碑がある。ボストンの中心街にも、やはり戦死者の顕彰碑がある。今回目にしたものだけでなく、米国では、各地、各街ごとに地元出身者の戦死者顕彰碑があり、丁寧に奉られている。
  ある程度親しくなった相手に限られるので、私の場合決して十分多くの人々に質したというわけではないが、多くの米国人の意見として、第二次世界大戦は全体主義に対して戦った正義の戦いであるが、ベトナム戦争は介入しない方がむしろ良かった無駄な戦いであったというものである。もちろんベトナム戦争も、共産主義のファシズムに対して戦った正義の戦いであったと主張する人も大勢いる。ともかく、戦争に対する是非については、それぞれの戦争ごとに、また人ごとに、評価は異なり一様ではない。しかし、戦死者に対する尊重の気持ちは、ほとんど一枚岩なのである。これらの戦争で貴重な命を失った人々を、心から悼み尊敬する、という強い一体感がある。
  ひるがえってわが国では、未だに英霊に対して素直に尊重できない雰囲気が根強く残っている。政府高官が靖国神社に参拝すると、進歩派と称する人々やマスコミが執拗に問題視するという風潮がある。
  私も第二次世界大戦における日本の行動について、多くの問題があったことはその通りだと思う。しかし、現在の左派の人々が言うように、すべてが間違いで否定されるべきものだという見解ではない。いかなる戦争も、その規模、損害の大きさ、勝敗のいかんに関わらず、本来避けられるべき過ち、判断の間違い、行動の問題などを含むものであり、その正しい評価ができるまでには、相当長い時間を要すると思う。第二次世界大戦の冷静な評価のためには、偏見を免れた事実に基づく丹念な研究とともに、まだ少し時間が必要だと思う。
  しかし、いかなる戦争であれ、祖国のために戦い、貴重な生命を捧げた先輩たちを、心から顕彰することは、後に続き、そのお蔭を被る我々国民の最低限の義務ではないだろうか。
  人間として、国民として、イデオロギーや思想・信条にかかわらず、こうしたごく当たり前のことができない現在のわが国の風潮は、いかにも不自然であり、不健康である。私は素直に、英霊に対して頭を下げ、手を合わせたいと思う。(2000.4.23)

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