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ワシントン・ナショナル・ギャラリー展 京都市立美術館 (1)

  「芸術の秋」絶好の秋晴れの一日、家人とともに京都市立美術館に「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」を鑑賞した。会場の京都市立美術館に着くと、入り口前に2列の長蛇の列ができていて、まず驚いた。幸いにして長い方の列は、開催最終日を間近に迎えるもうひとつの展覧会「フェルメールからのラブレター展」であり、私たちが目指す催しの方は待ち行列がはるかに短くて、すこしホッとした。以前東京で聞いたことがあるが「東京では人々は催しの当初に殺到するが、関西では催しの最後に殺到する傾向がある」という指摘が事実であるらしい。
  アメリカ合衆国の首都ワシントンにあるナショナル・ギャラリーは、アメリカ歴史上有数の富豪のひとりであったアンドリュー・メロンが、1937年寄贈したコレクションと基金に基づき、1941年創設された。すでにカーネギー・メロン大学などを創設したアンドリュー・メロンは、イギリス大使を勤めたときロンドンのナショナル・ギャラリーを見て、アメリカにも国立美術館を創設したいと考え、その夢を実現したのだという。このたび開館70周年を迎えて大規模改修工事を行うにあたり、大規模なコレクションの中から、印象派とポスト印象派の作品83点を日本に運んで、今回の展覧会となった。
  わが国の幕末にあたる1860~70年代のフランスでは、ようやく開発されたチューブ入り絵具の携帯利便性を活用して、暗い室内で聖書や神話からの題材、歴史的なシーン、あるいは肖像画を描くというに止まらず、画材を持参して明るい戸外に出かけ、森林や田園のなかで、陽光に輝く自然の風景を写実的に描こうとする活動があった。バルビゾン派と呼ばれ、これが印象派の先駆となる。このグループに属するのが、ジャン・バプティスト・カミーユ・コロー、ウジェーヌ・ブーダン、ジュール・デュプレなどである。これらの画家たちの絵も、たしかに陽光の明るさと解放感が感じられ、おだやかで美しいが、続いてエドュアール・マネの作品が出てくると、油彩としての魅力がやはり一段増強されるように感じる。「牡蠣」(1862) で確かな写実能力を実証したマネは、「オペラ座の仮面舞踏会」(1873)で、意図的に画面から溢れるように多数の人物を描き込み、会場の立体的広がりとともに猥雑さを含む人々の喧騒を見事に表現した。同じころのアンリ・ファンタン・ラトゥール「皿の上の3つの桃」(1868) は、独特の描写法で質感を表現した不思議な魅力ある作品である。

Photo
  エドュアール・マネ「鉄道」(1873) は、表題の鉄道や機関車は一切描かれず、ただ鉄格子を隔てた白い煙のみが描かれる。そして画面には、母か姉と思われる座って本を読む年長の女性と、白い煙の方向を見つめる幼い少女の後ろ姿とが、大きく描かれている。同じ青と白を、少女には白を主に、年長女性には青主体に使い分け、二人の関係性と立場の相違を表す構想も見事である。中産階級の台頭と鉄道などの新しい技術・文化の出現を象徴しているのだろう。今も新鮮だが、当時は新時代の到来を、より一層印象づける作品だっただろうと推測する。
  「写実主義」を主唱したギュスターヴ・クールベの「ルー川の洞窟」(1864) は、非常にインパクトがある。画面まんなかの大部分を洞窟の暗闇が占める思い切った構図で、見つめる者にさまざまなことを考えさせるものがある。

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