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「河内屋可正旧記」と河内国石川郡大ヶ塚村(1)

0001  江戸時代前期の上層百姓が記した貴重な知性の記録として「河内屋可正旧記」というエッセイがある。近世の文化史のうえできわめて重要な位置を占めるこの書物の舞台である河内国石川郡大ヶ塚村(だいがつかむら) の跡を、実際に訪れてみたいと思い、冬の晴れ間をみて散策に出かけた。

   「河内屋可正旧記」と現代人によって名付けられたこの書物は、全19巻からなる内容の多い書であり、ながらく第一巻から第三巻、そして第十一巻が散逸して欠けているとされていた。それがごく最近、近世史研究者の山中浩之氏により第一巻から第三巻が発見され、近いうちに追加して刊行されるという。
  この書物は、元禄から宝永年間(1690~1710ころ) に、この地大ヶ塚の上層百姓であった河内屋五郎兵衛によって記されたものである。河内屋五郎兵衛は、寛永13年(1636) この地に生まれた。先祖を清和源氏と主張しており、祖父源助の代、永禄期に上河内村から大ヶ塚に移住したという。源助は近江に出て酒造を学び、その富により大ヶ塚の有力者となった。しかし慶長19年(1614) 大坂冬の陣のとき、寺内町であった大ヶ塚にも暴徒が襲い、鉄砲にあたって討ち死にしてしまった。幸い源助の妻 妙意は気丈な女伊達であったらしく、二人の息子を女手ひとつで立派に育て上げ、息子は河内屋として親譲りの酒造の商いに励み、再び村の有力者に復興することができた。この二人の息子のうち、弟 清右衛門31歳のときの子が本件の主人公 後の五郎兵衛、童名 五兵衛である。
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  五兵衛は、河内屋の名声と富に支えられて、早くからよく学問に励み、儒仏、和歌・俳句、さらに能楽にも精を出した一流の教養人であった。
  この近世前期の地方(じがた)の教養人の故郷を、一度訪ねてみたい、実際に見てみたい、というのが今回の散策である。大が塚は観光地ではなく、当然時代も変わり、その土地の風情もすっかり変わっているだろうが、なんらかの昔を偲ぶ縁があるやも知れない、というかすかな期待をもって、のんびり出かけたのである。

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