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石川から大ヶ塚へ 河内 大ヶ塚散策 (2)

1_01  近鉄 南大阪線 富田林駅から金剛バス乗車 約10分で大が塚バス停に着く。その途中、バスは石川を渡る。かつては大和国から発して西に向かう大和川は、河内国の現在の藤井寺市に入って南の方向から流れる石川と合流し、ほぼ直角に北に方向を変えて流れる大河川であった。宝永元年(1704) それまで北流して淀川に合流していた大和川を、大坂中心部の水害を防ぐ目的で堺の方に向かって西流するように付け替える大規模な普請が行われた。これ以後、大和川は堺に向かって西に流れるようになったのである。一方、石川は以後も変わらず河内の大河川であり続けた。富田林、大ヶ塚をはじめとするこの地方の灌漑と交通を支えた母なる川である。
  やがてバスは大ヶ塚バス停に到着する。大が塚は楕円形で長辺450メートル、短辺400メートル弱くらいの小さな丘のような地形である。バス停からカーブを描く阪を上って町内に入る。この道は南町通りで、まっすぐ行くと、かつて河内屋五郎兵衛が住んでいたとされる場所に至る。ちいさな車でもすれちがいがむずかしそうな狭い道だが、いまでは舗装され、両側にはいわば昭和風の住宅が建ち並んでいる。1_01_2
  道路は、中世の昔から碁盤の目のように整然と東西と南北に走っており、この地が計画された町であったことを示している。
  いまではすっかり2階建てなどの建物が建ち混んだので、町の中心部の道から町の外を眺めることはむずかしいが、これだけ高い土地で、周囲はいまでも水田が残る平地なので、かつては360度の全方位を眺め下ろすことができたのだろう。
  河内屋 壺井五郎兵衛は、可正と号していた。彼は、50歳のとき隠居し、この場所に居宅をたてた。このころから70歳くらいまでの間に、子孫と地域の人々に対して、教訓、教えをこめて記したのが「河内屋可正旧記」であった。

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