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安井仲治の位置 兵庫県立美術館

1_2   兵庫県立美術館のコレクション展の小企画として「安井仲治の位置」と題した展示があった。昭和初期に活躍し、戦中にわずか38歳で死んだ写真家 安井仲治の作品展である。今回展示されたのは、安井仲治の遺族から提供された、戦災の焼失を逃れたネガによる30点の新しいプリントである。
  安井仲治は、明治36年(1903) 大阪市東区(現在の中央区)に生まれた。父は、船場に洋紙を商う店を経営していた。裕福な家庭に育った安井仲治は、幼いころから文学や美術に親しみ、早くも十代半ばから写真を撮るようになった。当時としては、とても珍しいことだったろう。18歳のとき、浪華写真倶楽部に入会し、まもなく主要なメンバーとなった。昭和3年(1928) には「銀鈴社」を結成、さらに昭和5年(1930) には、すでに前衛写真の先駆者として名声を得ていた上田備山とともに丹平写真倶楽部を設立した。丹平という名は、創設したときの集会所が、丹平商会という会社が所有する「丹平ハウス」という名のビルのなかにあったからである。
  初期の作品に、「凝視」(1931) がある。しっかりした写真技術のうえに、アートとしての表現意識を鮮明にあらわした作品である。2_2
  その少し後に、「犬」(1935) という作品がある。実験動物として飼育されている犬を撮ったものと推測される。少し斜めから撮影することで、犬の運命の不安定さ、儚さを、犬の心理に立ち入って的確に表現している。
  さきの大戦中で、さらに安井仲治にとって晩年に相当する昭和16年(1941) の作品に、「流氓(るぼう) ユダヤ」という一連の作品群がある。当時、東欧から難を逃れて一時的な滞在場所として日本にやってきたユダヤ人が多数いた。その多くは神戸に滞在し、およそ6,000人近くもいたという。その人びとの不安げな表情を撮った写真が多数ある。
  安井仲治は、当初は絵画表現を意識したアートとしての写真を目指した。やがて「写真に帰れ」と主張し写真の独自性として「機械性」と「社会性」を発揮することを説いた伊奈信男にも影響を受け、さらにそのあと、被写体の内面に迫る独自の境地を追求していった。
3   全部で30点という、そんなに数の多い展示ではないので、私には、安井仲治という写真家を詳しく理解することはできない。ただ、戦前の、カメラの機械自体が未発達のこの時代に、撮影したいタイミングを逸することなく、しっかり思い通りの撮影を達成するということは、現代ほどに簡単ではなかったと考えられる。そういう条件下で、このような表現と記録が実現できたのである。残された写真は、いずれもほとんど古さを感じない。森山大道が安井仲治を敬愛していた、というが、それもわかるような気がする。

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