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恩地孝四郎展 横浜美術館

 横浜美術館開館5周年記念展覧会としてわが国の版画美術の草分け的存在である恩地孝四郎の個展があった。私にとって、この作家の名前は初めてである。
 恩地孝四郎は明治24年(1891 年) 東京に生まれ、竹久夢二に傾倒し、東京美術学校在学中から親友であった田中恭吉、藤森静雄と3人で、木版画と詩の同人誌「月映(つくはえ)」を発行して活動していたという。この作家の作風は自らもいうとおり「抒情画」であるというが、内容は私にはきわめて詩的でかつ理知的に思える。萩原朔太郎、北原白秋などの文学者たちとの親交も関係あるのであろう。
 まず彼の絵は何か艶めかしい、性的なイメージが濃厚である。「裸形の苦しみ」、「たたよへるもの」、「抒情」などの連作は、明らかに性に関する人間の煩悩を基調にしている。ごく初期の絵には、竹久夢二の直接的な影響が感じられるが、上記の連作などは、情緒的というより、理知的でかつ官能的である。すでに大正時代から、絵は現代の抽象絵画を思わせるような幾何学的図形と鋭い直線を多用した構成で、見るものにさまざまなイメージを想像させる。
 中期の具象画の一連の作品は、この作家が具象画の技術においても、人並み優れた能力をもっていたことを証明している。「少年」という作品は、これから未知の世界へ入ってゆく少年の不安、恐れ、と同時に期待、希望を清新に表現した絵である。版画の作家として有名ではあるが、私はこのような比較的小さな画面にしっかりと描かれた油絵は好きである。
 詩画集「海の童話」も印象深い作品である。短い詩のような文章と、たっぷりとった余白と、そして簡潔ですっきりした艶めかしい絵とが、この作家独特のさりげなく、しかし深い世界を形成している。女体の形としての、存在としての魅力を、自然のなかに昇華しようという試みのように思える。
 この作家は、人体の造形に非常に傾倒しており、すべての造形の究極は人体、とくに女体に収斂すると考えていたようである。「人体考察」というタイトルの一連の作品は、人体の絵画的要素を分析、抽象化し、自分の創作活動の道具を整理したような作品群である。「人体考察(髪)」というのは、人間の髪が、ときには繰り返しを、またときには直線を、べつのときにはかたまりを、それぞれイメージさせることを表現している。
 「海の属」「山の属」「野の属」の連作は、それまでの直線と幾何学的図形をベースにしたトーンからうってかわって、生物独特のやわらかい曲線と平面のひろがりを重視した構成となっている。最初見た瞬間はなにという印象もないが、じっくり見つめているとそれぞれに味わいのある形や色であることに気づく。
 一連のフォトグラムの作品も、この作家が人の感情に働きかける自然のなかの、とくに生物の形を追求した結果であると考えられる。すべてモノクロームの世界であるが、生物がもつ、複雑で気になるさまざまな形態が収集されている。
 この作家はまた、本の装丁で有名であり、本人もその仕事を非常に大切にしていたらしいが、現在の私には、この分野の作品で印象深いものはなかった。
  戦後の一連のエネルギッシュな活動は、戦前と少しことなる興味深いバラエティを示している。戦後すぐの「あるヴァイオリニストの印象(諏訪根自子像)」は、米軍駐留兵の前で演奏する毅然としたヴァイオリニストの孤独と気骨を遺憾なく表している。淡い青色を基調とする版画「朝」は、私が非常に気にいった作品である。このような清新で爽やかな版画は、大好きである。
 アレゴリーという一連の作品のなかでは、「アレゴリーNo.1 家族」と「アレゴリーNo.2 廃墟」とが印象強い。前者は戦中、戦後の混乱で、改めて問いなおされる家族の絆を、文学的なタッチで版画として表している。後者は、戦乱ですべて意味あるものがよこたわって死滅し廃棄された、荒涼とした風景を、ちぎれて転がされた人の頭部、裸にされ棄てられた女体、そして荒れ果てた街の風景で表している。
 ポエムというグループのなかでは、「五月の風景」という作品が好きである。淡い黄色と、少しやわらかい黒を組み合わせた抽象的な絵であるが、なにか希望と暖かさを感じることができる。
 イマージュという作品群では、何といっても最後の作品とされる「イマージュNo.8自分の死貌」が強烈である。画面なかほどの少し右下に配置された、あまり大きくはない黒いアメーバ状の形が、なんとも不気味である。この黒い、生物あるいはその死を連想させる図形は、「フォルムNo.14 グロテスク」にはじまり、「リリックNo.13 日本の憂愁」「リリックNo.18 絶望の強制」などで発展してゆくイメージであるが、作者の不安、あるいは恐れを表しているように感じる。
 彼は若いころ同人誌のなかで、自分は抒情画家として、見る人に「理解」を求めることはしない、「共感」してほしい、と述べている。「理解」は作る側と見る側の双方に充実感が欠けていても成立するが、「共感」は双方が共に充実していないと達成できないからであるという。彼は本来非常に理知的な人であるが、感情を大切にした。その結果、人の感情に係わる要素を深く考察し、分析し、自分の方法で表現することに一生をかけたのであろう。(1994.10.16)

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