2017年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
フォト
無料ブログはココログ

« ギュスターヴ・モロー展 国立西洋美術館 | トップページ | 水間鉄道「水間観音」駅 貝塚散策 (1) »

「ボストン美術館の至宝」展 そごう横浜店

 そごう横浜店で、19世紀のヨーロッパ風俗画の進展を軸にしたボストン美術館の所蔵作品による展覧会があった。一般に通常の美術館とちがってデパートの美術展は、展示作品数が少ない割りに入場料が高く、しかも多くの場合異常なまでに混雑しているというのが、私のこれまでの率直な印象で、したがって基本的にはこのような展覧会には行かないというのが通常であった。しかし、先日美術研究家である村田慶之輔氏の講演で、最近ではデパートでも優れた学芸員を擁するところもあり、企画展でも一般の美術館に劣らない立派なものがあるのだということを聴いたこともあって、一度見てみようということになった。
 タイトルは「ボストン美術館の至宝展──19世紀ヨーロッパの巨匠たち」という大げさなものであるが、実際の内容は、19世紀の前半から後半の数十年にかけて、それまで芸術性が認められていなかった「風俗画」が、資本主義ブルジョアジーの成長と社会の変化にともなって、急激に第一線の芸術に成長してゆく過程をたどったものである。
 最初に展示されているのは、バルビゾン派の巨匠といわれるジャン・フランソワ・ミレーである。それまで宗教画や歴史画、あるいは貴族の肖像画しか認められていなかったころに、薄汚い百姓の生活を丹念に描いたこの一連の作品は、当時としては非常に特異なものであったことであろう。大きな大聖堂やお城の薄暗い大きな壁に飾る宗教画や肖像画の影響が未だ残っているのか、全体に暗いトーンの色彩で描かれている。しかし、厳しい労働に勤しむ貧しい農民の日常生活に対して、深い関心と暖かい愛情が注がれている。有名な「種をまく人」、めずらしく明るめの背景を使った「馬鈴薯植え」、美しい夕映えの背景と過酷な労働を混み合わせた「洗濯女」、貧しいなかにもほのぼのとした農民の家庭生活を描いた「編み物を習う」など、芸術家の眼が貴族だけでなく、なんでもない普通の農民の生活にも向けられるようになったことを、文学的に表現している。
 少し後のエドガー・ドガになると「競馬見物の風景」など、急に明るく現代的なタッチの絵になるのは、時代の影響よりも画家個人の個性なのであろう。たしかにドガの絵は、今見てもとても新しい。筆のタッチが19世紀を超越して20世紀の末まで飛んでいるかのようである。同じころの異国趣味の絵画であるジャン・ジェロームの「ムーア人の浴場」、アルフレッド・ティソの「瞑想」などと比べると、その絵画の技術の現代的なことに驚くのである。ジャン・バティスト・カミーュ・コローの「草刈り」は、草刈りをする若い女が、作業の休憩時に画家に向かって微笑んでいる自然な仕種を見事にとらえた作品である。肩から服が少しずれ、口を半ば開いたその顔は、決して乳房などを露出したりするわけではないが、健康で開放的なエロチシズムを感じさせる。この場合は絵画の技法としては新しくはないが、内容の視点は中世やルネサンス、さらにそれに続く近世をはるかに越えて、現代へ突き進むものである。
 イタリアのティトの「ベニスの風の日」という作品は、ベニスの街の日常風景を描いたまさに風俗画である。画面の明るさ、いまにも画面を飛び出して動きだしそうな子供や女の動き、その衣服の風になびく様など、写実自体も実に素晴らしいが、何よりも感じたのは、いわゆる「洋画」なるものが、本来ヨーロッパで取れた土から採取した顔料と、やはりヨーロッパで採った油とでつくった「油彩」を用いて描いたものであり、結果として極めて自然にヨーロッパの風景、土、空気を表現できるものである、という事実である。やはりこんなにも自然にベニスの街の「肌触り」を表現できるのは、それこそここで採れる材料を使うためであろうと思ってしまう。ウジェーヌ・ブータンの「海辺の人々」もそういう意味では同様である。
 最後の方には、モネの「音楽の授業」、クロード・モネの「庭のカミーユ・モネと子ども」など、有名な印象派の作品が出てくる。ここまで来ると当然のように明るい太陽の光が遺憾なく表現されている。大聖堂や貴族の大きな城のなかの薄暗い蝋燭の光でなく、合理的なブルジョアジーの近代的な家のなかで、大きな窓から入ってくる明るい太陽の光によく整合するのであろう。ピェール・オーギュスト・ルノワールの作品も、いくつか展示されている。「ブージヴァルの踊り」をはじめ、これらの作品を眺めていると、やはりルノワールは凄いと思う。小林秀雄は彼を「芸術の職人」と言い、芸術の抽象的な思考においては深みがないかわりに、職人的な技量において抜群であったとする。この見方はおそらく正しいと思うが、私は敢えてもうひとつ「描かれる対象に対する暖かく深い愛情、あるいは愛着」という要素を加えたい。彼は希有な優れた芸術家であったことに変わりはない。
 オランダの画家ヨーゼフ・イスラエルスの3点の作品は、19世紀というヨーロッパにとって大きな変革の時代をよく表現している。「別れの前日」は、幼い事情のよく理解できていない子供の前で、明日からの生活を考えて途方に暮れる母親の姿を見事に描いている。表現方法や絵画のタッチは古典的であるが、表現する内容は近代文学のものである。
 わずかに四、五十年の間であったが、近代資本主義が発達した19世紀半ばに、社会の急激な変化にともなって、芸術においてもこのような大きな変革があったということを目の当たりにすることができたということ、さらにもうひとつは「油彩」の本場での本格的な洋画を満喫できたということで、この展覧会も印象の深いものであった。(1995.6.24)

人気ブログランキングへ

« ギュスターヴ・モロー展 国立西洋美術館 | トップページ | 水間鉄道「水間観音」駅 貝塚散策 (1) »

美術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1444830/45660333

この記事へのトラックバック一覧です: 「ボストン美術館の至宝」展 そごう横浜店:

« ギュスターヴ・モロー展 国立西洋美術館 | トップページ | 水間鉄道「水間観音」駅 貝塚散策 (1) »