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社会保険庁不祥事と年金から騒ぎ

  最近、社会保険庁が扱う年金をめぐる不祥事が、連日メディアを賑わしている。5,000万件にのぼる帰属不明の年金記録が発覚し、さらにそれ以外にも多数のコンピューター入力ミスがある、などなど。さらに、支払った自分の年金の帰属が認められず、窓口に駆けつけた加入者が、ずっと以前の領収書など確証がないという理由で、冷たくあしらわれる、とにかく窓口の役所的対応がなっていない、など加入者の経験にもとづく不満も爆発した。新聞やテレビなど、マスコミは監督官庁最高責任者である厚生労働大臣を一斉に攻撃し、安倍首相の政治責任を追求している。
  少し前には、やはり社会保険庁が管轄するグリーンピアなどの保険基金による保養所が、購入価格よりもはるかに安価に民間に払い下げられ、多額の差損を発生したことを、野党やメディアが指摘、追求していた。
メディアは「普通の民間会社なら、そもそもこのような杜撰な事務管理をすれば倒産する。また、このような杜撰な事態が発覚したら、厳しい処分を受ける」と指摘している。
  たしかに、社会保険庁の事務の杜撰さはひどいものであり、責任を免れない。このような事態を、ただしく監視、監督できなかったことについては、厚生労働省に責任がある。しかし、現在のような感情的な社会保険庁叩き、あるいは政府攻撃は、問題の解決に結びつく本質的な議論とは決してならない、と私は思う。
  多くの年金加入者が、人生の途中で職場を変え婚姻などで姓を変える現実があり、しかもそのたびごとに必要な変更手続きが、加入者側の申請のみに依存するような状況で、現在の基礎年金番号のような個人ID番号なしで、加入者の年金記録が間違いなく正しく維持管理できる、ということは、本来ほとんど不可能ではないか。社会保険庁の態度の根本的な問題は、仕事の結果が杜撰であったことよりも、仕事に着手する以前に自分達に手に負える作業条件ではないという状況をきちんと説明して事態の改善を真剣に要請しなかったことの方にこそある、と私は思う。こういう事態こそ、普通の民間の会社では、ありえないのである。
  加入者のIDが一元的にできる基礎年金番号が導入されたのは、ごく最近である。そして皮肉なことに、複雑に変化する個人情報を合理的な基礎年金番号によって一元的に管理できるように変換するプロセスで、それまでのシステムの矛盾や非合理性が一挙に露呈したのである。かつて加入者ID番号システムの必要性が政府から説明されたにもかかわらず、国民に背番号を付番するのは個人の国家管理につながる、人権が脅かされるなどという非合理的な理由で、野党、メディア、そして国民は拒否してきた。そういう仕組みなしに、複雑に変化を繰り返す年金記録管理が、とても実行でき得る状況にないことを、無謀にも無視してきたと言える。そういう意味では、加入者ID番号に反対した国民にも責任がある。ただ繰り返しになるが、それと同時に、仕事の実行側、つまり役所や社会保険庁で、事情説明と真剣な要請の努力が不足であったとは言えるだろう。
  グリーンピアなどの保養所の問題についても、野党の態度やメディアの報道姿勢は公正さに欠ける側面がある、と私は思っている。1980年代以前のわが国経済右肩上がりの時代には、多くの人々が、積み立てた保健基金がインフレのために目減りすることを恐れていた。インフレヘッジこそが多くの加入者の深刻な関心事であり、当時は堅実な投資先と考えられていた保養所など不動産投資は、多くの国民あるいは加入者から、奨励され支持されていたのであった。もっとも、それ以後のバブル崩壊をはじめとする著しい経済状況の変化があったにもかかわらず、不動産投資の運営管理を放置した社会保険庁などの役所側にも、もちろん大きな責任がある。ただ、かつてはみんなが不動産投資に期待し支持した事実に一切触れずに、国民から集めた保健基金を用いて不動産投資をしたということ自体を責める、という現在の野党やメディアの姿勢は、あきらかに不公正だと思う。
  また、国民年金や厚生年金というシステムは、基本はあくまで契約であり、当事者の請求にもとづいて処理を行う、という基本方針は正しいのである。いま無責任なメディアで氾濫しているような、役所や政府に無限責任を要求するかのような議論、あるいは感情的な不満や反感は、自然感情的なレベルで共感を得る側面はあっても、本質的には間違いなのである。本来あるべきメディアの態度とは、国民が感情的になったときには、国民に冷静さを取り戻すことを促すような方向に報道すべきであると思うのだが、現実のメディアは、感情的に煽動することに専念している。まったく無責任であると思う。
  もっと重要なことは、現在問題として取り上げられているようなことがらは、国民年金や厚生年金の長期的な維持という観点からみて、けして本質的な問題でも、重要な問題でもない、ということである。これから、われわれ団塊の世代が年金の受給者側にまわり、年金を支えるひと達の人口が減る。年金を含む社会保障関係年間予算の規模が、現在の約90兆円から、ほんの20年くらいの後には、140兆円を越えると試算されている。この膨大に膨らむ必要資金に対して、それを支払い負担する側の労働人口はどんどん減少するのである。この大きな致命的とも言えるギャップをどうするのか、これこそ全国民が真剣に考えなければならない大問題である。団塊世代の私は、現状の延長だけでは、きっと将来受け取る年金が減少することを受け入れざるをえなくなるだろう、と覚悟している。対策のひとつには、かつて実行しようとしてきちんと管理せずに失敗した不動産投資などの投資活動や、さまざまな形の金融活動があるだろう。
  年金のような国民全体にかかわる重要でむずかしい問題は、たまたま不祥事や問題が発覚したときの政府を攻撃して責任をとらせて辞任させたら解決する、というような生易しい問題ではない。レベルの低いメディアの煽動にまどわされず、われわれ国民は長期的な視点で冷静に考えて判断して行かねばならない。 (2007.6..9)

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