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抽象表現主義展 東京国立近代美術館

 東京国立近代美術館で、メトロポリタン美術館所蔵のコレクションのなかから、20世紀米国の抽象主義絵画を集めた展覧会が開催された。私自身は本来あまり抽象的な絵画を好まないけれども、現代絵画のひとつの重要な分野であり、せっかくの機会でもあるので一度見ておこうと考えて、勤務の後金曜の晩に竹橋まで出かけた。最近はじまった美術館の開場時間延長サービスであるが、多くの場合金曜夜は空いているのに、今回は有名なコレクションであったためか、随分な混雑である。
 ジャクソン・ポロックは、1930年ころの初期にはかなり具象的なデッサンを描いたりしていたが、第2次大戦後には「戦争」のように徐々に細かく鋭い線を重ねて複雑な形を画面の重心に描くような表現を始め、さらに画面全体に不規則な形を満たすようになり、ついには絵の具を描き込まない「余白」部分に重要な意味を見いだすようになってゆく、その変遷をたどることができる。現代抽象絵画の重要なリーダーの一人といわれているそうだが、たしかに力強さとエネルギーを感じさせる作家である。
 もう一人のリーダーであるマーク・ロスコも表現が時期によって変遷してゆく作家である。戦後直ぐには女性器をテーマにしたような遊びの要素を取り入れた作品があり、しばらくしてからは形を拒否し、単純な少数の面のみを同色系統の濃淡だけで塗り分ける静かな思索的な表現となっている。
 テオドロス・スタモスは明らかに、生物、あるいは生命体の神秘をテーマにしている。なにか有機的な質感の画面構成をモットーとしている作家である。
 ディヴィッド・スミスは日本の書道のような無彩色の曲線からなるカリグラフィーから始め、幾何学的な図形と色の構成へ進んでいる。マーク・トピーもやはり無彩色のカリグラフィー的な表現を好む作家である。
 ウィリアム・バジオテスの「コブラ」や「フロリダ海景」は、丹念に形を描き、周到に色彩を割当てながらも、究極的には余白のおもしろさを追求した作品である。絵の構成は実にしっかりして重みがある。
 一方、1950年代からはアンドレ・ブルトンなど欧州から渡来した作家によってオートマティズムが始まるが、私自身はこれらの作品にはあまり馴染めない。やはり真剣に色や形に取り組んでこそ美術作品であると考える。したがってジェイムズ・ブルックスやフリッツ・ブルトマンなどの作品はあまり好きではない。しかし、同じオートマティズム的な作品ではあっても、ロバート・マザウェルの「抒情組曲」シリーズは、音楽を聴きつつその感興を絵に表現したような作品で、それなりにおもしろいと思った。
 ウィレム・デ・クーニングの「女」は寸法のごく小さい作品であるが、なにか重みと広がりを感じさせる作品である。随分抽象化が進んでいるにも関わらず、この絵はどうみても「女」の絵であることは明瞭である。デフォルメされても可憐な顔、猥雑に色彩と形が並んだ服装、しかし全体としてまぎれもなく華やかな女性の存在を表現する、不思議な魅力を持つ優れた作品であると思う。
 これらの作品に混じって日系二世のイサム・ノグチの作品も数点展示されていた。簡素な無彩色の形はそれなりのインパクトと存在感がある。
 これらの抽象的な作品のどれもが芸術的な深みがあるとは正直なところ私には理解できない。けれども、従来の延長上では表現できない思想・情念・感情・エネルギーなどを表現し伝達する試みとして、大胆かつ真摯に活動した芸術家たちが存在したことは私なりに分かるような気がする。
 今度ニューヨークへ行く機会があったら、是非メトロポリタン美術館で他の多くの作品とともに、再度これらも見てみたいと思う。(1995.6.4)

 

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