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柳宗悦と丹波の古陶 兵庫陶芸美術館(上)

  初夏の快晴の一日、家人と一緒に、丹波の地に兵庫陶芸美術館を訪れた。JR福知山線は、宝塚を過ぎると急速に田園風景が広がってくる。大坂や尼崎からほど近い通勤圏である三田でさえ、なんとなくもっとはるか遠くまで来たような錯覚を覚える。眼前にひろがる新緑の新鮮な美しさと活気を車窓に楽しみつつ、電車は走る。この福知山線の相野駅からバスで少し入ったところに、兵庫陶芸美術館がある。1
  主要道から少し外れた小高い丘のうえに、兵庫陶芸美術館の現代的な瀟洒な建物がある。丘の斜面を切り崩して建つこの建築物は、複数の建物に別れ、それを接続するガラス張りの廊下があり、それぞれの建物のなかがいったい何階なのか、とまどうことがある。ともかく、立地と景観を最大限生かした、とても美しい建物である。

  このあたりは、近世以前の古くから丹波焼を産する立杭陶の郷として知られていた。ただ、ここで産する陶器は、京都などの貴顕の人びとに愛好されたというものではなく、ごく普通の近隣庶民の日常生活に使用されるものであった。それを、芸術作品として「発見」したのが柳宗悦であった。
2_2   柳宗悦は、明治22年(1889) 東京に、海軍少将柳楢悦の三男として生まれた。母は、柔道の創始者として高名な嘉納治五郎の姉であった。東京帝国大学で哲学を学んだ後、千葉県我孫子に住んで白樺派の文人たちと交流した。大正期に入って、朝鮮の造形芸術に強く惹かれ、朝鮮の陶磁器や古美術を愛好し、大正13年(1924) 、ソウルに朝鮮民族美術館を創設した。
  このころに前後して、京都の野外市で「下手物(げてもの)」として端切れの「丹波布」を見出し、丹波の地に注目するようになった。丹波布は、縦糸に木綿の単糸を、横糸に生糸のはし糸である「つまみ糸」を用いた農家の百姓の普段着や敷き布などに用いられた質素な布である。織る前に糸には、1_2 青・茶・緑などの染色がほどこされ、素朴な柄ができる。青は藍染め、緑は藍染めに加えて山桃で、茶色は栗の皮などで染めるという。何点かの展示があるが、見た目にもごく質素な木綿布である。ただ、これが陶器の敷物になったり、掛け軸の表装に使われると、独特の風格が出ている。

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