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「バーンズ・コレクション」 国立西洋美術館

 昨夜から今朝にかけて、この冬はじめての本格的な降雪があり、都心で7センチもの積雪があった。もうすでに、ひとまず雪は止んだとはいえ、こんな寒い雪の残る土曜日なら、おそらく人出も少なめではないだろうか、と淡い期待をいだいて、かねてより是非見たいと思っていたバーンズ・コレクションを鑑賞するために、上野の国立西洋美術館へ脚を向けた。
 雪はあがったものの、まだ曇り空の寒い日和で、上野駅から上野公園の中まで、溶けた雪が冷たい脚元を囲んでいる。しかし、期待に反して、美術館の中は大勢の人出である。人気のある展覧会に共通した現象ではあるが、入場してはじめの十数点の作品の前が、とりわけ異常に混雑している。そこでまず前半をスキップして、順路の半ばから見てまわることとした。
 アルバート・C・バーンズは、医学者かつ化学者で、自分の発明をもとに製薬・化学工業の事業をおこし、その成功によって蓄えた巨大な資産を用いて、印象派、後期印象派をはじめとする、著名な近代画家の作品2,500 点余りを収集したという。しかし、彼の収集方針や美的趣味に対するジャーナリズムの攻撃に怒り、遺言で、貸出、複製の作成、さらに公表のすべてを禁じてしまったという。このため、沢山の優れた作品が、秘密裡に私蔵されてしまうこととなり、長らく「幻のコレクション」として、美術愛好者の嘆息をさそっていたとのことである。バーンズの死後、これらの作品を保存・展示する、米国フィラデルフィア郊外のバーンズ財団では、ようやく最近になって、人数と時間を制限して、一部を公表することをはじめ、さらに今回老朽化した財団美術館の建物の修復を機会に、一部の作品を世界の主要美術館へ貸し出すこととなり、今回の展覧会が実現したわけである。
 今回の計15人、全80点の作品のなかで、私にとってもっとも印象の深い作品は、アンリ・マティスのものである。これまで私は正直なところ、マティスはそんなに好きな画家ではなかった。美術全集などの写真印刷でいくつかの絵を見ているのと、何度か美術展で、直接ごく少数の絵を見たことがある。けれども、今度のように、まとめて14点もの作品をみたのは、はじめてのことである。なかでも私にとって印象が深かったのは、「鏡台で読書する女(ニースの室内)」という比較的小さな絵である。温暖な地中海沿岸の潮風が、さらにそのさわやかな風のゆらぎまでもが、塩の匂いと、おだやかにふりそそぐ日差しとともに、見ている者に感じられるような見事な絵である。けっして写実的に精緻な表現ではない。むしろ、対象を、思い切った平面化と、原色に近い単純な色彩に分解し、あっさりと明るく仕上げている。この絵に限らず、マティスの絵は、一見無造作のように思える、単純な構図と、単純な色彩構成、そしてとくにさっと思いつきで描いたかのように見える縁取りの黒色の筆のすべりが、じっくりと丹念に見ていると、徐々に実は非常に精密に計算し尽くされた結果としての表現であるということがよくわかる。大胆に単純化し、平面の組み合わせに再構成した形態表現や、自由な色彩は、結果として、明るく、迫力のある、印象の強い表現となる。
 つぎに印象が強いのは、ポール・セザンヌである。セザンヌの静物は、誰もがいうとおり、実に見事である。蜜柑や林檎の並び方や、テーブルクロスの置き方、その皺の取り方にいたるまで、とても現実にはありえないほどの鮮やかさで、輝いている。日常の何でもない静物が、見方によって、すなわち表現の仕方によっては、いかに存在感を主張し、美しく輝くことができうるか、ということをこれらの作品は教えてくれる。風景画、とくに有名な「サント・ヴィクトワール山」に至っては、とくにことばもない。静謐できわめて自然な落ちついた表現のなかに、作者の自然に対する愛情、自然の豊かさ、季節の変化、その他、いくらでも追加できそうな多くのことがこめられている。私は専門的なことはわからないが、それでもこの絵のなかの、曲線と直線の組み合わせ、色彩、筆のタッチ、空と山、そして近景とのバランス、それらの画面のなかの位置取り、など、眺めていてほとんど飽きることがない。
 ロジェ・ド・ラ・フレネーという初耳の作家の「結婚生活」という絵は、面白い作品である。背広を着て書類を持っている男と、裸の女が手をつないでいる。男も女も片目しか描かれておらず、しかも、男の眼は外側を見ており、女の眼は内側にのみ描かれ、しかもつむっている。男は外の世界ばかり追いかけ、仕事のことしか考えないのに対し、女は内向きの視線しか持たず、セックスばかり考えているというのだろうか。あるいは、男が女を、そして女が男を、互いにそのように見ているということなのであろうか。絵自体の出来がどうこうというより、寓意的な表現そのものが、自然に見るものの興味をひくような絵である。
 ピェール・オーギュスト・ルノワールの絵は、いつ見ても、馥郁として美しく輝いている。小林秀雄が「天才的な絵の職人」と評したのが、まさにぴったりするような、すばらしい絵が16点も並んでいる。ルノワールに限らず、これらの西洋近代絵画の一流の作品は、どうしてこんなに「輝き」をはなつことができるのか。2月まえに隣の美術館で見た日展の作品とは、やはりまだ随分違いがあると思う。
 この他、独自のアイデアで、明るい色彩の表現を工夫したジョルジュ・スーラ、現代のフォーカス現象を連想させるような、瞬間の表情にモデルの人生の歴史を表したような「モンルージュにて─赤毛のローザ」を描いたアンリ・ド・トゥールーズ・ロートレック、類似の構成要素を繰り返して描くことにより、画面に広がりをもたらしているアンリ・ルソー、など、興味深い作品や画家が沢山あり、大変な混雑で閉口しながらも、充実した鑑賞であった。
 加藤周一がいうごとく、絵は直接見て、その寸法、筆のタッチ、色彩の微妙な感触などを味わうことが重要であることを、あらためて認識した。
 美術館を出るころは、晴天が広がりはじめたこともあり、入場制限をするほどの混雑であった。(1994.1.29)

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