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「ピサロと印象派」展 兵庫県立美術館 (上)

  阪神淡路大震災の復興事業の一環として建設された兵庫県立美術館で、開館10周年記念展覧会として「ピサロと印象派 --- 永遠の近代」というタイトルの特別展が開催された。わが国で圧倒的な人気を誇る19世紀末期の印象派の絵画を、その当時一貫してリードしていた画家カミーユ・ピサロをとりあげ、ピサロを巡る一部他の印象派画家の作品をも含めて展示するもので、ピサロの作品90点、その他の印象派作品20点余りを一斉に展示している。Photo
  カミーユ・ピサロは、1830年カリブ海に浮かぶデンマーク領のちいさな島 セント・トーマス島に、貿易雑貨商を営む家に生まれた。両親は、フランス ボルドー出身のセファルディム (南欧へ移住したユダヤ人たち) であり、家のなかではポルトガル語を話していたという。少年時代の一時期、フランスの寄宿学校に過ごしたが、16歳でセント・トーマス島に戻り、しばらく家業を手伝っていた。幼いころから絵が好きであったカミーユは、この地でフリッツ・メルビーという画家と出合い、画家になることを薦められる。会場には、この時代のデッサンが展示されている。後に名を成すような画家はほとんど全てではあるが、やはり描く基礎的能力は、素人眼にも尋常ならざるものがある。Photo_2
両親の反対をなんとか説得したカミーユは、20歳代半ばにしてフランスにわたり、メルビーの兄弟であった画家の助手として絵画を勉強した。
  フランスでなんども展覧会に通ってさまざまな絵画を鑑賞し、クールベやコローに深い感銘を受ける。ピサロの終生変わらぬ画風の重厚さは、若いころ受けたクールベの影響である、とする批評家がいる。そしてクロード・モネとも知り合うことができた。1860年代には、パリ近郊のルーヴシェンヌ、ポントワーズなどの郊外に出かけ、モネやルノワールらとともに野外で風景画を描いた。
  ピサロの絵の基礎的な技能は、すでに早くから認められており、当時の正統派のコンクールであったサロンに、1870年代までに数回入選している。

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