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めがね 

 私と眼鏡との付き合いは長い。私は小学校で視力検査を受けはじめたころから、ずっと近眼であった。視力が1.0を上回った記憶がほとんどない。小学校4年ですでに眼鏡のお世話になることとなった。たしか当時のクラスでも2 ~3人しかいなかったと思う。小学校から中学校を経て、高等学校、大学へと年齢を経るとともに近眼の度が進み、現在は裸眼視力0.1 、矯正レンズのジオプトリー4.5 で、医学用語でいう「中等度の近視」、巷でいう「強度の近眼」である。
 眼鏡というのは、一般的にいって決して便利なものではなく、容姿のうえでも、日常の取扱の面でもめんどうで使いたくないというのが通常である。しかし、私の場合は事情があって、少なくともある時期は非常にありがたい存在であった。私は生後1年以内のころ、左眼の外側に大きな「血管腫」ができ、これを当時の医学療法としてラジュウムによる放射線治療を行ったために、左眼の目尻あたりから組織が一部崩れ、眼がひどく「ちんば」になった。いまでも左眼の上瞼は内側にめくれ込み、そのため睫毛が眼球にまともに突き刺さるという問題が残っており、ときどき生えかかった睫毛を人工的に抜く必要がある。物心ついたころから、この左眼周辺の容貌のことが気になりはじめ、電車に乗ったりしたとき、人がなにか自分の眼の異常をじろじろ見ているような気がして、随分悩んだころもあった。この問題に対して、眼の周辺を部分的にでも隠す「眼鏡」は有り難い存在であった。私は「眼鏡」をかけなければならない自分の近視に感謝し、救われる思いがした。幸いにして、成長とともにこの外観のアンバランスも徐序に目立ち方が減少し、眼鏡と、折から流行しだした長髪による目隠しにより、コンプレックスも縮小していった。
 大学の最初のころ、眼鏡の度数が強くなってしまって、視野の周囲の像が歪むという日常生活上の問題と、上記のコンプレックスの軽減とから、友人の勧めでコンタクトレンズを使用するようになった。これがたまたま私の眼に非常にフィットし、物心ついてはじめて、視力1.2 という良好な視界を享受することができた。私の眼が鈍感なのかも知れないが、一日中、眼を覚ましている限り装着しっぱなしで、何の苦痛もない。視界もごく自然で、像の歪みも感じずにすむ。以来20年以上もの長い間、コンタクトレンズが私の体の一部となっている。
 ところが、5年程まえから、再度「眼鏡」を併用することにした。コンタクトレンズは確率的に眼球にキズを与える可能性が大きく、とくに中年以降はそのキズが原因で、稀なケースではあるが失明するということもあり得るとのことを、医学の専門家から聞いたためである。できるだけ自然な視野を得たいこともあり、「眼鏡」は度をゆるくしている。現在では、仕事のときは専ら「コンタクトレンズ」を着け、仕事を終わった後の寛ぎのときに「眼鏡」を着けるという、使い分けが定着した。
 この結果、自分では自然にこの使い分けを楽しんでいることに気がついた。朝起きてあわただしく出勤の準備をしながら、コンタクトレンズを装着すると、「さあ、今日もこれからがんばろう」という気になる。仕事が終わり、帰宅して、手を洗った後、まずコンタクトレンズを外し、眼鏡に変えると、「さあ、これからはゆっくりとくつろごう」という気になる。したがって、休日は通常コンタクトレンズを着けないことが多い。ごく最近では、出張での新幹線での移動中でも、くつろぐために眼鏡に変えることも多い。
 聞くところによると、仕事を持つ女性は、化粧することで仕事に赴く「気合」を入れるきっかけにするという。われわれ男性にとっては、これに対応する気分転換の機会がないのかと思っていたが、私の場合は眼鏡とコンタクトレンズの切替えがちょうどこれに相当するものであるらしい。今後も、コンタクトレンズの良好な視野と、眼鏡の寛ぎの両方を楽しんでゆきたいと思う。(1993.9)

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