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エアコンなし・節電のひと夏の経験

  昨年の福島原発事故がきっかけとなり、今年も節電が必要な夏であった。一方、今年は例年以上に猛暑となり、熱中症に注意すべきとの声をなんども聞くこととなった。政府・電力会社、そしてメディアまでもが、さかんに節電を呼びかける夏であった。
  私もすでに60歳を越えて一人の老人となっているが、若いころには「熱中症」などという話題はなかった。私が果たしてどれだけ高温に耐性が残っているのか、今のうちに確かめてみようという気持ちもあった。それやこれやで、この夏を「エアコンなしで過ごす」決意を固め、実行してみた。呼び掛けの多い「節電」に協力する、電力料金を節約する、自分の「熱中症」への耐性を確かめる、それ以前に果たして自分がどれだけ「暑さ」に絶えることができるのか実験する、などなどを目的として、「エアコンなし」で過ごしてみたのであった。
  実際に空調なしで夏を過ごしてみると、私なりにいくつかの発見があった。
  6月から7月に入ると、日々暑さが厳しくなってくる。自宅の室内にいても、煮えくり返るような暑さを感じるときがある。ただ、そんななかで実感したのは、湿度の著しい効果である。気温が34度ほどになっても湿度が60パーセント以下であれば、「暑いなあ」とは思うものの、扇風機で十分絶えることができる。当然、知らず知らず大量の汗を出すので、1時間:おきくらいにこまめに水分を補うことになる。一方、温度が30度くらいでも湿度が70パーセントを越えると、手や腕からの持続的発汗から、机・ノート・書籍・パソコンにべったり汗が着いてしまい、頭や顔から汗がしたたり落ちることになる。とても不快である。「不快指数」とはよく言ったものである、と実感する。
  8月に入ってもまだまだ暑かったが、暑さになれたのと、わずかながら温度が低下方向に向かうことを実感して、「峠を越したな」と感じた。開け放した窓からは、外の音もよく聞こえる。セミの声も、ミンミンゼミからアブラゼミへ移り、やがて秋の虫の音に入れ代わる。
  9月に入り、中旬からは空気感がはっきりと変わってくる。そして下旬に近づいた今日この頃、明確に朝夕が涼しくなり、日影が長く、涼しくなった。ついに私も「エアコンなし」で盛夏を乗り切ったのであった。
  しかしこれはあくまで、すでに隠居を決め込んだ市井の一老人の私的な事情である。現役で日々最大限働く人びとには、自由時間をもっと快適に過ごして鋭気を養ってほしい。それ以上に、経済活動・生産活動については、この夏節電に協力したセクター・人びとは、とても大変だったろうと思う。たとえば中小企業の多くは、大変な努力と、それを越える犠牲を払っていた。
  単純に区分すれば、個人生活に関するかぎりでは、エアコンを使用しない、できるだけひかえるなどという活動は、できるだけやればよいし、極言すればどうにでもなる。実際、数十年前は、エアコンなどなかったのだから。
  しかし経済活動・生産活動に関しては、事情がまったく異なる。エアコンという利器は、いまでは競争条件の一部であり、これを失くすことは競争力を削ぐ。エアコンという事象はまだごく一部のことである。良好で豊富な電力インフラは、経済活動・生産活動にとって、きわめて重要な基本インフラである。この重要な要素に、いささかも支障があってはならない。
  私は橋下市長がいう「この夏を乗り切ったんです。なんとかなるんです。この夏の経験をあたえまえと考えて、これを新しい規準として、さらに節電したらいいんです」という稚拙な意見には、真っ向から反対である。

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