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国宝十二天像と密教法会の世界 京都国立博物館 (下)

  後七日御修法や灌頂の儀式の会場となるお堂の宗教的装飾のことを「荘厳(しょうごん)」という。この一部がすでに述べた「十二天像」で、「仏画」と呼ばれる。それ以外にもさまざまな「法具」と呼ばれる器物がお堂に持ち込まれる。そのひとつが、鈷杵(こしょ) と呼ばれるインドの護身用の武器に由来する法具である。「独鈷」と呼ばれる爪先がひとつだけのもの、「三鈷」と呼ばれる爪が三本からなるもの、「五鈷」と呼ばれる中央に1つの爪があってその周囲の4面に爪があるもの、などの種類がある。
Photo_2   さらにこの鈷の下に鈴がついた「鈷鈴」と呼ばれる法具もある。
  これらの各種の法具の多くは、空海が唐から持ち帰った中国の法具に由来しているという。
  灌頂の儀式の会場に用いられる荘厳のための仏画として、「山水屏風(せんずいびょうぶ)」や「十二天屏風」がある。京都国立博物館には、貴重な平安時代11世紀の屏風絵が収蔵されており、展示されている。
  灌頂の儀式のとき、当初は十二天のお面をつけた人が行列したそうである。そのお面の一部が展示されている。やがてそれに代わって十二天を描いた屏風絵がお堂に荘厳として飾られたようである。
  後七日御修法は、承和元年(834) 空海が仁明天皇の勅願により内裏中務省において、真言院で執り行ったことにはじまる。これは長禄4年(1460) まで続いたが、戦乱のため継続が困難となり、長らく中断した。

  江戸時代となり、元和偃武が成り平和が訪れた元和9年(1623)、 後七日御修法は内裏紫宸殿で再開された。
  さらに下って明治維新で廃仏毀釈が行われ、仏教にもとづく儀式が内裏で行われなくなったが、明治4年(1871) 場所を東寺の灌頂院に移して再開されて今に至っている。
  今回の展示では、国宝十二天像にはじまり、空海やその周辺の高僧、貴族たちの肖像画、儀式会場の荘厳のための法具、曼陀羅、屏風絵、お面、そして空海をはじめとする後七日御修法や灌頂の儀式にまつわるさまざまな書の展示などがあった。また、そうした儀式に関する書類を収める文箱や法具・絵を収める木箱、なども展示されていた。

Photo_3   合計80点ほどの展示で、平安時代など古いものも多く、傷みが進んでいるので見た目の華やかさは少ないが、じっくり眺めて往時を想像すると、たしかに手の込んだ豪華なものが推測できそうなものが多いようには思った。しかし率直にいって、展示作品そのものから美術的に感動した、というより、これだけ壮大な手間と費用のかかる儀式を真摯に継続した、その宗教的なエネルギーに感銘を受けたというのが実感である。
  少なくとも平安から中世までは、宗教的な行事や儀式は、現代から推測が困難なほどに重要であったのだろう。往時の人びとの気持ちの一端を探る観賞のひとときであった。

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