選挙に向き合う
参議院選挙が公示され、選挙運動が行われている。メディアでは与党が過半数を制して「ねじれ国会」を解消するのかどうか、など喧しい。先日たまたま「どこに、だれに投票したらよいかわからない。どう考えたらいいか」というようなことを尋ねられることがあった。そこで回答したことなどを、簡単に記しておくことにする。
私は選挙に投票するとき、考えるべき大切なことは3点あると思う。
まず、必ず投票する、ということである。中国など社会主義を経験した諸国をはじめ、中東の多数の国々、アフリカの多数の国々など、世界中には未だにマトモな選挙ができない国家が多数ある。そういう状況に比べていまの日本の状況が、相対的にいかに恵まれているか、ただしく認識することが第一歩である。「どうせたったの一票だから、大勢に影響しないだろう」という考えは、基本的に間違っている。「投票する権利」は「投票する義務」をともなう。
二つ目は、現実の政治に「理想」は存在しない、ということである。「投票したい候補者がいない」、「Aの政策はα党だが、Bの政策はβ党なので、どちらに投票すべきか決められない」、「そもそも政治・政治家には期待できない、しない」などの意見は、もっとものように見えるが、現実は少しでもマシなものを探し、優先順位を考えて、わずかでも一歩ずつ前進する以外にないのである。人生で出合うほとんどの決断は、必要十分な情報や環境がないところで行わざるを得ないことは、少し年齢が嵩めば誰でも経験から理解できることであろう。
三つ目は、そうやってなんとか自分がもっともマシと思える候補者を選んで投票したそのあと、その候補者あるいはその政党が、そのあとどのように行動するかを自分なりに責任をもって追跡することである。私の場合、私が居住する選挙区で、以前ある候補者に投票した。そのあと、その議員が地元民に対して報告する会合をほとんど実施しないことをその議員のブログにコメントで指摘し、なんらかの会合を開催する、あるいは少なくともブログなどできちんと活動報告をする、などの要請をした。果たして、その結果か否かは不明だが、その議員は近況をブログで更新するようになった。ただ、その後その議員は政党を代え、総合的に判断して私は支持することをやめた。今ではその議員は、別の政党だが、ブログ更新は止まっている。素質はよさそうな人物であったが、このような議員にはもはや未練はない。いずれにしても、自分が投票した候補者が当選したなら、議会や議員生活におけるその議員の行動を自分で追跡することは、有権者にとって権利であり義務であると思う。こうして、しっかり見つめている、という有権者の姿勢が、議員と国民との間に良い緊張感をもたらし、長期的に議員を育てることにつながる。
かつてジャーナリストの田原総一郎がその著書で「自分はながい間、自民党には投票せず、ずっと社会党に投票し続けた。しかし本音で社会党に政権をとってもらいたいとは思っていなかった」と実に正直に吐露していた。あるいは「府県知事がAタイプなら、市長はBタイプにして、バランスをとっておいたらよい」などということをいう人もいる。こういった態度からは、到底投票相手を真剣に追跡する、政治家を育てる、ということが達成できるはずがない。
有権者は、その名のとおり権利を掌握する主体である。候補者や議員たちから、単なる得票数なる「数字」と見なされるようになってはならない。投票されたかぎり常に見張られている、という緊張感が必要である。有権者の側も、自分なりに苦心して投票する相手を選び、結果を追跡して評価することで、自分の鑑識眼を鍛え、政治に参加することができる。
現実の政治のレベルは、有権者のレベル以上には決してなれないのである。
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