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福富太郎コレクション展

 そごう横浜店で福富太郎コレクション「近代日本画に見る美人画名作展」を見た。約2年前横浜美術館で福富太郎氏の講演を聴いて、この人のコレクションに興味があったのと、日頃意外に見る機会の少ない鏑木清方の絵を見たいということから、妻を誘って出かけたのである。鏑木清方約20点を含む計70点ばかりの見応えのある企画展であった。
 明治時代の日本画では、富岡永洗の作品として「なさぬ仲」などがある。このような立派な画家でも、当時は純粋に絵のみで生活してゆくことは困難であったため、雑誌の挿絵などを描いて糊口をしのいでいたという。梶田半古「天宇受売命(あまのうずめのみこと)」は福富氏が始めて見たとき背筋に走るものがあったという、お気に入りの作品である。豊満な色香とともに、清楚な気品とどこかあどけない可愛らしさを備えた若い女性の絵で、福富氏の好みを表しているのであろう。
 わが国明治末期から昭和初期にかけての日本画壇のスターであった「三園」と並び称される女流作家、上村松園、池田蕉園、島成園の作品もいくつかある。福富氏はこのなかでもとくに池田蕉園を好むようで、集中的に収集している。はじめて公の場に発表した作品だという、まだ榊原蕉園の時代の「秋苑」は、清楚で爽やかな作品である。後に夫となる池田輝方が手伝ったと伝えられる背景の萩は、上方は薄くおぼろに、下方に下るにつれて段々くっきりと描かれ、アクセントとして小さな白い蝶が生きている。「姉妹」の上品な娘の表情、「夢の跡」の妖艶ながらも品格を失わない女の表情、「宴の暇」の堂々とした構図、など31歳の夭折が惜しまれる才能である。
 上村松園では「よそほい」という作品がある。着物の着付けをしている絵で、構図から動きがあり、着付けしてもらっている娘も、着付けをしている母親も、ともに表情が豊かである。着物の襞の表現も見事で、全体にゆったりした心地よい流れが感じられる。
 島成園では、長らく捜し求めた後に偶然のきっかけでついに運良く入手したという「爪びき」、墨の特性を活かして美しい髪を表現した妖艶な「おんな」がある。この人の絵は、女性の内面に秘める情念を丁寧に描いている。
 伊藤小坡「つづきもの」は、朝起きたばかりの主婦が、日めくりを更新するより前に、ひごろ熱心に読みつづけているのであろう朝刊の連載小説に見入っているところを、写実的に詳細に描いたものである。参考として絵に書かれた当日の朝刊の実物コピーがあるが、細かいところにいたるまで忠実かつ詳細に描いていることがわかる。描かれている女の表情も実に良い。ひたすら気になる連載読物に熱中していることがとてもよく分かる表現である。
 北野恒富の「五月雨」や「道行」は、独特のくせのある表現で女の情念の世界を描いている。池田蕉園の夫であった池田輝方も印象深い作品を残している。「弥生」や「お七」も美しい作品であるが、「お夏狂乱」は迫力ある絵となっている。このような輝きや迫力は、残念ながらわが国の近代洋画にはなかなか無いと思う。蕉園の弟子という松本華羊の「伴天連お春」はたしかに師の作風に似つつも、艶っぽいというよりも、もう一段さっぱりとした清澄な絵となっている。
 松本舞雪「踊り」は、描かれている人物の顔が随分大きく、頭と体とのプロポーションは少しおかしいような気もするが、着物の襞の表現を巧みに使って、軽快な動きを表現している。福富氏が落款を読み下せないままに、絵そのものを気に入って購入したというのが理解できる堂々たる絵である。土田麦僊「祇園の春」は二幅の短冊状の絵で、右には薄墨でぼかした背景にくっきりと浮かぶ芸者の顔、左にはやはり薄墨の空と京都市街の中に、そこだけ朱色に彩色された竿頭につけた数個の提灯が浮かぶように描かれているのみである。厳しい京の冬の終わりに、春を待ちわびる芸者の心境を表すのか、それとも春の霞のなかに浮かぶ提灯を象徴的に描いたのか、いずれともわからないが、このような表現方法は西欧絵画で導入されるようになった抽象画的なアプローチであり、わが国にも独自にそのような萌芽があったことを示しているような興味ある構図である。
 梶原緋佐子「山代温泉の女」は、福富氏の好みからは少し離れた、実在感の強いねっとりした妖艶な女の絵である。このモデルとなったかつみと呼ばれた仲居は、この絵のモデルをした後1年経たずして宿泊客と情死したというが、そういう雰囲気が如実に現れている。
 作品展示の処々に、福富氏のその作品入手時の思い出や、作品そのものに関する意見やエピソードなどを書いて添えている。たとえば、わが国明治期の法律学者金子堅太郎が、米国の大学で同窓であったフェノロサに、真の日本絵画を紹介するために、自ら美人画を苦労して入手して紹介したというような話もおもしろい。
 日本画の美人画の場合は、着物の襞をどう表現するかで、動きや躍動感が表現できるとともに、対象となっている女の心の状態までも表現することができるというのが、今日の鑑賞での発見である。いずれの絵も静かな輝きを持っており、わが国の日本画という芸術が、貴重なものであったことを自然に理解させてくれる。デパートは混雑していたが、この企画展そのものはそんなに人気がなくて、快適な鑑賞のひとときであった。(1996.2.11)

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