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全体の感想 「映画をめぐる美術」展 京都国立近代美術館 (完)

  冒頭のマルセル・ブロータースのコーナーは、実はそんなに感動がなかった。あまりに凝りすぎて、出来のよくない抽象絵画のような印象である。ただ、この展覧会全体を通じて、「眺めるのではなく読む映像を」という概念は理解できる。
  しかし「読む映像」と言う場合、映像があまりに手が込んだもの、セリフが多すぎるものなどは、映像表現として必然的に見る側に時間を要請するだけに、くどい、じれったい、まどろっこしい、ということがある。結局今回の展示作品でも、通常の正統的なドキュメンタリーに近いものがもっとも鑑賞しやすい、という結果になる。
  さらに言えば、ドキュメンタリーにしても、できるだけセリフや音響なしで、淡々と場面を連ねるような、しかもそんなに長くない、という表現が実は良いのではないだろうか。ずいぶん以前、ボスニア内戦があったころ、イタリアに出かけたことがあったが、そのときホテルで見たテレビ番組「サイレント・チャネル」が実に印象に残っている。その番組では、一切のナレーションがなく、ただ淡々と内戦で爆破された建物や、ずっと前に死んだであろう人々の骸骨のごく短時間のシーンなどが、静かに画面に流れる。事実の圧倒的な迫力が自然に表現される。すべての作品がこのような状況を造れるはずもないが、このような少し引いたような、覚めたような表現こそが、鑑賞するものに強く訴える、という側面かあるだろうと思う。

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