2017年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
フォト
無料ブログはココログ

« 栖鳳の生い立ち 竹内栖鳳展 京都市美術館(1) | トップページ | 新たなる挑戦 竹内栖鳳展 京都市美術館(3) »

世界に通用する絵画を目指す 竹内栖鳳展(2)

Photo

  竹内栖鳳は、最初は師匠であった幸野楳嶺から授けられた雅号の「棲鳳」を名乗っていたが、渡欧を機会に「栖鳳」と改めた。栖鳳は、渡欧の以前から、他の若手画家たちと一緒に美術染織の仕事に従事していた。そこでは、自らの絵だけでなく、他の画家の描いた作品なども適宜組み合わせて、西洋の外国人にも受け入れられるように配慮した商業的な意匠や美術工芸を目指していたが、そうしたフレキシブルな創作活動を通じて、渡欧の以前から西洋美術に強い興味を持っていたようである。展覧会では栖鳳が渡欧前に描いた「雪中松鷹図」を刺繍師飯田新七が刺繍に仕上げた作品が展示されている。
  やはり栖鳳が下絵を描き、飯田新七がビロード友禅に仕上げたタペストリー作品として「ベニスの月」(1907) が展示されている。水墨画のようにほとんど無彩色の作品だが、渡欧した栖鳳が自信をもってベニスの風景を描いたものである。
  ヨーロッパから帰国した栖鳳は、西洋画の「実物の詳細な観察と表現としての写生」を強く意識するようになる。ただ栖鳳は西洋画の方法・手段にそのまましたがうのではなく、日本画の特徴・長所として「対象の本質を的確に捉えて表現する写意(しゃい)」を併置しようとした。Photo_2
   こうして描かれた作品に獅子(ライオン)の連作がある。かつての日本画の様式的・定型的な獅子ではなく、ほんもののライオンを実際に観察してリアルに描いた作品群である。描写の精密さは、絵の具が油彩ではなく岩彩であることを除けばほとんど西洋画のものであり、それまでの日本画には存在しなかったものであった。
  こうして栖鳳は、日本画の伝統を尊重しつつ、世界に通用する芸術としての日本画を追求し続けた。

人気ブログランキングへ

« 栖鳳の生い立ち 竹内栖鳳展 京都市美術館(1) | トップページ | 新たなる挑戦 竹内栖鳳展 京都市美術館(3) »

美術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1444830/53919281

この記事へのトラックバック一覧です: 世界に通用する絵画を目指す 竹内栖鳳展(2):

« 栖鳳の生い立ち 竹内栖鳳展 京都市美術館(1) | トップページ | 新たなる挑戦 竹内栖鳳展 京都市美術館(3) »