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プロレタリアの芸術 「絵画と文学」展 兵庫県立美術館 (3)

  大正末期から昭和初期にかけての政治的・文化的・芸術的運動のひとつの大きな核は、ロシア革命で勢いを得たマルクス主義・社会主義を目指す運動であった。プロレタリア運動とも呼ばれるこの運動は、文学・絵画に大きな影響を与えた。Photo
  津田青楓は、京都に生まれ、四条派の日本画を学んだあと、浅井忠に洋画を学び、安井曽太郎とともにパリに留学した。帰国後、急速にプロレタリア運動に接近し、小林多喜二や河合肇の肖像画を描いた。ここでは油彩「研究室における河合肇像」(1926) が展示されている。
表現主義から未来派まで、幅広い表現方法を駆使する柳瀬正夢は、プロレタリア運動のためのさまざまなポスターや機関紙の表紙の装丁に活躍した。私自身が学生時代によく目にした「プロレタリア運動的な挿絵」は、その源流がこの柳瀬正夢にあるらしい。簡潔で力強く、アジテーションに満ちた、しかし今となっては単調でステレオタイプに見える画風である。
  昭和初期に、プロレタリア運動は離合集散を繰り返し、複雑な発展をした。大正13年(1924) 発刊された「文芸戦線」では、青野季吉が「調べられた芸術」、「自然主義と目的意識」などの論文を掲載して、プロレタリア運動の理論的リーダーとなった。大正11年(1922) に後に日本共産党を創立した山川均たちによって創刊された雑誌「前衛」と、中野重治、林房雄たちが創刊した「プロレタリア芸術」とは、この「文芸戦線」と対抗し、三つ巴の様相となったが、やがて「前衛」グループと「プロレタリア芸術」グループは統合して、全日本無産者芸術連盟を結成し、Nippona Artista Proleta Federacioの頭文字をつないでNAPF「ナップ」と呼ばれた。このナップの機関紙となったのが「戦旗」であった。1930年代は、勢力的にはこれがプロレタリア運動の主流となった。Photo_2
  現代の漫画家 白土三平の父でもある岡本唐貴は、東京芸術大学を卒業した後、日本プロレタリア美術家同盟に参加して活躍した。昭和4年 (1929) の作品「争議団の工場襲撃」が展示されている。この作品は、タイトルが検閲に抵触したため題を変えて出展、それでも没収となったため、昭和49年(1974) に画家が、記憶をもとに復元した作品である。
  文学では、林房雄、藤森成吉、中野重治、中条(宮本) 百合子、佐多(窪川) 稲子、武田麟太郎、藤沢恒夫、徳永直、そして小林多喜二等がこの時期に活躍した。村山知義は、「日本プロレタリア演劇論」を著して、建築・絵画のみならず、演劇でも指導的な役割を果たしていた。

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