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文芸復興・日本的なもの 「絵画と文学」展 兵庫県立美術館(4)

  この10年間の後半には、それまでのわが国芸術界の西欧芸術指向に対して、敢えて日本的なものを求めよう、日本的なものに回帰しよう、とする運動も発生した。西洋画家 林重義は、西洋画の技術である油彩を用いながら日本画的な表現・筆致を探求して「舞子」(1934) を描いた。児島善三郎「鏡」(1932) は、それまで画家たちが、西欧画に登場するようなプロポーションのヌードモデルがいないことに悩んでいたのに対して、当時実在した日本人女性の裸体を敢えてそのまま率直・愚直に描いて見せた。安井曽太郎も、日本的なもの、日本的な美に立ち戻る意識をもった画家であった。Photo
  梅原龍三郎は、ヨーロッパで学んだ油彩画に、桃山美術や琳派、南画といった日本の伝統的な美術や様式を自由に取り入れ、絢爛たる色彩と豪放なタッチで装飾的で明るい絵画世界を展開した。
文学では、志賀直哉・島崎藤村・永井荷風・徳田秋声などがそれまでの自然主義や新感覚派とは一線を画した、日本の伝統を意識した活動を展開し活発化していった。
  今回の展覧会は、純粋な美術展というよりは先述のように「文化展」ともいうべき内容であり、そういう意味では興味深いものであった。類似の展覧会として、20年近く以前に、東京の目黒区美術館で戦後の文化展を見たことがあった
この展覧会のテーマである1926~1936年という時代をターゲットにしているため、登場する画家や文学者は、多くが1900年少し前に生まれた人たちである。ただ、興味深いのは、その半数弱が夭逝しているのに対して、昭和末期の1970~80年代まで生きた人たちもかなりいるという事実である。そして、それら多くのプロレタリア芸術家が、戦後長らく活動を続けた、と解説に記してある。しかし、私たちその時代を生きた者の印象では、戦後、とくに私自身が物心ついた1960年代以降には、プロレタリア美術・プロレタリア文学は、いかにも印象が薄いのは否めない。当時は、あれだけマルクス主義・社会主義の雰囲気が旺盛であったにも関わらず、である。私が社会主義運動に批判的である、ということだけが原因ではないと思う。やはり芸術として、十分なレベルに到達しなかった、という側面があると思う。たとえばつい2~3年前に、長期化する不況のなかで、若者たちが小林多喜二の「蟹工船」を読むことが流行した、というメディアでのニュースがあった。そこで私も「蟹工船」を読んでみた。しかし「蟹工船」は、プロレタリア運動の煽動という意味ではメッセージ性があるかも知れないが、文学作品としてはいかにもレベルが低いと感じた。絵画作品の多くも、同様な傾向があると思う。
  ともあれ、これらの芸術運動がひとつの時期を形成し、人々に知的刺激をあたえて文化に貢献したことは事実であろう。個々の美術作品そのものには見るべきものが多くなかったが、芸術の近代史を振り返る意味では、十分に意義のある鑑賞であった。

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