パソコン故障のインパクト
2週間ほどまえ、私のパソコンが突然故障した。普通にインターネットを閲覧していたのだが、まったく突然に、まるでヒューズが飛んだときの家電製品のように、プッツンとディスプレイ画面が真っ暗になり、マウスもキーボードも、そして主電源スイッチまでもが、すべてなんの反応も示さなくなってしまったのであった。当然ながら、ファイルのバックアップもできず、なにはともあれ購入した電器量販店の修理センターに持参した。
しかし、店頭ではスイッチが正常かのように機能する。店員さんのアドバイスにしたがい、自分のファイルの保護のため、たまたま持ち合わせていた大容量のUSBメモリーに個人ファイルをコピーした。フラッシュメモリーでもあり、2時間弱を要した。私の知識不足と、手持ちのUSBメモリーの空き領域の問題から、電子メール関係はまったくバックアップできずであった。
こうして修理に出したパソコンは、2週間弱で修理完了として戻ってきた。さいわいすべての個人ファイルも電子メール関係の情報も、そのまま残っていた。メイン基板交換という、かなり大規模な修理であった。
それまでのパソコンがない間、実に不便・不都合な時間を過ごすことを余儀なくされた。
まず、かつての「文房具」に相当するものがなくなった。これは、私の一世代前のパソコンを倉庫から引き出してきて、ワープロと表計算についてはなんとかできる環境をつくった。それでも当然ながら、MS- Officeの古いバージョンとなってしまうことによる多少の不便がある。しかも、パソコンを買い換えた理由は、メイン・ディスクの容量が不足がちであったためであり、当然ながら常に「ディスク容量不足」の警報におびえながらの使用が続いた。
インターネットは、この古いパソコンでは使用しなかった。ウィルス対策ソフトが無いことと、やはりディスク容量が十分でないからである。これも非常に不便である。どうしても必要なときは、家族のパソコンを割り込んで使わせてもらった。
そして電子メールが使用できないことが、大きな障害である。私はいまでは隠居していて、かつてほどにはメールのやりとりがないけれども、それでも電子メールが2週間ちかくにわたって使用できないのは、非常に不便であり、不安である。とりあえず、連絡メールをもらえることが想定できる方々には、事情を説明して携帯電話メールで連絡いただけるように、携帯電話メールで依頼を出した。
いまやパソコンは、文房具であり、通信端末である。インターネットを経由して、電子メールのみならず、膨大な辞書であり、百科事典であり、データベースである。私の場合は、USB端子を経由しての携帯電話の充電まで、パソコンにお世話になっている。仕事の直接の道具であり、情報入手の主要な手段であり、日常生活の必須品である。それがパソコン一台が故障することで、すべてが突然奪われる。
私もかつて製造業に勤務していたので、こうした機械は本質的に故障が避けられないことは理解する。使用する側で、故障の発生を見込んだ対応を、常に考えていなければならない、というのが正論である。それは十分わかっているつもりだが、油断かもしれないけれども、故障という思いがけない事態をあらためて突きつけられると、いまさらながら動揺するのである。
自分自身が、こんな小さなひとつの機械に、ここまで依存してしまっている、ということを改めて思い知り、その怖さを認識した経験であった。
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