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石峰寺と五百羅漢 京都伏見稲荷(11)

  ぬりこべ地蔵を過ぎてさらに下ると、少し歩いたところの左側に矢印の表示板が出ていて「石峰寺 (せきほうじ)」とある。黄檗宗の寺院で、江戸時代中期の宝永年間(1704~11) に黄檗宗第6世千呆禅師(せんかいぜんし) によって建立されたという。黄檗宗らしく、門は赤い中華風の様式である。

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  建物はそんなに大きくはないが、敷地はかなり大きくて、墓地の一角には江戸時代後期の画家 伊藤若冲の墓石がある。
  正徳6年(1716) 京都の富裕な「枡屋」という青物問屋に生まれた若冲は、なに不自由なく育ち、禅にも早くから親しんだという。若いころから絵が好きで、酒も飲まず、芸事もせず、ただ絵を描くことが趣味の青年だったようだ。ところが23歳のとき父・源左衛門の死去に伴い、4代目枡屋(伊藤)源左衛門を襲名する。「若冲」の号は、禅の師であった相国寺の禅僧大典顕常から与えられたと伝える。
  さほど商売には身を入れなかったとも伝えるが、町年寄としての仕事はきちんと勤めるなど、放蕩者ではなかったようだ。40歳のとき、家督を弟に譲り、以後は好きな絵に打ち込む生活を送った。
  晩年の寛政年間(1790年代) にはこの石峰寺に庵をむすんで滞在し、画業に打ち込み、84歳の天寿を全うした。
  このお寺のもうひとつのポイントは、広大な敷地にひろがって分布する多数の「五百羅漢」である。この五百羅漢の創作にも、伊藤若冲は大いに関わったという。[完]

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