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「グラフィック・ワークを超えて」横尾忠則現代美術館

  約2年前に開館されて以来、私としては初めて横尾忠則現代美術館を訪れた。かつて兵庫県立美術館があった神戸市灘区原田通に、旧県立美術館の一部を改修して構成したものである。私にとっては以前の県立美術館の想い出があって、なつかい気持ちがある。
  今回は、横尾忠則がとくに若いころに多数創作したポスターを軸にした展示である。Photo
  横尾忠則がポスターに意図的に枠、つまり描きこんだ額縁を多用することをテーマにした「表現された枠」、永遠のイメージの表現としてもちいた「水平線、奥行きと分割」、絵をみる者に視線をいざなう後ろ姿と画面に別の異なる要素を導入するシルエットをテーマとした「後ろ姿とシルエット」、横尾忠則がよく描きこむ文字表現のヴァラエティーを扱った「空間の中の文字、フキダシ、鏡文字」、現代絵画で多くのアーティストが多用する「繰り返しとズラシ」、時間をあけて同じモチーフを再導入して新しい表現を創造する「変容」、のそれぞれのテーマに分けて、総数150点余りの多数の作品が展示されている。
  まず、横尾忠則の基本的な姿勢として「ノスタルジー」があると思う。彼は、自分が抱くイメージを大切に記憶・保存して表現するが、そのイメージは、自分が実際に眼にしたもの、およびそれをもとに頭の中で発展させたものを描いている。ただ、その描き方はたとえばシャガールなどに比べてはるかに現実的で生々しい。個々の要素は、必ずしも美しいとはいえないことが多い。
  二つ目の特徴は、「明確な戦略」である。彼の絵は、いずれもあたかもマンガのように気楽に描いたように見えて、じっくり眺めると、非常に思索的で、周到に考え抜かれた設計にもとづいて描かれていることがわかる。雑で簡単なようで、実は緻密で複雑なのである。
  そしてそれらの結果として、一件雑然と混み合って無秩序にも思える絵が決して「うるさく」はなく、部分・部分では美しいとは到底思えない要素が組み合わされて、全体としては独特の美を実現している。
  横尾忠則は私自身の年齢に比較的近いこともあって、その絵は眺めていると執拗に記憶を刺激される。絵のおもしろさがわかり始めて眺め入っていると、想い出を強要されて苦しくなるし、しんどくなるという感覚もある。私の現在の年齢のせいもあるかも知れないが、未来に開かれた絵というよりは、過去に入り込んで、浸りきっていくような絵が多い。
  私は横尾忠則の作品に特段の強い興味があったわけではない。これまで2回ほど彼の特集点を鑑賞して、それなりに楽しんだが、その他にも雑誌の記事や挿絵、写真などの二次的媒体で眼にすることも多かった。そういうとき、横尾忠則の作品が、そんなに長時間鑑賞に耐えるもの、知的におもしろいものとも思わなかったが、こうしてまとめて直に作品を眺めると、横尾忠則という画家の奥深さを感じざるを得ない。そして、前述したように、どうにもしんどい。
  ただ一人の画家でひとつの美術館を維持するというのは、そうとうな数量の作品が必要だろうし、それだけではなく、なんども脚を運びたくなるような多様性やひろがり、また奥深さがないと、美術館として成立しないし維持できない。ただ、こうして彼の作品をまとめて眺めていると、横尾忠則という画家の場合は、そういう困難な条件をクリアーするのかも知れないと思った。
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