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「国宝鳥獣戯画と高山寺」展 京都国立博物館(上)

  京都国立博物館の常設展示館を中心とする長期間にわたった大規模な修復工事がようやく完了したのと、鳥獣戯画の実物を観ることができるというので、秋の一日を京都に家人とともに出かけた。
  国立博物館に着いてみると、平日の朝なのに意外にも長い行列ができている。係員の説明では、入場するまでに50分待って、さらに展示会場のなかで50分待つのだという。いささか驚き、少しためらったが、せっかく来たのだし、多少時間を要するのはあきらめて行列に並ぶことにした。果たして、実際には40分くらいで入場できた。
  栂尾高山寺(とがのお こうさんじ) は、今に至る紅葉の名所である京都郊外北西部の栂尾に、当初は山岳修行のための庵として創建されたものが最初であるらしい。寺の由緒書によれば、奈良時代の宝亀5年(774) 光仁天皇の勅願により建立されたとある。中興の祖とされ、実質的な創建者として知られるのは、鎌倉時代の華厳宗の高僧 明恵上人であった。
  この高山寺に伝わる「鳥獣戯画」ただしくは「鳥獣人物戯画」が今回の展覧会のハイライトである。
  展覧会の最初の2つのセクションは、高山寺の開創に関わる絵画や書、そして開祖である明恵上人にまつわる絵画・書・経典が並ぶ。Photo
  明恵上人は、高倉上皇 (1180年代) に仕えた平重国の子として、紀伊国有田郡に承安3年(1173) 誕生した。いわゆる源平合戦として知られる源氏と平氏の戦いであった「治承・寿永の乱」がはじまった治承4年(1180) 9歳であった明恵は両親を亡くした。その後、高雄山神護寺に入り、16歳で出家、東大寺に移り華厳宗・禅宗を学んだ。そして早くも23歳にして紀州有田郡白上山に遁世した。30歳を過ぎたころ、釈迦への思慕やみがたく天竺(インド) に渡って仏跡を巡礼したいと願ったが、春日明神の神託を得て、それを断念したという。遁世僧として生活していた明恵は、建永元年(1206) 後鳥羽上皇から栂尾の地を下賜され、高山寺を開山した。明恵は、華厳宗と密教との融合を図り、のちに華嚴密教と称される教えを創設したという。
  鎌倉時代に描かれた「明恵上人 樹上坐禅像」が展示されている。普通このような高位の人物の肖像画は、人物中心に、かつ顔の表現を重視して描かれるのだが、ここでは明恵上人が修行した場であろう樹木に囲まれた自然が大きく描かれ、人物は相対的に小さい。上人は普段の修行時に着用したものなのだろうか、ごく粗末な身なりである。上人の顔にはホクロ、延びたままの髭や眉などまで細やかに描かれていて、写実的で、おそらく実物を観た人物による作品ではないか、と伝えられている。
会場には、明恵上人が常に座右に置いていたという、かわいい小犬の木彫も展示されている。
  高山寺に伝わる典籍としては、中国の唐・南宋・北宋などの典籍や、論語・荘子・史記などが展示されている。
  展覧会場の最後のコーナーが「鳥獣人物戯画」である。ここで再び20分くらい行列を並んで待った。
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