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ホドラー展 兵庫県立美術館(1)

生い立ちと修行時代
Photo_2    日本では40年ぶりというめったにお目にかかれない「ホドラー展」が、兵庫県立美術館で開催された。たまたま少し前に神戸市立博物館の「チューリヒ美術館展」でこの画家の作品を少数観る機会があり、印象に残る筆致だったこともあって、是非鑑賞したいと家人と一緒に出かけた。
  フェルディナント・ホドラーは、1853年スイスのベルンに、貧しい大工の長男として誕生した。この年は、わが国ではアメリカのペリー提督が浦和に来航して、いよいよ幕末の慌ただしい時代が幕開けした年であった。両親のもと6人の兄弟であったが、ホドラーが8歳になるまでに、父と2人の兄弟を結核で失った。母は装飾美術を生業とする職人と再婚し、幼いホドラーはその義父から絵の手ほどきを受けた。しかし14歳のとき、母も結核で失い、やがて他の兄弟も全員が結核で死ぬという厳しい経験をした。こうして、彼は早くから「死」に向き合っていた。Photo_3
  孤児となった彼は、18歳のときジュネーブに移り、看板職人や観光客向けの似顔絵描きなどで生計をたてていた。こうして無名の画工として生涯を終えそうであったところへ、偶然新古典派の画家であったバルデルミー・メンに見いだされて、徒弟となり、やがてコローやバルビゾン派の芸術家たちを知るようになった。まさに人生の転機であり、ホドラーの才能を見いだしたメンも偉大だし、またその期待に応えて大成したホドラーも当然偉大である。19歳のころの作品として「山小屋とアイガー山」(1871) がある。このころの作品は、先輩の作品の模写が主であり、記銘すら許されない境遇であったという。それでもそのたしかで精緻な筆致は、画家としての卓越した基礎的能力を感じさせる。
Photo_4   ホドラーの初期の作品は、肉親の多数を早くから失ったこと、そして時代の世紀末的雰囲気が影響したことなどから、暗鬱な作品が多い。そのひとつとして「傷ついた若者」(1886) がある。

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