2017年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
フォト
無料ブログはココログ

« 絵画の深化と展開 ホドラー展 兵庫県立美術館(3) | トップページ | 日本人は韓国を「悪友」などと思っていません »

国民的画家としての晩年 ホドラー展(4)

Photo
  こうして50歳ころには国民的画家として認められ社会的地位を確立したホドラーは、多数の壁画を受注・制作している。ジュネーブ美術・歴史博物館から受託した「無限のまなざし」(1918) は、彼のライフワークともされていて、実際に壁画として美術館に設置されたのはホドラーの没後となったが、ホドラーがそれまでに蓄積・育成してきた多様なモチーフや技術がすべて導入されている。どっしりとした力強い人物像が、それぞれ類似しつつも少しずつ変化し、それらが複数、計算し尽くされた間隔と大きさ・位置で配置され、力強く静かに、しかしたしかに時間が、動作が、そして空気が流れ・変化している。
  名声を得て、壁画などの大作を受注・創作して、芸術家として密度の濃い充実した時期となった50歳台は、同時にホドラーにとって20歳以上も若い恋人ヴァランティーヌ・ゴデ=ダレルと出会い、そしてそのヴァランティーヌの重い病と死を見つめる日々でもあった。ホドラーは、芸術家として恋人の闘病を、多数のスケッチとして残している。そうしてついにヴァランティーヌが死んだとき、ホドラーは「バラのなかの死したヴァランティーヌ・ゴデ=ダレル」(1915) として、恋人の死骸を、まるでキリストの像のように描いた。しかし芸術家ホドラーは、恋人の闘病の時にも、多数の風景画をあわせて描き続けた。「白鳥のいるレマン湖とモンブラン」(1918) は、それまで彼が蓄積してきた技術・モチーフ・画風のすべてが成熟し、表現としてはある種の抽象化を加味したような完成度の高い作品となっている。
Photo_2
そして、その年1918年、彼は自宅で静かに亡くなった。死のほとんど寸前まで創作に没頭したことになり、私たち凡人には強い羨望をすら感じる65歳の生涯であった。
  ホドラーの伝記と作品をみて、若いころから身内に多数の死者をみつめ、時代の流行から得るものはあってもそれに泥むことなく独自の芸術様式を確立したことがわかる。全盛期には建築装飾芸術に没頭した。自分の生まれた国を強く意識し、やがて国民的芸術家として名声を獲得した。さらに「空気を描く・表現する」ことを重視し、努力し、成功した。これらの著しい特徴の数々から、私はノルウェーの国民的芸術家エドュアルト・ムンクとの深い相似性を強く感じた。

人気ブログランキングへお気に召せばクリックください

« 絵画の深化と展開 ホドラー展 兵庫県立美術館(3) | トップページ | 日本人は韓国を「悪友」などと思っていません »

美術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1444830/59511732

この記事へのトラックバック一覧です: 国民的画家としての晩年 ホドラー展(4):

« 絵画の深化と展開 ホドラー展 兵庫県立美術館(3) | トップページ | 日本人は韓国を「悪友」などと思っていません »