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ドイツ人捕虜たちの収容所生活 鳴門・淡路日帰り旅行(2)

  こうした優れた収容所管理者の下で、ドイツ人俘虜たちはかなりゆったりと幸せな捕虜生活を送ることができたらしい。
  ドイツ語から「バラッケ」と呼ばれる兵舎が、俘虜たちの住処であった。合計8棟からなる兵舎のひとつに、かなり大きなスペースをとって「演奏会場」が設置された。ここで、音楽を愛好する俘虜たちが演奏の練習や演奏会を行った。わが国で最初に、ベートーベンの交響曲第九番の全楽章が演奏されたのが、この場所であったという。そのエピソードから市民は、鳴門市板東を「第九の故郷」と呼んでいる。ドイツ館の館内には、当時の演奏会を模した「第九シアター」が設えられ、等身大の人形が約15分の演奏を聴かせてくれる。

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  収容所の敷地内には、住処であるバラッケ(兵舎)の他に、調理場・風呂場・トイレ・洗濯場などの共有施設の棟が並び、さらにボーリング場などのレクリエーション施設まである。このボーリングは、木製の穴のない玉を、菱形に並べた9本にピンに向かって投げるもので、ドイツ式のボーリングである。
 敷地内には、その他にビール・パン・チーズなど、ドイツ式の飲食物を製造する施設まで設置された。これらは当然、ドイツ人俘虜たちが提案・設計・建設したものだが、松江豊寿所長以下がそれを許したのである。捕虜の多くは志願兵であり、元は民間人として家具職人や時計職人、楽器職人、写真家、印刷工、製本工、鍛冶屋、床屋、靴職人、仕立屋、肉屋、パン屋など様々な職業に従事していた。彼らは自らの技術を生かして、収容所内でも生産・経済活動を行った。収容所の敷地の外にも、養鶏場などがもうけられ、所長の許可のもと、一定時間を収容所のそとに出ることも可能であり、その結果、周辺の日本人との交流もあった。日本人は「ドイツさん」と呼んで、親しく交わることもあり、その結果、ドイツ・ビールやドイツ・パンの製造技術が日本人に伝達されることもあった。
 敷地内の一部には、収容所内で製造した飲食物の販売所、さらには少し高級なレベルのレストランまであった。
  また、収容所内で印刷・発行される「ディ・バラッケ」という新聞もあった。ここには、日本の製塩技術や農耕技術などについても、よく調べられて報告されている。ドイツ人の知識欲の逞しさを窺うことができる。

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