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「ガウディと井上雄彦」展 兵庫県立美術館(1)

  アントニ・ガウディは、1852年6月25日、カタルーニャ州タラゴナ県に、両親ともに銅細工師の系譜をもつ家族に三男として誕生した。父方の先祖は、17世紀初めにフランスのオーヴェルニュ地方からスペインに移住してきたという。ガウディは、建築家になったあとも、自分が銅細工師の系譜をもつことが空間の把握に強みをもつ淵源であると考えていた。
  家族の多くは病弱で、長兄と次女を幼いころに亡くしており、さらに医学を学んでいた次男もガウディが青年時代に亡くなっている。ガウディ自身も6歳ころからリウマチになり、歩行が困難なほどであったという。そういう環境もあり、幼少期のガウディは繊細で内向的で、自然の動植物を丹念に見つめるような子供であったと伝える。
  家族も貧しく苦労したが、貧しい家庭の子弟のために設立されたピアリスト修道会の学校を経て、バルセロナの建築学校に入学した。しかし、母や兄弟を助け、自らの学費を稼ぐために、ガウディは学校に通う以外に、建築現場などで作業員として労賃稼ぎをした。このため、場合によっては建築学校で卓越した評点を得ることもある反面で、悪い評点を取ることもあったという。
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  ガウディの卒業製作作品が「大学講堂」である。常識的な発想からの設計を脱して、教授と学生の関係、伝統と現代との配置、思い切った建築構造、などの斬新なアイデアを導入し、一部の教授からは非常に高い評価を獲得した。当時のバルセロナ建築学校校長で建築家のアリアス・ルジェンは、ガウディについて「彼が狂人なのか天才なのかはわからない、時が明らかにするだろう」と言ったと伝える。このころから、彼は無二の親友・生涯の友人であるロレンソ・マタマラとの親交を深めていく。
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  卒業から間もなく、革手袋商人であったアステーバ・コメーリャから、パリ万国博覧会出典のための特注のショーケースを受注する。さほど大きくもないショーケースだが、コメーリャは当時としては破格の高額の契約をしてくれた。これがパリ万国博覧会に出たとき、それをみて感動したのが繊維企業を経営する富豪であったアウゼビ・グエイであった。この運命的な出会いによって、ガウディは、以後40年近くにわたる強力なスポンサーを得たのであった。
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