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光信の親族・同僚たち 京都国立博物館(2)

  光信は、血統的にも正式の永徳の継承者であったが、永徳には狩野宗秀、狩野長信、狩野内膳、などの兄弟や、近い世代の影武者のような存在がいた。
  狩野宗秀(そうしゅう)は、永徳の弟であり、画風も永徳に似ていたという。この展覧会では「扇面画帖」という比較的ちいさな絵が展示されている。
  狩野長信は、やはり永徳の弟であるが、年齢的には甥にあたる光信よりも年少であった。嫡子でなかったこともあり、他家に養子に出されたこともあり、また狩野家のライバルであった長谷川等伯に師事したことがあるとも言われている。長信の場合、早くから家康に謁見して徳川家の御用絵師になったことが特徴である。今回は「花下遊楽図屏風」が展示されている。
 
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この絵では、他の狩野派の作品と較べて、市井のさまざまな階層の人々が、大きく、こまやかに描かれていることが特徴で、絵画としてもう少し時代が下ってから登場する浮世絵を先取りし接近しているようにも思える。
 
  狩野内膳は、荒木村重の家臣の子として生まれたが、荒木村重が織田信長に亡ぼされて、生業を得るために狩野永徳の父 狩野松栄に師事し、才能を認められて18歳にして狩野の姓を名乗ることを許された。やがて豊臣秀吉に登用され、豊臣家の御用絵師となった。文禄元年(1592) 狩野光信らとともに肥後国名護屋城の障壁画制作に参加する機会を得た。このような経験を生かして、「南蛮屏風」(文化庁) を描いた。南蛮人の風俗をかなり精確に描写しており、キリスト教的な要素も描きこまれている。

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