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「琳派400年記念祭 琳派 京を彩る」展 京都国立博物館(3)

尾形光琳
 尾形光琳は、元禄ころに活躍した芸術家で、俵屋宗達に影響を得て独創的な装飾芸術を完成し、琳派の基となった。
 光琳は、万治元年(1658)、京都の呉服商「雁金屋」の当主尾形宗謙の次男として生まれた。光琳30歳の時父宗謙が死去し、光琳の兄が家督を継いだ。光琳が作品を残し始めたのは、このころからであった。40歳を過ぎてからは江戸に出て、画業に本格的に取り組むようになった。彼は俵屋宗達とは世代も離れていて、直接の師弟関係は全くないが、「風神雷神図」など宗達に倣った題材があり、また俵屋工房など宗達の亜流の作品群からの芸術的影響があると言われている。
 光琳の生家である呉服商「雁金屋」は、三代将軍家光の妹で後水尾天皇に嫁いだ東福門院和子の御用達であった。光琳の親の世代ころには、東福門院からの膨大かつ巨額の発注により、雁金屋はまさに巨万の富を得ていたが、光琳が成長したころには家産は破綻に瀕していたという。それでも光琳は、ほとんど金に不自由なくいわゆる放蕩息子として人生を過ごし、思い存分自らの芸術的才能を開花させたと言えよう。
 光琳の「風神雷神図」が宗達のものと並べて展示されている。
 
Photo
 並べて比べると、同じようでありつつも少し印象が異なる。宗達の絵があくまでおおらかで明るいのに対して、光琳の絵は少し陰影を含んでいるように感じる。なんとなく創作により長い時間をかけたのではないか、という印象がある。もちろんこれもすばらしい。
 「太公望図屏風」は、もとの絵は水墨画だっただろうが、ここでは独創的で大胆な構図と金地を取り入れた斬新で新鮮な配色とで、まったく生まれ変わった斬新な作品となっている。
  「四季草花図屏風」でも、写実でなく意匠化が進んでいて、とても新しい雰囲気である。たしかにこういう作品が、後に酒井抱一や鈴木其一などを魅了したのだろう。「三十六歌仙図屏風」は、ほとんど同じ題材の絵を、光琳、酒井抱一、鈴木其一が描いていて、これは「風神雷神図」以上に似通っている。
 いずれにしても、光琳の作品の「切れ味」とも言うべき鋭さと斬新さは、300年ほど経過した現在でもほとんど「新しさ」を失わずに輝いている。

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