「保育園落ちた日本死ね!」という下品
「保育園落ちた日本死ね!」という文言ではじまるインターネットの匿名記事を取り上げ、民主党議員が国会で安倍首相に詰め寄ったという。
産経新聞電子版 2016.2.29付
(前略)民主党の山尾志桜里氏は、「何なんだよ日本。1億総活躍じゃねーのかよ。昨日見事に保育園落ちたわ。どうすんだよ私活躍出来ねーじゃねーか。子供を産んで子育てして社会に出て働いて税金納めてやるって言ってるのに日本は何が不満なんだ。子供産んだはいいけど希望通りに保育園に預けるのほぼ無理だからって言ってて子供産むやつなんかいねーよ」などとする、15日の匿名ブログへの書き込みを紹介。「言葉は荒っぽいが、本音、本質だ」と安倍晋三首相に迫った。(後略)
産経新聞電子版 2016.03.3付
(前略)産経新聞はこの文章の主の話をインターネットを通して聞くことができた。(中略)「働かなきゃいけないのに保育園に落ちた。こうした自分の怒りや感情を率直に書いた」。女性は文章を公開した経緯をこう振り返る。保活では、認可保育所はもちろん、通える範囲にある認可外保育所も申し込んだが全滅。中には、見学の段階から「うちは無理だと思いますよ」と門前払いをするような保育所もあった。「保活に必死な保護者同士の間にも殺伐とした雰囲気があり、一言で言うなら『暗い保活』でした」と振り返る。(後略)
第一に、この匿名筆者のインターネット投稿記事のような下品な物言いは、私は嫌いである。インターネットに投稿することは勝手だろうが、少なくとも国会の議論に乗せるべきようなものでは到底ない。子供を抱え、あてにしていた保育所を利用することを断られ、たしかに困窮しているのだろうが、「保育園落ちた日本死ね!」などに続く、いかにも下品で感情的な物言いは、まことに下品としか言いようがない。こんな下品な態度では、「保活に必死な保護者同士の間にも殺伐とした雰囲気があり、一言で言うなら『暗い保活』でした」という状況になるのも、至極当然だろうと推測する。そんな稚拙な感情むき出しの下品な記事をわざわざ国会にとりあげる、民主党の山尾志桜里議員の品格を疑う。
第二に、どんなに保育所の整備が進んでも、希望者全員が漏れなく利用が可能である、というような事態はないだろうし、もしそんな状況が実現したら、おそらく膨大な無駄が随伴しているだろう。実際的で妥当な状況を想定すると、希望しても利用できない人は、幾ばくかは必ず存在すると考えられる。不満を解決するために政府に訴えるのであれば、たとえ政治に素人の一国民だとしても、もう少し冷静に具体的な状況説明をして、きちんと抗議、あるいは問題提起すべきである。なにか問題にぶつかったら、その場の感情にまかせて当たり散らかすように傍若無人に喚き散らす、というような行動は、少なくとも政治的行動として推奨できない。こんな言動を政治的に推奨するかのような民主党山尾志桜里議員のこのたびの国会での言動は、そういう意味からも大いに問題がある。
第三に、このような問題に対して、問題提起をしているつもりの民主党は果たしてこの匿名者の要望に応えるような方策をもっているのだろうか。民主党は3年前に政権をおりてから、最近はとくに、国会でほとんどまともな議論をできていない。本質的でない、揚げ足取りの繰り返しのような発言、深く考えていない思いつきのような発言が多すぎる。どこかで不満を乱暴に喚き散らす人がいたら、これ幸いと安易に国会に持ち込むことが政治家としての仕事ではない。プロの政治家ならば、今回のようなネット記事がきっかけになると本気で考えるなら、自ら実情を調査し、問題の本質を究明し、現実の問題点をきちんと整理し、定量的な調査・分析をしたうえで解決策を政策として立案して、国会の議論に提示すべきである。話題を引きそうなネット記事があったら、そのまま国会に紹介して首相の感想を聞く、というような態度では、巷にはびこる無責任な安物のメディアと変わるところがなく、政治家としては怠慢か、あるいは無能である。一貫して低レベルのポピュリズムに終始する民主党らしいとも言えるかもしれないが。
政府与党は、現在の日本社会のさまざまな様相に対してつねに謙虚に実情把握につとめ、問題解決につとめる義務がある。しかしその実現のためには、複雑に絡み合う多くの要素のかねあいのなかで、よりマシな結果をもたらすようなすり合わせと妥協を探っていくことが本質であり、全体として問題が少しでも極小化することを目指す営為が政治である。関係する人々や要素がすべて円満に、新たな課題をなんら発生することなく解決するような政治的問題など、どこにも存在しないのである。野党も、自らは直接の政治責任がないとはいえ、政権与党に対して詰め寄るためには、常に対案をもって臨まなければ、単なる無責任な放言に止まることになる。また、今回のような一面的・極端・感情的な「世論」に対して、安易に付和雷同するのでなく、決して無視せず、問題の本質を抽出し、熟慮して議論に持ち込む努力を行うことが必須であり、また一方で、国民を少しでもよりマシな方向に導く努力が、政治家には要求されるのである。
まずは政治家から「安易なポピュリズム」を排したいと願う。
« 大英博物館展 神戸市立博物館 | トップページ | 民主主義の課題と行方 »
「時事」カテゴリの記事
- フーバーの著作からウクライナ戦争と日本を考える(2024.11.27)
- 第50回衆議院選挙を考える(2024.10.28)
- ジャニーズ性被害問題にかんして(2023.08.18)
- 日本大学アメリカンフットボール部の不祥事にかんして(2023.08.17)
- 安倍元首相銃撃事件とマスコミ(2022.07.10)
言葉自体が下品で違和感ありました。
なぜ流行語?これも疑問に持ちました。
当時私は忙しく違和感はあったものの自分から情報をとりに行きませんでした。
今、暇になりあれは一体何だったんだと思いたどり着きました。
この記事を取り上げた山尾氏は文章の下のほうにかいてある『不倫したり…』の文言に当てはまり、自分にブーメランかえってますね。
投稿: たろう | 2018年6月21日 (木) 15時37分