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「生命政治」の時代と個人の健康

 ミシェル・フーコーは「生命政治」という概念を提唱し、現代の医学は人間を精神や魂をもつ存在としてではなく、人口として、他の生物と同じ次元の生物の「数」として、その最大化の維持に専念する存在である、とする。そのため医療の論理は、本人の意志に関わらず病気の予防として、生活態度の改善や運動の奨励さらに予防健診と先取りの治療としての投薬、さらには延命治療など、病気で苦しむ人間を救済するという以上に、福祉を達成する社会的・政治的利益を重視するという、民衆からも否定しにくい名目で人を縛りつけるという。たしかにこの指摘は、一面の真理をついている。「禁煙ファシズム」とも揶揄されるような強硬な禁煙強制、喫煙者への不当なまでの非難の風潮も同じような事情だろう。このようないささかヒステリックな禁煙運動には、たばこを吸わない私ですら違和感をもつ。
 私の母は、昨年初秋に95歳6カ月で亡くなったが、認知症が進んで判断があやしくなるまでは、めったに医師にかからない生活であった。本人の意識では、自分は健康保険に加入して保険料を支払ったが、自分自身が疾病で使用した給付額は些少であったと思っていたに違いない。しかし亡くなる前の2年間ほどは入退院を繰り返し、大きな疾病をもたなかった母は胃ろうで生命を長らえ、保険診療で自己負担分は大きくなかったものの、結局大きな医療費を費やして死んだ。生命を重視するというある意味反論しにくい論理で、本人の意識がまどろんだなかで巨額の医療費を費やされたのも事実である。私自身を含む国民の大多数が同じことをやるようでは、わが国の健康保険制度は、いずれ破綻を免れないだろう。
 ただこの問題に関しては、幸いにして現在のわが国ではさほど強い強制力が働いていない側面もある。私たちに残された自由度はまだかなりあるとも思う。私は自分が納得する以上の予防健診は避けているし、そのためにたとえば癌の発見が遅れて死亡が早まったとしても、幸いにしてこれまで生きてこられたことで満足していて、生を終えることに大きな未練はない。私の認知能力が低下したときには、延命治療を断る旨の遺言書のようなものを認めて、家族に配布している。
 テレビなどの多くのメディアでは、毎日のようにあれを食べず飲まず、これを食べなさい、これを続けなさいという類の無数のアドバイスが流されるが、私はほとんど興味がない。家人がつくってくれるおいしい食事を楽しんで、自分が抵抗なく無理なくできる範囲の生活習慣を続けて、結果として適当なところで命が尽きれば、それで十分幸せなことであると思っているのである。

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