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2016年10月

福島章『ストーカーの心理学』

  ベテラン女優の息子がテレビドラマなどでようやく日の目を浴びるようになったと思ったら、ロケ先のホテルで従業員に性的暴行を働いて逮捕されたとか、東大の学生が卑猥な目的を秘めて学生サークルをつくり、他大学の女子学生に強制猥褻を働いたとか、最近性に関わる犯罪や事件が相次いだ。明治時代以来の刑法を変更して、強姦罪・強制猥褻罪の「申告制」を辞めるという話題もある。そんななかで、福島章『ストーカーの心理学』、PHP新書、1997 を偶然知り、読んでみた。
 「ストーカー」という言葉は、1995年から翻訳本によって取り入れられた比較的新しい言葉である。ストーカー問題がすべての性犯罪をカバーするわけではないが、その心理的・病理的な側面を把握することは、性犯罪や性にかかわる事件を理解するうえではおおいに参考になると思われる。著者である福島氏は、東大の精神科医で、性に関わらず多くの犯罪の精神鑑定にかかわってきたという。
  福島は、ストーカーの行動・アクションを5つのタイプに分類する。
①インノセント・タイプ: 被害者側にはストーカーの加害者にもともと何の関心も知識もない
②挫折愛タイプ: 被害者が一時的にでも加害者となんからのかかわりがあった
③破婚タイプ: 被害者が加害者と、一時期実質的な結婚生活を送った
④スター・ストーカー: 被害者がタレント・アイドル・政治家など有名人
⑤エグゼクティブ・ストーカー: 被害者が社会的地位が高い、あるいは他人の相談をする
さらに、ストーカーの精神医学的な病理をこれもまた5つに分類する。
①精神病系: 精神分裂病などの精神病がすでに発病したうえでの異常行動
②パラノイド系: 妄想をもつ以外はほとんど正常
③ボーダーライン系: 精神病と神経症の間、あるいは境界人格障害、きわめて不安定
④ナルシスト系: 自己愛性人格障害で、拒否されることが受け入れられず自己中心的
⑤サイコパス系: 反社会的人格障害、被害者を欲望の対象、単なるモノとみる、凶悪
福島は、このように、行動と精神病理の2つの軸から分析し、それぞれのケースに相当する実際に発生した具体例をひいて詳しく解説している。
私はこれまで精神医学や心理学的なアプローチについてまったく知らなかったので、性犯罪や性的異常行動について、まずはしつけの問題あるいは道徳の問題という理解が中心であったが、これを読んで、精神医学的な要因が重要であることを知らされた。性の欲求は生物の種の保存のための本能的欲求であるため、道徳的規範や自制心のみで制御しきれない範囲があり、ほんらいむずかしい問題であるとは思っていたが、さらにそのうえに精神病理の問題が絡んでくるので、非常に複雑なようである。性犯罪に潜む問題は、実は非常に複雑・多彩であることを前提に考えなければならない。メディアが興味本位で煽ったり囃したてるような単純な問題ではない、ということに十分注意する必要がある。
それにしても若い男女、とくに若い女性にとっては、日常生活の周辺にさまざまなリスク要因が潜んでいるということであり、この書に記されているような事実をよく知って、十分注意して行動しなければ、いつなんどき理不尽な不幸に見舞われないとも限らない、ということのようである。どうすれば性犯罪やストーカーの被害を遠ざけることができるか、というと、この書でも「ノー!とはっきり言えること」、「まず自分自身が自立できること」、「つきあう相手も自立できる人間を選ぶこと」など、かなり常識的な結論になっている。ただ、この書が強調することは、精神医学や精神病などの要因を忘れぬよう頭のどこかに置いておく必要がある、ということだろう。
若い女性たちには、この書の範囲程度のことは、ぜひ知っていただきたい、と思う。

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『天才』石原慎太郎、幻冬舎

  テレビでこの本の存在を知り、今年の4月初めに市立図書館で探したら、貸し出し中で予約は270人待ちだという。その時点では、市立図書館全体で7冊の所蔵があり、まあ急ぐものではないので、予約を入れて待つことにした。今では市立図書館全体で15冊の所蔵があるという。そしてようやく半年以上経過した10月も中旬になって、ようやく借り出すことができた。
  手慣れたベテラン小説家の文章であり、流れもよく読みやすく、半日も経たずに読み終えた。「田中角栄」という希有な政治家の人物像を描き出そうとした小説である。報道でもなく、実話だけでもない。当然、著者たる石原慎太郎の見方、考え方が描かれている。
  石原慎太郎は、現役の政治家のときは田中角栄に反発し、激しく攻撃もしていたことは、私でも知っていた。しかし、引退して当時を振り返って、当時の田中角栄と自分自身を客観的に見ると、日本の政治状況がおかれた国内・国際の環境にてらして、石原慎太郎は田中角栄と対立する面よりも、はるかに多くの「共に立つ」側面を見いだしたのであろう。
  小説ではあるが、当然著者たる石原慎太郎の田中角栄像であり、人物評論である。こういう作品に対して「客観性」や「事実か否か」を求めて、あやしげなジャーナリストたちが書いた本の方が「まとも」だとか「よりためになる」などと言っても、それは全く的外れな書評であろう。人物評は、評者の主観が入ってこそ説得力をもち魅力あるものとなる。
  団塊世代の私は、学校を出て社会人になって,まもなく田中内閣の時代を迎えた。中年のころに、彼の死を伝え聞いた。田中角栄は私たち団塊世代の親の世代に近く、政治家になって以降の田中角栄の活動の多くは、私の幼いころ、若いころの人生と重なっている。そういう意味で、登場人物の多くは多少とも聴き知っていて、なつかしさもある。
  私自身は田中角栄の現役時代、田中角栄に対してとてもエネルギッシュな人物だとは思ったが特段の好悪の印象はなく、石原慎太郎に対しては恵まれた環境に生れて好き勝手なことをやっている男だという印象以上のものはなかった。後にはそれぞれの印象が少しちがうものとなった。ともあれ石原慎太郎という作家・政治家が見た田中角栄像がわかりやすく鮮明に描かれた作品として、値打ちある本である。

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デトロイト美術館展 大阪市立美術館(5)

デトロイト美術館の危機と救済 
 デトロイト市は2013年7月、ミシガン州連邦破産裁判所に連邦破産法9条の適用を申請した。地方自治体としてアメリカ史上最大規模の財政破綻であった。
  デトロイト美術館は、1985年に創立された。創立当時は、アメリカの自動車産業は世界をリードしており、デトロイト市にあったフォード・ゼネラルモータース・クライスラーの世界的三大自動車メーカーが隆盛を極めていた。しかし実際は、すでにその以前から日本などの猛追を受けて、製造業としての体質はダメージを受け始めていた。徐々に市民のうち白人層が市外に出て行くようになり、自動車を軸とする産業の地盤沈下が進んで、ついに2009年からゼネラルモータース、ついでクライスラーが破綻した。政府も肩入れした企業再生の努力により、2010年代に入ると自動車製造業としてはかなりもちなおしつつあった。それでも自治体の債務超過は再生できず、2013年の破産手続きとなった。負債総額は2兆円弱にまでのぼった。市の統計によれば、子供の6割が貧困生活を強いられており、市民の半分が読み書きもできず、市内の住宅の1/3が廃墟か空き部屋だという。
  そこで少しでも債務を減らすために、デトロイト美術館の資産売却というアイデアが出た。資産評価によると、デトロイト美術館の収蔵品をすべて売却すれば、1~2兆円を得るという。年金受給の権利をもつ退職者など債権者たちが美術品は売却可能な資産であると主張し、訴訟団を結成して裁判所にデトロイト美術館売却を提訴した。彼らは、政治家はピカソよりもまず市民を守るべきだと訴えた。一方で、デトロイト市民の78%が美術品の売却に反対していて、売却に強く反対するひとたちも多かった。
  この深刻な危機は、最近になって世界中から寄付が集まり、豊かな収蔵品の資産を世界中の美術展に貸し出しすることなどで収入を得つつ債務を処理していく、というスキームが提案され、現在デトロイト美術館を潰さない方向で市の再建を図っているという。
  私は無責任なメディアや文化人が煽るように、なにがなんでも美術館を守るべきだ、という意見には与しない。市の財政が破綻するというとき、文化活動に費やす余裕がないのは当然である。人々の暮らしより美術が優先するはずがない。それと同時に、こうして世界中から寄付が集まり、世界中の「美術館を守りたい人々」の具体的行動で美術館が維持・復活することは、とてもすばらしいと思う。
  少し前に、大阪府の財政難から大阪フィルハーモニー交響楽団への公的助成や同じく大阪市からの文楽座に対する公的補助が廃止される、といった話題があった。万博公園にあった大阪府立国際児童文学館も廃館が決まった。そのときも一部メディアや「文化保護」を叫ぶ無責任なひとたちは、橋下府知事・市長を批難・攻撃した。私はそういうひとたちに全く同意しない。楽団や文楽を守りたければ、自ら身を削って維持・再建を実行せよ、といいたい。わが国は、かつての高度経済成長時代の感覚がいまだに残存するのか、財源をまったく頓着せず無責任に「文化擁護」などともっともらしい議論をするひとたちが多すぎる。
  今回の展覧会は、展示点数が52点と少なめであったけれど、どの展示作品も直接あるいは本やテレビを通じて間接的に観たことがあるような、きわだって有名・高名な作品ばかりであった。そういう意味ではポピュラーな作品中心で、新たな発見というイメージは少ないが、すばらしい一級品ばかりの展覧会であることはまちがいない。このような貴重なコレクションが、口先だけでなく自ら身を削るひとたちの努力によって守られたことは、美術ファンの端くれとして素直に喜びたい。
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デトロイト美術館展 大阪市立美術館(4)

20世紀のフランス絵画
  20世紀に入ると、フランス、とくにパリは絵画・彫刻など造形芸術の世界的なセンターとなり、世界中から若い芸術家が集結し、刺激し合い切磋琢磨して創作活動を華やかに展開した。そんななかから、マティス・モディリアニ・ピカソなど多数のスターが誕生した。Photo
  アンリ・マティスの「窓」(1916) がある。この作品は、アメリカではじめてマティスの作品をデトロイト美術館が購入したということで有名な記念碑的な絵画であるという。形状の表現には頓着せず、思い切った色彩と平面的描写で観るものの頭脳を直接刺激する。なにより意外性の大きな表現が特徴である。私は、若いころマティスの作品の良さがあまり理解できず好きになれなかった。しかし加齢もときにはありがたいもので、今ではマティスの魅力にどっぷり浸かっている。色彩の選択も、画面構成も、見れば見るほど完璧なものに思えてくる。
  アメディオ・モディリアニ「女の肖像」(1917ころ)がある。当時の恋人であった女性を描いた作品で、モディリアニ特有の細長い顔、傾げた頭、長い首、撫で肩が描かれている。個別・ミクロにはとくに美しい表現は見つからないのに、全体としてとても美しい。
  ジョルジュ・ルオー「道化」(1907) も不思議な落ち着きと魅力のある作品である。
Photo_2   シャイム・スーティン「赤いグラジオラス」(1919ころ) は、通常の静物画あるいは花の絵とは異なり、きわめて強い筆致で描かれ、対象であるグラジオラスへの執念とも思えるような強い思い入れが現れる。
  そして最後の展示コーナーが、6点のパブロ・ピカソである。青年期の「青の時代」を経て、「バラの時代」に入るその初期の作品「アルルカン」(1905)、キュビスムの前兆を感じさせるレリーフのような表現を用いた「マヌエル・パリャレスの肖像」(1909)、キュビスムの特徴たる分解と合成を2次元的に展開した「アニス酒の瓶」(1915)、マティスの作品を連想させるような美しい「肘掛け椅子の女性」(1923) がある。
そして今回わが国としては初公開という「読書する女性」(1938) がある。これは作品制作当時恋人であったシュールレアリスム写真家ドラ・マールを描いている。ピカソの描く女性は、キュビスムとして分解・再合成されていて、写実的というには到底ほど遠いけれど、顔の部分部分が特徴をきわめて現しており、誰を描いたのか明確にわかるという。この絵でも、鼻・目・額付近の髪など、ドラ・マールの特徴が現れている。
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デトロイト美術館展 大阪市立美術館(3)

20世紀のドイツ絵画
 このコーナーは、主にドイツ表現主義の作品を集めている。「表現主義」とは、絵画、文学、映像、建築などの多様な芸術分野において、感情を作品中に反映させる表現傾向を指す。わが国では、戦前より「ドイツ表現主義」と呼ばれることが多かったという。マティスなどのフォービズムにも影響を受けて、大胆な色彩で感情を豊かに表現しようとした。
Photo  コーナーの冒頭に、ワシリー・カンディンスキー「白いフォルムのある習作」(1913) がある。カンディンスキーはドイツ人ではなくロシア人であるが、若いころよりドイツで絵画の勉学に励んだ。右上にはロシア正教の教会が描かれ、右下半分近くは青騎士をいささか抽象的に描いている。色彩と曲線を主にした形には不思議な魅力があって、眺めていて飽きない。なんとなくシャガールとも共通する「ロシア風」というイメージは感じる。
  エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー「月下の冬景色」(1919) がある。第一次世界大戦に応召し、戦争経験から神経を病み、除隊した後の夢からこの作品を描いたという。冬の山麓の景観を、赤色の空、紫色の樹木など、現実離れした色彩で大胆に描く。たしかに色彩はきわめて特異であり、非現実的でむしろ不気味でさえある。しかしその反面、なにか澄みきった清澄な雰囲気すら感じさせる、不思議な魅力をもった作品である。Photo_2
  パウラ・モーガーゾーン・ベッカー「年老いた農婦」(1905) がある。中心に描かれた農婦の顔は、年輪を重ねた重厚で濃い表現がされており、画面中央の胸元に添えられた手はいささかアンバランスに大きく、その皮膚や皺がこの農婦のこれまで生きてきた辛苦や過酷な労働を象徴している。背景は壁と空とで二分され、下半分は暗い緑色で農婦の過去の苦労の多い暗い生活を象徴する。上半分の空は明るく、この老いた農婦の余生の希望を象徴している。ドイツ表現主義の典型的な作品である。
  これらドイツ表現主義の作品郡は、ナチスによって「頽廃芸術」と烙印を押され、多くが破壊されてしまった。このような不幸な事件は、たとえばキルヒナーを自殺に追いやるなどマイナス面が多々あった反面で、ドイツ表現主義の芸術運動を強く印象づけ、以後の芸術の前衛となる機会ともなったとされている。

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ポスト印象派 デトロイト美術館展 大阪市立美術館(2)

ポスト印象派
  写真技術の発明と発展により、単なる写実のみでは美術としての付加価値が乏しいことから、光や作品の鑑賞側としての人間の「絵から受ける印象」を意識した作品がスタイルとなって「印象派」が誕生した。しかし光の強調や表現の工夫に飽き足らず、表現される本質や絵の画面の構成法などについて、画家のオリジナリティをもっと追求する動きが出てきた。ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌなどである。ただ、彼らが何らかの共同的あるいは統一的活動をしていたのではないらしい。Photo
  ポール・セザンヌの「サント・ヴィクトワール山」(1904ころ) が展示されている。同じ名前の作品がセザンヌには多数あるが、そのひとつである。セザンヌの住処から眺めることができる山で、彼はこの山を敬愛して、さまざまな表現の工夫を試行錯誤を含めて加えつつ、なんども描いたのである。描写の工夫というより思索された画面の構成、画面要素の分解と合成、という側面がはっきり感じ取れる。「画家の夫人」(1886) も、肖像画として夫人の人格や容貌を描写しようとする方向は少なく、画面を設計して意図的に要素を配置し、背景も滴模様の繰り返しのようなものと意図的な絵具の塗り残しで構成する、というきわめて知的・意志的な作品である。「三つの髑髏」(199ころ) は、静物のように3つの髑髏が並べられているが、その形あるいは崩れ方に少しずつアンジュレーションがあり、大きさも色も段々変化している。あるものをそのまま忠実に描くというのでなく、画家の思考や意図が明確に現れている。
Photo_4   フィンセント・ファン・ゴッホの作品が2つ展示されている。ひとつはこの展覧会のチラシを飾った「自画像」(1887)である。意外に小さな作品だ。しかしじっと見つめると、まるで毛むくじゃらの猿のような顔面の皮膚の描写と、目の周辺の異常なまでの精密な描写に惹きこまれる。ゴッホは、この絵を描きつつ必死に自分を絵のなかに投入しようとしている。ゴッホのもうひとつの作品は「オワーズ川の岸辺、オーヴェールにて」(1890) である。この絵は、ゴッホが自殺する直前に描かれたものとされており、つまり絶筆の作品なのである。画面を覆い尽くすきわめて荒いタッチの油絵の筆あとが生々しい。ただ、この作品には、この少し前の糸杉の絵のような、いかにも狂気を感じさせるような不気味さはない。
  このゴッホに個人的にも深く関わった人物こそが、ポール・ゴーギャンである。ゴーギャンの「自画像」(1893) が展示されている。この絵を観るのは、私は初めてである。ゴッホの自殺のあと1893年、ゴーギャンは一時タヒチからフランスに帰国した。このころ、ゴーギャンは、自分の絵画作品をフランス国内やアメリカに売り込もうとして、一時は成功もしたものの、思わしくは発展しなかった。また妻との関係も悪化したりして、ストレスの多い憂鬱な時期であったようだ。このころに描いたのがこの自画像で、描かれたゴーギャンは相手を反抗的あるいは抗議するかのように睨み付けており、また全体としてそこはかとなく孤独感も感じられる。私たちが普通「ゴーギャンの絵」と思っているものと、少し印象が異なる。Photo_5
  オディロン・ルドン「心に浮かぶ蝶」(1910ころ) という不思議な作品がある。画面全体は赤色だが、そのなかに蝶が散りばめられている。ギリシア語で「蝶」は精神、生命、死などを象徴する含意があり、爛れたような厳しい現世に生命が復活するようなイメージを表現しているようである。モーリス・ドニ「トゥールーズ速報」(1892) という大判の挿絵のような作品がある。新聞の広告のために発注を受けたもので、中央に大きくいかにも活動的な風貌の女性が両手に新聞を広げて読んでいる。その新聞はどんどん湧いてくるようで、画面右下には、それが落ちこぼれてくるのを多くの民衆が待ち受けている。画面を左上から右下に時間の経過を暗示して、かつ主人公の活動的な女性が新聞メディアの活力を、左上から右下の方向への流れが速やかさを、溢れる新聞から情報の豊富さを現している。現代ポップ・アートのような雰囲気さえ感じる。

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デトロイト美術館展 大阪市立美術館(1)

  この夏から秋にかけて、母の一周忌、伊勢志摩小旅行、同窓会、生垣の手入れ、ダリや藤田嗣治の展覧会、歌舞伎、新派劇などいろいろ出かける機会があり、ついついデトロイト美術館展については、会期の最後付近になって漸く出かけることになった。最終日に近いためか、会場は予想以上に混雑していて驚いた。

印象派
  会場は4つのコーナーで構成される。最初のコーナーは「印象派」である。
 デトロイト美術館は、世界的に人気の高い美術作品を多数所蔵していることでも有名で、印象派についても所蔵が多く、とりわけ世界的にポピュラーな有名作品が多数あることでも知られる。クロード・モネが、自分の邸宅の庭に咲くグラジオラスの様子を、そこに佇む夫人とともに描いた「グラジオラス」(1876) がある。モネの特徴をよく現した画風である。

Photo

 ルノワールは、3点が展示されている。そのひとつ「座る浴女」(1903ころ) は、ルノワール晩年の名作とされるもので、若々しい女性のみずみずしい肌が職人的な精緻な色彩の混合と丁寧な筆致で見事に表現されている。よくみると、女性のヌードの肌なのに、緑・青など、普通に思いつかないような色彩が導入され、かつ結果としてとても生き生きと輝いた肌を実現している。この作品の約30年前の「肘掛け椅子の女性」(1874) では、肌に用いる色のヴァラェティがもっと多彩である。ある意味、後のフォービズムの先駆ともいえる。Photo_2
 ギュスター・クールベが印象派だとは知らなかったが、「川辺でまどろむ浴女」(1845) の絵の説明にあるとおり、古典的で写実的な画風だが、表現の意図として明らかに「世俗画」を目指していることはよくわかる。女性の肉体表現も量感がたっぷりあり、背景に描かれているものも宗教絵画や宮廷絵画とはまったくちがう。アンリ・ジェルヴェクス「パリのカフェにて」(1877) は、光や色彩に大きな特徴はないが、描かれた人物たちの心理までも表現しようとするところに、当時としては画期的なものがあったのだろう。都会の自由とその反面での孤独とが、観るものに自然に伝わってくる。

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ダニ・カラヴァン 室生山上公園芸術の森(下)

公園に入ると、ほかに入場者はごくわずかしかいない。この広大な展示場を、私たち夫婦と友人の3人で占領しているような、とても贅沢な気分である。
 入場して最初に出合うのは「ピラミッドの島」という作品で、池の上に丸い形の島が2つあり、そのひとつには2つの分離したピラミッドのような造形が鉄で構成されている。ここで用いられている鉄材は、すぐに錆びるがその錆びが進行せず、全体が腐敗することなく長期間の寿命を維持できるような素材を選別している、という。

Photo

 「らせんの水路」という作品がある。遠くの山裾の木立のなかに水源があり、そこから水が蛇行する水路によって流れ来たり、らせん形の水路に至って周囲から順に中に向かって水が流れ、ついにらせんの中央のシンクに流れ込むという構造になっている。
 「太陽の島」という丸い島があり、そこから「太陽のゲート」という頂上の中央が切れたような形の「コの字型」のゲートがいくつも並んだ橋が突き出している。この全体を「太陽の道」と名付けている。ダニ・カラヴァンによると、この作品は室生寺との時空を超えた関係性を表現したもので、自然界で永遠に再生を繰り返す、人間にとって普遍的なこころの拠り所である太陽をコンセプトにしているという。

 
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 最後に「波形の土路」という並木道のような作品がある。鑑賞のための通路から、公園の北西を区切る山裾の森に向かってつづくリズミカルな雰囲気の道である。
 このような造形を芸術として創作するためには、通常の美術制作と異なり莫大な費用を要する。それにも関わらずダニ・カラヴァンには頻繁にスポンサーがついて、しかもユダヤ人と対立しがちなドイツから受注することが多いのだという。
 たしかにダニ・カラヴァンの造形は、大きくて迫力があるだけでなく、暖かみ、優しさが感じられ、かつとても知的である。このような表現で魅力的な芸術が構成できる、ということに改めて気づく。とても充実した楽しい鑑賞であった。

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ダニ・カラヴァン 室生山上公園芸術の森(上)

 伊賀市の山村に住む友人が誘ってくれて、奈良県宇陀市の名跡室生寺近くの室生山上公園芸術の森に、ユニークな造形芸術家ダニ・カラヴァンの作品を観る機会を得た。
 私は1994年、つまり22年前に横浜美術館の企画展でダニ・カラヴァンの作品を、写真や模型で知った。ダニ・カラヴァンの作品は大型の建物のようなサイズであるため、展覧会場では実物を鑑賞することはできず、写真や模型を通じての鑑賞とならざるを得なかった。それでも感銘を受けたので、私はいつかはダニ・カラヴァンの作品の本物を観たい、と思っていた。ようやく22年後に、しかも日本国内でこの願いが実現したのであった。
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  ダニ・カラヴァンは、1930年にイスラエルに生れたユダヤ人の造形美術家で、本人は「環境芸術家」と言っているらしい。彼の作品の特徴は、まず大きな建物や橋梁などの陸上構造物のような大きなものであること、それらはとても大きいが、人間がそれを便宜に使う、実用する、ということを念頭に置かず、あくまで造形芸術作品であること、さらにその作品は周囲の環境に溶け込んで、その場所の自然や地理的特徴や歴史的背景に対して新たな視角を提供し、人々がその作品の中に参加することで五感を刺激され、なにかに気づいたり感じたりすることを求めていること、である。作り出された形だけでなく、場所のもつすべての要素、つまり光・水・空・空気・風・土・樹木・鳥の声など、すべての要素が参加することを目指す、という。
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九月新派特別公演

  大阪松竹座に「九月新派特別公演」を観た。このたびは、市川月乃助の二代目喜多村緑郎襲名披露を兼ねた特別公演である。
  私は、今までテレビで新派劇の舞台の様子や、あるいは花柳章太郎や水谷八重子など新派の有名俳優をドラマなどを通じて見たことがあったが、こうして劇場で直接舞台を観るのは初めての経験である。Photo
  新派劇は、淵源を明治前期の壮士芝居に遡り、関西では川上音二郎が堺で「改良演劇」として「書生芝居」を旗揚げしたのが最初である、と伝える。「改良」とは、歌舞伎の旧派に対して「男女合同」をも意味していた。明治24年(1891) のことであるから、私の祖母が生れてまもなくのことであった。このあと、書生劇は自由民権運動に関わって成長し、活動拠点は東京と大阪の両方にあり、活動メンバーは離合集散を繰り返した。
  今回の襲名披露の「口上」でも述べられたが、大阪の新派の嚆矢は明治29年(1896)、川上一座を脱退した高田実らと京阪で活動していた喜多村緑郎が主要メンバーとなって「成美団」を結成したことであった。以降、尾崎紅葉「金色夜叉」、徳富蘆花「不如帰」、泉鏡花「滝の白糸」など、今日まで新派の古典とされている演目を次々に上演して実績を蓄積していった。歌舞伎座でも興行し、また歌舞伎役者が新派の演目に出演することもあったという。歌舞伎を「旧劇」「旧派」と位置づけ、それに対する呼称として「新派」と呼び分ける習いも定着していった。私たち現代人にとっては古風な印象の「新派」も、当時は伝統演劇に対抗する前衛であった。
  新派は、大正時代末期になって伊井蓉峰・河合武雄・喜多村緑郎の「三頭目時代」となり、その一方では井上正夫一座が台頭し、花柳章太郎・大矢市次郎・柳永二郎らが成長した。やがて初代水谷八重子が新派に参加し、さらに川口松太郎が主要な台本作家として参加した。このあたりになると、ようやく私たちが幼いころ、あるいは若いころに名前を聞いたり、姿をテレビなどで観たりした人々が登場している。たとえばテレビドラマで観た柳永二郎の重厚な雰囲気は、鮮明に思い出すことができる。いまでは、二代目水谷八重子、波乃久里子、安井昌二、英太郎、紅貴代らが、新派を支えている。また歌舞伎界との交流も盛んで、五代目坂東玉三郎、十五代目片岡仁左衛門、先日亡くなった十八代目中村勘三郎らも新派の舞台に出演している。今回の新派の舞台でも、市川猿弥、市川春猿や、売り出し中の若手尾上松也などが出演している。歌舞伎のみならず他の劇団出身者とも交流し、それぞれの分野の著名な俳優たちがしばしば客演として参加している。
  今回襲名披露した二代目喜多村緑郎は、昭和44年(1969) 生れの47歳で、国立劇場歌舞伎俳優養成所の第九期修了生である。身長182センチメートルの長身が目立つ。彼は昭和63年(1988)から歌舞伎の舞台に立っていた。やがて澤瀉屋の四代目市川段四郎に入門し、市川段治郎を名乗った。平成6年(1994)には三代目市川猿之助の部屋子となり修業を続けた。そして今年平成28年(2016)1月 劇団新派へ入団し、今日に至るのである。
  演目の「婦系図」は、泉鏡花の有名な作品であり、新派劇の十八番でもある。ただ、明治時代の義理と人情のストーリーは、現在ではなかなか納得しがたいものが残る。当時の前衛であった新派劇でも、舞台のストーリーは、まだ江戸時代の封建的人間関係が濃厚に残っていたのかもしれない。まあしかし、水谷八重子や波乃久里子などのベテランにも支えられ、大柄で声の良い喜多村緑郎の良さを出した舞台であった。

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