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松方コレクション展 神戸市立博物館 (1)

松方幸次郎と松方コレクション
Photo_3  薩摩閥の明治元勲のひとりに松方正義がいるが、その子として慶応元年(1865)に松方幸次郎は鹿児島に生れた。旧制第一高等学校の前進の大学予備門に入学したが、学校の方針に反発して退学となり、アメリカに渡り、ラトガース大学、ついでエール大学に学び、24歳で法学博士号を取得した。帰国後首相であった父松方正義の秘書を勤め、30歳のとき父の同郷の親友で実業家であった川崎正蔵にみこまれて、株式会社に改組したばかりの川崎造船所の初代社長となった。積極的な経営を行い、とくに大正3年(1914) からはじまった第一次世界大戦で造船需要が急拡大したのに対応し、急速に事業を拡大した。その最中であった大正5年(1916) ロンドンに滞在していた幸次郎は、ベルギー人でイギリスで活動していた同年代の画家フランク・ブラングィンと出会い、意気投合して彼のアドバイスにもとづいて大量のヨーロッパ絵画を購入しはじめた。ヨーロッパ絵画の収集は10年余り続き、この間2,000点以上におよぶ絵画を購入したと言われている。そのために、第一次世界大戦のなかを船で現金を運送するというリスクをも冒したと伝える。ただ、大正13年(1924) にはわがわが国の美術品の輸入関税が100%という排斥的なものとなり、幸次郎のヨーロッパでの購入品の多くが日本に運び込まれずヨーロッパに残ることになってしまった。
  大正7年(1918) には、フランスの宝石商アンリ・ヴェヴェールが持っていた浮世絵8000点を売却するという情報を得て、それを一括購入した。これらは明治維新の後、日本から流出したもので、幸次郎としては日本の文化遺産・芸術遺産を里帰りさせたいとの意志があった。Photo_4
  しかし第一次世界大戦が集結したあと造船業界は大不況に見舞われ、さらに昭和2年(1927) からの金融恐慌は松方幸次郎の事業を危機に陥れ、それまでに困難をかいくぐって日本にもたらされた約1,300点の作品群は売却を余儀なくされて散逸することとなった。このとき、浮世絵のコレクションは一括して皇室に献納され、帝室博物館(現在の東京国立博物館)に移管され、現在に至っている。
  関税の問題などでフランスに残され、第二次世界大戦をくぐり抜けた絵画・彫刻370点余りは、戦後吉田首相まで入って度重ねた交渉の末、昭和34年(1959) 留め置かれた19点を除いてフランスから「寄贈返還」された。このコレクションを軸として、ル・コルビジエの設計を得て東京上野に国立西洋美術館が創設された。フランスが自らの文化の精撰であるとして手放さなかった19点が残ったのであった。今回の展覧会では、このうち5点が展示されている。
  松方幸次郎は、収集をはじめた当初よりこうして収集した作品群をひろく日本国民に展示・鑑賞させて日本と欧州の文化交流に貢献したいと考え、信頼するフランク・ブラングィンに「共楽美術館構想俯瞰図」(1918ころ) を描かせていた。40年余り後、戦争をかいくぐって、幸次郎の構想の少なくとも一部が国立西洋美術館として実現したということになる。

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