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藤田嗣治展 兵庫県立美術館 (3)

藤田の新しい展開
  藤田は、1931年には新しい愛人マドレーヌを連れて、自分の個展を開催するために南北のアメリカ大陸に旅行した。この展覧会ではこれ以降、さきの大戦の戦中までを「さまよう時代」とするが、作品を見る限りでは、藤田が自信喪失したり、スランプに陥ったようにはまったく見えない。たしかに色彩はぐっと増加して、もはや乳白色に拘らなくなっている。しかし、いざ描写に注力しようと思ったらただちに写真のような描写もできるし、タッチを少し荒々しくして新鮮な雰囲気を出すことも、日本画風の表現も自由自在達成できる、という技能には感心する。1932
  アルゼンチンのブエノスアイレスでは、6万人の観衆が展覧会に訪れ、サイン会には1,000人以上が列をなしたという盛況ぶりで、引き続き高い人気を博していたのであった。
  4人目の妻となったマドレーヌは、しかし急逝してしまう。1934年に日本に帰国した藤田は、日本の風俗を絵に描くが、すでに長い間外国に過ごしたあとであったため、彼の日本人風俗を見る目は、ほとんど外国人の目であった。それがために、日本人から「藤田はまるで外国人だ」と反感を買うこともあった。
  1935年には25歳年少の日本人女性 君代と知り合い、5度目の結婚をする。この君代とは、以後生涯連れ添った。東京での生活は、アトリエも囲炉裏・自在鉤をもつ純粋な和風とし、徹底した日本人風の生活を送ったという。
  藤田を迎えた日本側の絵画市場も複雑であった。日本の絵画愛好家の趣向は、藤田の描く中南米の風俗や外国人が見たかのような日本の風俗に不満であった。さらに戦争の影響もあり、どうしても西欧風を感じさせる藤田の絵画は「敵性絵画」として忌避されることもあったという。藤田は、日本にいて孤立するようになった。

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