アメリカ大統領選挙に思う
11月9日の夕方、トランプ氏がアメリカ大統領選挙に勝利した。これは私にとって、7月はじめの英国EU離脱国民投票と同様に、とても意外であり、また大きな懸念を引き起こす結果であった。
トランプ氏が勝利した要因について、今頃になってさまざまな人たちが発言しているが、やはりもっとも大きな原因は、オバマ政権に対するアメリカ国民の不満であろう。オバマ大統領は、演説を得意とする「言うだけ」のリーダーであった。ほとんどなにも実行せず、アメリカの地位と威信を漸減させ、国際的にはアメリカの関与の低下を顕在化して、ISの発展、中国の増長、ロシアの暴挙などを招いた。国内に対しては、ジャーナリズムの基盤でもある中間層や、一部の不法移民やまじめに働かない人たちにケアをした反面で、経済的下層の人たち、普通にまともに働き納税して黙っていた多くの人たちを放置した、少なくともそのように捉えられたことが問題である、とされる。リベラルというより典型的左派のマイケル・ムーア監督が、忘れられた階層をまともに取り上げた偉大なリーダーとしてトランプを応援する演説をしたこともあった。
さらに関連するが、国民の切実な変革への希求があったようだ。オバマ政権閣僚のヒラリー・クリントンでは現状からの変化がまったく期待できず、もううんざり、というイメージが、とくに女性を含む若年層に強かったようだ。
それにしてもである。英国の国民投票といい、今回のアメリカ大統領選挙といい、メディアが報道する情報がいかにいいかげんか、あるいは著しく偏っているか、という事実に改めて呆れ返る。全米100社ほどのメディアのうち、共和党を支持するものは1割以下、トランプを支持したのはわずかに1社だったという。メディアは、公正・真実の報道と謳いつつ、実際には自分が支持する勢力に不都合なこと、不愉快なことは報道しない。われわれは常にそう実態をしっかり認識しつつ、常に情報を吟味して判断する必要がある。
いわゆる識者というのも、ほとんどアテにならなかった。国内でトランプの勝利を明確に予言していたのは、元大阪市長の橋下徹氏と超ベテラン・ジャーナリスト 木村太郎氏のみであった。
私は保守派だから、どうしてもトランプのような破天荒な人物が大統領になることに、不安と懸念を禁じ得ない。たとえば、アメリカ・ファーストで外国の防衛には深入りしないと発言するトランプに対して、あと半年も経たないうちに中国軍が尖閣諸島に上陸して、トランプの出方を試す可能性がある。そのとき、わが国がどう対応するのか、すべきなのか、それこそ政治家は深く真剣に議論すべきである。議員のつまらぬ失言などで揚げ足をとって審議が停止する、などという怠慢で馬鹿げた態度はまったく国益に反するのである。
ともあれ外国のリーダーをわれわれが選べるわけではないから、よくも悪くも与件として、それを前提条件として、日本のこと自分のことを考えて行動していかねばならない。わが国の政治も、新たな厳しい試練が課せられたということだろう。
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