トランプ新大統領のアメリカ
日本時間の1月21日未明午前2時、アメリカ合衆国に新大統領としてドナルド・トランプ氏が就任した。その模様がテレビを通じて報道され、わが国のメディアでもさまざまな議論が報道されている。
「世論調査」によるとトランプ氏の支持率は40%程度と、前代未聞の低いものである、という。たしかに相対的には低いのだろう。それでも「世論調査」の数字そのものが疑わしいという事実は、大統領選挙を通じてわれわれが目の当たりにしてきたばかりである。アメリカのメディアによる世論調査では、大統領選挙の結果が判明するときまで、ついに一貫してヒラリー・クリントン候補優勢のままであった。新大統領就任式のすぐ前に行われたバラク・オバマ氏の「最後の記者会見」がやはり報道されていたが、オバマが去るにあたり涙を流して別れを惜しむ記者があり、オバマ氏からもまた記者たちに対して何度も感謝の言葉があった。美しい風景ではあるが、いかにこれまでオバマ=民主党政権とメディアの関係が親密であったかを如実に現すものでもある。アメリカにおいても、メディアの中立性・公平性などは期待できそうにないことは、大統領選挙中の「世論調査」で証明された。史上空前の低支持率とはいえ、少なくとも選挙において、多数派の支持を得たからこそトランプ氏が大統領に選出されたのである。そういう事実を重視しないで、あいもかわらず「かなり偏向している」と考えざるを得ないアメリカ・メディアの「世論調査」の数字や見解のみをとりあげて「大変だ」「変だ」と報道しているわが国のメディアについても、その浅はかさと視野の狭さを指摘したい。
今回の大統領就任式では、「トランプを大統領として認めない」とする人たちのデモや、一部暴力沙汰までが報じられた。私はこうした行為は、民主主義国家の国民として断じて恥ずべきものであると思う。いかなる結果であろうが、自らも認めたきちんとした制度と方法に基づいて選挙を行い、その結果として選出された大統領である。結果が出てから、その当選者が気に食わないとして叫び、暴れるのは明らかに不当で愚かである。こんなことをしていると、たとえば中国など民主主義的な手続きを経ないで政治を行っている国から、民主主義もあんなにいいかげんで危ういものだと批難されかねない。私は少し前の日本の民主党政権に徹底して反対であったが、それでも選挙で民主党が勝利してしまったからには、あの鳩山由紀夫や菅直人の首相ですらやむを得ないものとして認めていた。合意したルールのうえでの結果はいかなる結果であれ認めて受け入れるということは、民主主義では必須である。
関連して、このたびの就任式に、アメリカ民主党議員が60名余りも参加をボイコットした、という。なんとも情けない話である。アメリカ民主党も、この程度のものなのか。
そして、新大統領トランプ氏の最初の演説である。この内容は、率直に言ってみすぼらしいものであった。「アメリカを偉大にする」と言えば言うほどアメリカを矮小化する結果となっている。まるで開発途上国のリーダーのような演説であった。
ただ、このようなトランプ氏が過半数の支持を得て当選した、という厳然たる事実がある。それは、これまでアメリカが進めてきたアメリカの大国としてのリーダーシップ重視やポリティカル・コレクトネス、つまりきれいごとの主張が、多くのアメリカ国民にとって、うんざりするものとなってきた、ということであろう。政治には理念が在らねばならない、あることが望ましい、とは誰もが考えるが、国民の多数にとってその結果が自分たちにまったく響いてこない、という焦燥感・倦怠感が蔓延していたのであろう。アメリカの多数の人々が、そういう感覚になっている、という事実を、私たち外国人もよく認識してつきあう必要があるのだろう。
そのうえで、わが国としてどうすべきなのか。トランプ氏の演説では、かなり極端な内向きの姿勢が表明されている。日本への防衛協力についても「タダ乘り論」的な発言もある。日本にとっては望ましくないけれども、他国の事情をとやかくいうこともできない。日本はこの際、とくに安全保障に関して、基本的なことから考え直してみる必要があるだろう。さきの大戦後70年以上、わが国はさいわいにして平和を継続することができた。その要因は何であったか。「平和憲法」とされる日本国憲法の第9条による非武装・不戦の誓いが貢献したのか、それとも日米安全保障条約によるアメリカの軍事力の傘が貢献したのか、日本国民がまじめに向き合って深く考えてみることが必要である。もし日米安全保障条約が平和の維持にとって、より大きな要因であると考えるなら、憲法を改正して自主的な防衛力をきちんと確保し、そのうえでアメリカなどとの連携を図っていくことが必要だろう。防衛大臣が「防衛費」を「軍事費」と言い間違えたとかで、貴重な議会の時間を消耗したり、自称大新聞が大々的に報道したり論じたりするようなピントが外れた安穏とした「言論」ばかりではすまされない事態が近づいているのではないか。
私は政治的には保守派であると思っており、したがって予測しがたい事態、リスクについては最小化を図るべきだと考えるので、もし自分がアメリカ人だったとしたらトランプ氏には投票しないだろう、と思っていた。しかしアメリカの民意がトランプ氏を当選させたのであるから、われわれはトランプ大統領を前提に考えて行かざるをえない。日本人の多数が無意識のうちにアメリカの軍事力に依存していたのではなかったか、そういう基本的なことを再考するよい機会となるのではないだろうか。
« 池内恵『現代アラブの社会思想』講談社現代新書 | トップページ | 彫刻大集合 兵庫県立美術館 (1) »
「時事」カテゴリの記事
- フーバーの著作からウクライナ戦争と日本を考える(2024.11.27)
- 第50回衆議院選挙を考える(2024.10.28)
- ジャニーズ性被害問題にかんして(2023.08.18)
- 日本大学アメリカンフットボール部の不祥事にかんして(2023.08.17)
- 安倍元首相銃撃事件とマスコミ(2022.07.10)
コメント