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京都一乗寺詩仙堂(下)

2   59歳のとき、比叡山山麓の一乗寺村のこの地に凹凸窠(おうとつか)と名付けた山荘を建て、終の棲家と定めた。凹凸窠とは、でこぼこした場所に建てられた住居という意味である。趣向を凝らした広い庭園は、丈山がみずから設計して長い時間をかけてじっくり造園していったものである。この山荘のひとつの主要な建物が丈山自ら描いた詩人の絵を掲げた「詩仙の間」であったことから、やがて「詩仙堂」と人々から呼ばれるようになった。正式名は「六六山詩仙堂丈山寺(ろくろくざんしせんどうじょうざんじ)」と号する曹洞宗の寺院である。
 江戸時代後期の、やはり文武に優れた大名として高名な肥前国平戸藩主松浦静山(まつらせいざん)によると、静山と同時代の高名な儒者で幕府文書行政の中枢を担っていた林述斎は、丈山を文武兼備えた模範的人物の典型と賞賛し、丈山の遺蹟であるこの詩仙堂をけっして廃絶してはならないと、文政4年(1821) の石川丈山百五十回忌を前にして、詩仙堂の修築を行い、その永続のために広く募金を呼びかけた。さらに三河国碧海郡泉村にある丈山の居址に、その子孫の都築氏の依頼を受けて「石川丈山故居遺址碑記」を書いたと伝える。Photo
  私が石川丈山を知ったのは、富士川英郎『江戸後期の詩人たち』筑摩叢書 を読んだのがきっかけであった。この本のなかで、石川丈山はわが国の近世漢詩の先駆的大家であると記されていたのが印象に残った。
  このように永きにわたって広く尊敬を集める人物の遺蹟が、こうして京の静かな地に今も残っているのは、同じ日本人として誇りに思える。
  京都はすばらしい地であるが、唯一の欠点は観光客をはじめ常に人が多すぎることである。しかしこの詩仙堂は幸いにしてまだ観光ジャーナリズムに乗っていないためか、訪れる人がごく少なく、京都郊外の風情と長い歴史の雰囲気に浸れる貴重な場所である。

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