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2017年2月

エマニュエル・トッド『シャルリとは誰か?』文春文庫

 イスラム教徒が崇拝するムハンマドを侮蔑する風刺画を掲載していた「シャルリ・エプド」という名の風刺新聞が、2015年1月7日テロに襲われ、警官、編集長、風刺漫画の担当者やコラム執筆者ら、合わせて12人が殺害される事件が発生した。これに対して1月11日フランスのオランド大統領が主導して、国際的なレベルにまで拡大した「私はシャルリ」デモがフランス各地で発生した。これは「表現の自由」を掲げていたが、デモの実体は、参加者に明確な自覚がない面も含めて、人種差別・排外主義を主張するものであったという。このデモがもつイスラム恐怖症に対して、大きな危機感と憤りを感じたエマニュエル・トッドは、その真相、その背景たる現代フランスの政治的・社会的病巣を明らかにしようとこの本を出版した。
 この運動には二つのモードがあるという。ひとつは自由主義的・平等主義的・共和主義的で、積極的かつ肯定的な「意識」のモードである。もうひとつは、権威主義的・不平等主義的で消極的・否定的な「無意識」のモードであり、実はこの後者のモードが現在のフランスを支配する、という。このふたつの、もともとは反対方向を向き本来強調しあわないかに思える勢力どうしが、複雑に絡み合って助長しあってきわめて陰険な悪の方向に導くメカニズムがある、としてエマニュエル・トッドは家族人類学と歴史人口学をもちいて分析している。

地上のイデオロギーがその内容において多様なのはなぜかというと、どんな社会を選ぶかというその選択が厳密な意味での宗教の影響力から免れるときにもなお、心の深層に定着している家族的諸価値が、いいかえれば潜在的な人類学的システムが、人びとの選択を導き続けるからである。従来、パリ盆地の中心部では、自由主義的で平等主義的な家族構造が社会的行動を制御していた。一方、ドイツでは、権威主義的で不平等主義的な家族構造がパリ盆地とは逆の方向へ社会的行動を導いていた。(p51)

 「平等主義核家族」が主流であったパリを中心とするフランス中央部では、フランス革命の後すでに18世紀末からカトリックは衰退していたが、「直系家族」が主流であるフランス周縁部ではカトリックは1960年代まで根強く生き残った。そしてフランス周縁部では、カトリック的サブカルチャーの残存形態がカトリシズムの死んだ後もなお生き延びている。これをエマニュエル・トッドは「ゾンビ・カトリシズム」と呼ぶ。

人口学者エルヴェ・ル・ブラーズとの共著『不均衡という病』の中で、彼と私は、カトリック教会がその伝統的拠点地域において最終的に崩壊した結果として生まれた人類学的・社会学的パワーをゾンビ・カトリシズムと名付けた。私は本書のもっと後のほうで、フランス周縁部でカトリック的サブカルチャーの残存形態がカトリシズムの死んだ後もなお生き延びているということを示す教育上、経済上の他の諸現象を検討するつもりだ。(p75)

 フランス革命でできた共和国の確立に対して従来もっとも強硬に抵抗してきたカトリシズムが、カトリックの衰退に代わってその不平等・権威主義を残存させたゾンビ・カトリシズムとなって、ライシテ=世俗性に表面上執着しながら、新たな宗教的熱狂をもって反イスラムを主張している。これを「ネオ共和主義」という。

宗教の崩壊は、希望と不安を同時にもたらす。(p154)

 一方で早くからカトリシズムを喪失したフランス中央部の平等主義的伝統・文化にある人びとは、「意識的」には人種差別を否定するが、イスラム教徒たちの生活上のさまざまな習慣・態度が自分たちと大きく異なること、そしてそのフランスへの同化の遅さにいらだち、ついに「理解不能」と判断して、「不平等」以前に「無意識的」にその存在そのものに拒否反応を示し、不平等主義・権威主義とは異なるメカニズムで激しいイスラム排斥の意識あるいは無意識が発生している。こうしてもとは平等主義的であった中産階級、人口的に多数を占める中産階級がイスラム恐怖症となった。
 フランスは、自由・平等・博愛の革命精神を謳い、福祉国家を育成してきたが、ネオ共和主義のフランスでは、福祉は下層階級のためというより主たる対象は中産階級となっている。当然対立は起こるが、利害は上層と中産階層とが同じくして、下層・労働者階層と対立する。マーストリヒト条約に賛同しEUを肯定してきた人たちは上層・中産階層であった。彼らは表面上=意識では国家間の友好・連合・平等をとなえながら、実際=無意識では経済不振を座視し、単一通貨という新たな残酷な一神教を奉じその超越的権威に服し、不平等を容認し、ドイツへの経済的中央集権・服従を実行する。こうして上層と中産階級が一体化して、無意識に不平等・権威主義、そしてついにはニヒリズム的な状況がもたらされ、とうとう全フランスにわたって人種差別的、イスラム恐怖症となった。これからユダヤ排斥までは目と鼻の先である。
 このようにゾンビ カトリシズムとネオ共和主義を背景に、方向性の異なっていたふたつの勢力が、複雑な経過と相互関係をもって、結果としてともにイスラム恐怖症、さらに反ユダヤ主義に陥っているのが現代のフランスの病理である、とエマニュエル・トッドは指摘する。
 私はシャルリ・エブド事件を日本の報道からのみしか知らなかったので、エマニュエル・トッドが述べるような深刻かつ大規模な人種差別・イスラム恐怖症の問題の存在を知らなかった。今でも、言論の自由は重要であり、テロは犯罪として断じて許容できないと思っているが、エマニュエル・トッドがいうようにフランスを挙げて「イスラム教に対して冒涜する権利があり、さらにその義務さえもある」というような姿勢や運動であるならば、社会の安定と平和を脅かすものとして否定されるべきであろう。
 この本は、今からまる2年前の著作であるが、最近のブレグジットの予言とも受け取られているという。
 私はこの本を読みつつ、現在も日韓関係で問題となっている「従軍売春婦問題」をふと連想した。韓国が、些細なことまで勝手に捏造・拡大して延々と日本についての「問題」を追求し続ける状況も、韓国という社会・国家の政治・社会的病巣が背景として寄与しているのだろう。イスラム恐怖症も従軍売春婦問題も、わざわざ敢えて意図的に敵をつくるという行為は、エマニュエル・トッドがいうとおり、よい結果、よりマシな結果を導くことは決してないだろう。
 詳細な統計数値をもとにした緻密な議論であり、受け入れがたい面も多々あるが、無視しがたいところ、貴重な優れた指摘も多く、とても印象の深い本である。

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知恩院おてつぎ運動50周年特別公開(2)

方丈庭園と権現堂
Photo   三門を入り、階段を上って法然上人御堂に入って、しばしお坊さんのお話を聴く。そして御堂の奥から、いよいよ方丈に向かって進む。方丈と言っても、禅宗の方丈とはかなり異なり、12もの部屋がある大きな建物である。各部屋の襖は狩野家歴代の高名な絵師の絵で豪華に装飾されている。将軍が来て京都所司代や大名たちに謁見する間もある。方丈に隣接して6間からなる小方丈がある。ここは来訪・参拝した大名たちが食事をしたり、休息したりする施設だという。方丈・小方丈の前には方丈庭園がある。

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  こうして中に入り込んでみて、改めて知恩院の境内と建物の壮大さに感銘を受ける。

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  庭園の端には、徳川家康・秀忠・家光の徳川家初期三代を祀る権現堂がある。浄土宗を支え、知恩院の後ろ楯となった徳川三代を讃える廟宇であり、正式名を権現様影堂という。創建以来なんども火災に逢い、現在の建物は昭和49年(1974) 浄土開宗800年を記念して再建されたという。権現堂に向かって左手下方にあるお茶室は葵庵と名付けられ、茶室としてはかなり大きな規模の立派な建物である。庭園とともに独自の美を表現しているという。

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知恩院おてつぎ運動50周年特別公開 (1)

  偶然立ち寄った京都・知恩院で「おてつぎ運動50周年」の記念法要があり、この1日かぎりの特別公開が行われていた。通常は決して公開されない境内の建物や庭園を拝観することができるということで、予定外であったが拝観させていただくことにした。

三門へ登る
1_2   まずは三門に登る。三門の下では、ひとりのお坊さんが通りすぎる外国人観光客に、今日は特別にこの門の上に昇ることができる、と英語で紹介している。あとで少し話す機会があって、このお坊さんは千葉から来たとの由。この日は、全国の知恩院末寺から大勢のお坊さんが応援に来ているとのことであった。一度に狭い階段を大人数で登ることはできないので、かなり長い列をつくって待つことになる。20分くらい待って、ようやく登った階段は、狭くてとても急で、手すりだけでは滑ったら危険ということか、手すりに沿ってロープが這わせてあって、昇る人たちはそのロープを握って進む。当然建物の内部は撮影禁止である。
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 しかも階上の部屋は公開されておらず、格子戸から暗い室内を覗くだけで、室内は暗くてほとんどなにも見えない。ただ、三門を上って上からの景色はしっかり楽しむことも、撮影することもできた。いまでこそ京都にも京都タワーもあり、また比較的最近改築なったJR京都駅の最上階からも、京都を一望することもできるが、数十年以前まではこの三門のような高い建物はなかったので、そういう意味でもとても貴重な場所であったろう。
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エマニュエル・トッド『問題は英国ではない、EUなのだ』文春新書、2016

 イギリスのEU離脱に関して、ユニークな研究者として知られるエマニュエル・トッドが本を出していることを知ったので、読んでみた。予想以上にとても刺激的な本であった。
  タイトルのブレグジットについては、EUがいまやドイツの絶対的・独断的な主導権にかき回されていて、フランスもイタリアもドイツの理不尽な言いなりに成り果てていること、ドイツがヨーロッパ大陸の経済的掌握を目指して、周辺の欧州各国のみならずアラブ・シリアにまで手を広げた乱暴な移民政策をとっていて、文化的・社会的・国家的破滅に向かっていることを指摘する。エマニュエル・トッドは移民そのものに対しては肯定的だが、移民を自分の国に同化させるにはかなりの時間を要するため、急激に大量の移民を受け入れることはきわめて危険だという。また、イギリスは英語圏の主要国として、世界最大・最強の国家たるアメリカをはじめ、オーストラリア、カナダ、ニュージーランド、などの英語圏先進国の主要国であり、英語圏先進国の全体としての市場はEU よりはるかに大きい。フランスは、乱暴なドイツの覇権の下に服従するより、自由と繁栄の英語圏、つまりイギリスと交流を深めることこそが大切だと説く。一方でアメリカは、ブレグジットによってドイツをコントロールする回路を喪失したことをよく自覚しなければならない、という。そしてブレグジットの背景に、世界的な「グローバリゼーション・ファティーグ」、すなわちグローバリゼーションによる疲労・倦怠感があるとする。結局いまや世界は、グローバリゼーションに疲れて、ふたたび国民国家尊重に戻りつつあるとする。
  そしてこのちいさな本の60%以上は、エマニュエル・トッドの歴史学の方法の解説である。これがまた刺激的である。エマニュエル・トッドは、母方にイギリス人を含むユダヤ系の家族に生れたフランス人である。ただ両親の時代にカトリック教に改宗したので、もはや厳密な意味でのユダヤ人ではない。パリ大学を卒業後イギリスのケンブリッジ大学に学んで、家族制度の研究者であるピーター・ラスレットに師事し、家族制度、あるいは家族に関する文化人類学をテーマに25歳で学位を得た。エマニュエル・トッドは自身について、愛国心も大いにあり紛れもないフランス人だが、思考方法は大陸的観念論を拒否し、イギリス的経験主義に則るという。事実も真理も人間に内在することはなく、人間の外にある、とする。哲学的に「人間とはなにか」、「国民とはなにか」などという問いをたてて考えてみても有効なことは何も得られず、過ちさえ免れない。エマニュエル・トッドは、あくまで大量の客観的データを集積して分析しそこから真理を抽出する、いわば自然科学と同じような客観的なアプローチをとる。したがって、彼のさまざまな理論や提言は、彼の内面の思考から出たものではなく、客観的データ、統計数値が自ら語るものであり、それを真摯に見つめれば誰にでもわかるようなものであり、そのため成果を発表することを真剣に急いだ、ともいう。まるで科学技術の研究者が特許出願を急ぐような態度である。そして歴史学の研究にとって重要なことは、多くのデータを集めること、多くの資料を読むことである、という。
  エマニュエル・トッドの思考の基底には、歴史人口学・家族人類学がある。
 「外婚制共同体家族」、すなわち血縁結婚がなく家族共同体が存在して核家族でないような大家族制の家族は、ロシア、フィンランド、旧ユーゴスラヴィア、ブルガリア、ハンガリー、中国、モンゴル、ベトナム、キューバなどが該当する。この家族制をもつ地域は、共産主義に親和性があって、実際に共産主義化が達成されたのは、ソ連の軍事的強制によるもの以外はすべてこの地域である。
 結婚すると親元を離れて独立する「核家族型」は、兄弟の平等性に親が無関心で自由を最重要視する「絶対核家族型」と、兄弟を平等視することが特徴である「平等主義核家族型」がある。イングランド、アメリカのイングランド系、オランダ、ノルウェー南部、デンマーク、フランスの周縁部、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどが「絶対核家族型」であり、フランス中央・北部、ギリシア、イタリア南部、ポーランド、ルーマニア、ラテンアメリカなどが「平等主義核家族型」に属する。
 子供のうち一人は親元に残るかあるいは相続し、兄弟の平等性は低く親の権威が重視されるのが「直系家族型」であり、ドイツ、スウェーデン、オーストリア、スイス、ベルギー、フランス南部、日本、朝鮮半島、台湾、ユダヤ人社会、などがこれに属する。
 そしてイスラム教との親和性が高い「内婚制共同体家族」がある。息子はすべて親元に残り大家族をつくり、兄弟は平等である。特徴的なことは血縁結婚、具体的にはいとこ婚が多いことである。トルコ、アラブなどの西アジア一帯、中央アジア、北アフリカなどがこれに属する。この型は、大家族を軸とする結束の強い軍隊を比較的容易に形成できるという特徴がある一方、家族の存在が大きく、国民国家を形成する力が弱い。
 エマニュエル・トッドによると、この家族類型は政治・経済の指向性にきわめて相関性があり大きな影響を与えるため、この基本的な形態と性格をよく理解することが社会・政治の成功に大きく関わっているという。しかも「家族類型」は、親から子へと伝達される以上に地域に固有のものとして地域に長く生き続けるものであり、どんな民族でも生活する地域を移動すると、時間をかけて「郷にしたがい」家族類型が変わり、それが移民の同化となるという。
 そして歴史人口学者としてエマニュエル・トッドは、人口の減少は国家や社会を不安定化する、とヨーロッパ、中国、日本に対して警告を発する。
 エマニュエル・トッドは、若いころフランス共産党員だったことがあり、いまでもマルクス主義の考え方がひとつの参考になっているという。マルクスは実践的変革主体がプロレタリアートだとしたが、それは間違いで中産階級こそが変革主体であるという。これも事実のデータにもとづくプラグマティックな結論としての主張である。
 このちいさな本は、7つの講演の記録をもとにしたもので、タイトルになったブレグジットに関するものだけが外国での講演だが、その他はすべて日本で行われた講演の記録である。そうした経緯もあって、とても読みやすいが、なかなか内容は濃い。
 たしかに少し前に大きな話題をよんだトマ・ピケティも、自ら社会主義者と言いつつも、マルクス主義そのものにはさほど興味がない、『資本論』もまともに読んだことがない、と言い、厖大なデータを解析して「格差発生のメカニズム」を説いた。そういう意味で、ピケティもエマニュエル・トッドに類似していると言える。
 かつて神が与えたと考えられた「人間の精神」で内発的に思考することをめざす哲学者に対比して、エマニュエル・トッドは実にプラグマティックであり、ある意味冷淡であり、しかし「内発的」指向の哲学者のような暗さがない。あまりに思いがけない多くの刺激的な示唆を受けたために、私の頭脳では直ちに消化しきれないが、非常に興味深い学者に出合ったという感覚だけは確かにある。

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「若冲の京都」京都市美術館(3)

 珍しい作品として滋賀の義仲寺の天井画として制作された「花卉図」がある。これは板地着色の作品だが、年月の経過により色彩はかなり褪せている。3段5列の15個に区分された画面に、15種の花卉を描いたものである。保存状況から一見古ぼけているが、よくみると構図や表現は現代的とも言えるとても新鮮な雰囲気がある。さすがである。

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  若冲の作品は、卓越し安定した描写力をベースにしながらも、観るものにサービス精神が旺盛で、眺めていて楽しいし心地よい。
  若冲は、京都錦小路にあった富裕な青物屋の嫡嗣として生れ、23歳のとき父の死により家督を相続し、商いにはさほど熱心ではなかったというものの立派に家業を守り、40歳を過ぎてからようやく弟に店を譲って画業に専念したという。当初は趣味としてはじめた画業と禅に熱中するあまり、他の芸事も酒も、ほとんどの雑事に無頓着で、妻も生涯娶らなかった。若いころから絵とともに熱心に修行した禅の師であった大典禅師梅荘顕常(ばいしょうけんじょう)との縁で、相国寺に出入りし、やがて相国寺の塔頭である鹿苑寺(金閣寺)に大書院障壁画を制作したりした。晩年を過ごした京都伏見深草の石峯寺には、3年ほどまえに訪れたことがある。若冲は、まさに京都の人であった。
  展覧会の閉会前になんとか鑑賞できて、ほんとうに幸いであった。

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「若冲の京都」京都市美術館(2)

Photo_2  「雪梅雄鶏図」(制作時期不明) がある。これは今回の展覧会では少數派の彩色だが、その彩色は、鶏の鶏冠と花だけで、やはり墨絵に近い。雪のしんしんとした冷たさと空間的な拡がりをじっくり感じさせ、そこはかとなく懐かしさのようなものを感じる。Photo_3
  定番の「登龍門図」も2点展示されていた。これも墨絵だが、すがすがしく凛とした絵である。
  「波濤鯉魚図」がある。竪に細長い画面に一部が現れる大胆な構図で、荒々しい波濤から飛び上がったエネルギッシュだがすこし愛嬌のある鯉である。敢えて描写を単純化して、鯉の勢いと精悍さとユーモアを表現している。
 若冲には珍しく人間を描いたものとして「布袋図」が2点展示されている。いずれも愛嬌ある布袋さんの絵で、みていて楽しいものである。「アッカンベー」をしている布袋がある。竪に細長い紙幅から、覗き込むようなアッカンベーである。
 若冲は、色彩だけでなく、構図も描写の自由自在な巧みさも、やはり卓越した画家であったようだ。

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二月花形歌舞伎 大阪松竹座

  大阪松竹座で「二月花形歌舞伎」を鑑賞した。今回出演する役者たちはベテランがおらず、20歳代後半から30歳代前半の若手ばかりである。当然、円熟し完成された演技ではなく、発展途上の楽しみが中心となる。
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  最初の演目は「義経千本桜」である。これは人形浄瑠璃と歌舞伎で演じられる伝統的な演目のひとつで、初演は延享4年(1747) 大坂竹本座であったという。いわゆる源平合戦のあと、兄頼朝から排斥され都落ちした義経と、源平合戦で死んだとされていた一部の平家の武士が実は生き延びていて、再び義経と出合って絡み合うというものである。今回は「義経千本桜」から「渡海屋」と「大物浦」の二場である。
  「渡海屋」は、大物の渡海屋に宿泊して九州へ向かう船の風待ちをしている義経一行にかかわる。この渡海屋へ、義経を追って鎌倉から相模五郎と入江丹蔵という二人の武士が押しかけてきた。義経が九州に落ち延びたという噂を聞いて、それを追うために渡海屋の船を買い切り、すぐに船出したい、と。居合わせた渡海屋の女房お柳は、二階に先客が泊まっていてその一行が船出してからの後でなければ請け合えない、と断る。しかし相模五郎と入江丹蔵は聞かず、無理やり二階に押しあがって先客と談判するという。そこへ渡海屋の主人銀平が帰って来て、無理を強いる相模と入江を力づくで追い返す。その経緯を窺っていた義経は、渡海屋に感謝するとともに、船出を急ぐ。
  この渡海屋には、幼い少女お安がいた。実はこのお安は壇の浦の合戦で死んだはずの安徳天皇であり、宿の主銀平はやはり死んだはずの平知盛、女将お柳は安徳天皇の乳母典侍の局(すけのつぼね)であった。彼らは、平家の仇を討とうとして義経を待ち伏せしていたのであった。
  すでに船出した義経一行を、平知盛は手勢を連れて船で追いかける。典侍の局は正装して安徳天皇を抱き抱え、大物の浜に戦勝の知らせを待ちに出かける。
  「大物浦」の場では、典侍の局とその侍女たち、そして局に抱き抱えられた安徳天皇が、浜辺で戦勝の吉報を待つ。そこへ相模五郎が駆けつけてくる。じつは相模五郎と入江丹蔵は平知盛の部下で、義経を信用させるために狂言をしかけていたのであった。しかし相模五郎の報告では、平知盛軍は劣勢でいまにも敗戦しそうだ、と。浜から沖合を眺めると、平知盛の船の松明が相次いで消えていき、ついに船は海中に沈んでいった。今はここまで、と絶望した典侍の局は、安徳天皇を説得して、海底深くにある「天国の都」に行きましょう、と告げる。幼いながらも健気に納得する安徳天皇。それをみて声を上げて泣く局と侍女たち。
  そこへ戦いで深手を負った平知盛がよろめきながら登場する。そこへ義経と弁慶たちも来て、義経は安徳天皇を必ず守ると知盛に約束する。典侍の局は自刃し、平知盛は碇の綱を身体に巻き付けて碇を海に投げ込み、壮絶な死を遂げる。
  平家が滅びるのは、清盛が天皇の外戚にのし上がって権勢を誇ったことの祟りであり、義経は智略と武勇に優れている、といつもの判官贔屓はかわらない。それでも、この舞台では主役は平知盛である。
その銀平じつは平知盛を演ずる尾上松也がなかなかよい。まずまず長身で姿もよく、声がよく通ってセリフが聴きやすい。今後の成長が楽しみな若手である。歌昇の弁慶は、容貌は凛々しく動きも良いのだが身長が低いのが玉に疵である。
  つぎの演目は「三人形(みつにんぎょう)」である。若衆・奴・傾城の3つの木箱を開けると、なかから人形が現れ、それぞれに魂を得て動き出す。三味線の囃しに応じて、3人が揃って、また別々にと、舞踊を披露する。三人がほとんど同じ振り付けで揃って踊るとき、若衆は凛としなやかかつ力強く、奴は軽妙かつユーモアに、傾城は艶やかに女らしく、とそれぞれの個性を微妙に表現して動く。その微妙なニュアンスの違いこそが見せ場である。傾城を踊る新悟は、姿貌だけでなく動きがなかなか美しい。奴を踊る種之助も、いささか小柄だが奴としては適任でメリハリのある踊りを披露した。若衆を踊る梅枝もキレのある踊りをしていた。
  いずれも若手で、声が大きくよく響いて、キビキビとした動きで、若々しいエネルギーがある。若い歌舞伎俳優たちの将来性を感じることができたという意味で、今回の催しも良かったと思う。
  この日、3階席に多数の若い外国人たち、とくに女性たちがいた。入り口に「大阪大学留学生の歌舞伎鑑賞の集い」という特設入場コーナーがあった。若い外国人留学生たちに日本の伝統文化を紹介する、という試みのようだがなかなかすばらしいと思う。世界広しといえども、これだけ明るくてきれいな舞台美術も珍しいだろうし、豪華な衣装と徹底した様式美を導入した歌舞伎の演技もきっと印象深いものとなるだろう。休憩時間のひととき、3階のロビーは、外国人女学生たちであふれていて、いつもと少しちがう華やいだ雰囲気があった。
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「若冲の京都」京都市美術館(1)

京都市美術館で伊藤若冲の展覧会があるというので、そのうちに是非観たいと思っていたら、会期がまもなく終了ということに気づいて、あわてて京都に出かけた。
  若冲は、長らくさまざまな日本画の展覧会で断片的に観たが、さほど強く惹かれることもなく過ぎていた。ところが一昨年の夏、京都相国寺の承天閣美術館で琳派の画家たちとの複合展覧会を観て、すっかりその魅力に惹かれた。それまでいささか派手派手しい鶏だけしか知らなかったが、とても深い充実した作品がたっぷりあることを知ったのであった。
  今回は、伊藤若冲の生誕300年を記念して、日頃展示されないような作品を紹介する、とのことであった。
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 会場に入ると、冒頭には墨絵の屏風がならぶ。「花鳥図押絵貼屏風」というタイトルの6曲1双の屏風が2つ、そして鶏や菊花の屏風がつづく。若冲の絵というと、私は未だに極彩色の華やかな絵を想定していたが、とても渋い墨絵のシリーズである。ところがこの墨絵が、実にすばらしい。濃淡で奥行きを表現していて、立体感もある。
Photo_4   「鶏図押絵貼屏風」(1797) は、若冲81歳の晩年の作で、まさに円熟をきわめた絵である。白黒だけでここまで描けるのは、さすがである。同じころに描かれた少し風変わりな絵が「象と鯨図屏風」(1795) である。近世後期で、いささか洋風の画風の影響があったのか、やはり墨の濃淡のみで、おそらく実際には見たことがない象を描いている。構図を思い切って単純化しつつ、海水の泡や鯨や象の部分はとても丁寧かつ精緻に描いていて、そのコントラストがまたすばらしい。
 やはりまたユニークな作品として「髑髏図」(制作時期不明) がある。黒地に白で髑髏を描いていて、不気味というよりなにか不思議なユーモアを感じる。石摺という手法で紙本拓版の作品となっている。

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