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出石散策 (14)

出石明治館と出石ゆかりの偉人・有名人たち
 おりゅう灯籠がある八木通りを東に突っ切ると、少し広い自動車道路に突き当たる。そのすぐ手前に、出石明治館がある。
 この木像洋式建築の建物は、明治25年(1892)出石郡役所として造営されたものである。正面玄関のある木造2階建と、その背部の平屋建を連結した構造となっている。正面玄関ポーチのペディメント(洋式建築の破風)やコリント式の柱頭が特徴的である。現在は博物館および各種展示会やカルチャーセンターとして活用されている。Photo
 館内では、出石出身の偉人や有名人を紹介する展示があった。中世後期の山名宗全、宗鏡寺中興の粗沢庵和尚、幕末期に出石藩の藩儒の子として生れ明治新政府に内務省官僚として勤務、わが国気象観測網の基礎を築き天気予報をはじめたとされる桜井勉、東京大学初代総長を勤めた加藤弘之、戦前の軍部に対して毅然とした態度で知られる弁護士・政治家斎藤隆夫、などがある。
  それら出石出身の人びとの他に、興味深いのは経済学者であり「大塚史學」で高名な大塚久雄や、文学者小林秀雄と出石とのかかわりである。
  大塚久雄の祖先の親族に、姉小路局という幕末期の大奥の実力者があった。姉小路局は、財政難に苦しむ出石藩の藩政改革を推進した藩校弘道館頭取兼勘定奉行を勤めた桜井一太郎(桜井勉の父)の働きかけに応じて幕閣を動かし、出石藩の「村替え」という藩政改革を推進した人物であった。大塚家そのものは京都の両替商であったが、大塚家からも姉小路局の異父弟大塚兵庫が出石藩に新治50石で召し抱えられ、出石に住んだという。
 小林秀雄の祖父小林市右衛門は出石藩士であり、文化年間(1810年前後)には出石城下町鉄砲町南側の長屋に10石4人扶持として住んでいたとの史料があるそうだ。小林家は明治維新ののち東京に移り住んだが、本籍は出石のままであったらしく、小林秀雄も本籍を出石にもつ両親の子として生れている。小林秀雄の随筆のなかの回想として、幼年時代に出石の親戚を訪れて遊んだ記憶があるとの記述がある、とも解説に記されている。
 最近の例としては、プロ野球阪神タイガースの能美篤史投手と女子バレーボールの井上香織選手が出石出身有名人として、通路に等身大パネルが展示されていた。
 江戸や大坂、京などに比べると当然ながら地方だが、出石も歴史ある城下町であり、人材も多様な人びとを輩出していることがわかる。
 なお、入場料はわずか100円で、しかも高齢者割引ということで私は50円で入場できて、そのことでも感動した。

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