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出石散策 (15)

出石永楽館とその歩み
 出石の街の西端近くに、出石永楽館がある。道路に面したところではなく、少し路地を入ったところに入り口があり、若いお兄さんが入場券を扱ってくれた。靴を脱いで館内に入ってみると、そのお兄さんが館内にきて、永楽館について解説してくれた。
Photo_2  この永楽館は明治34年(1901)、ある芝居好きのお金持ちが自分の趣味の延長として芝居小屋を建設し開館させたものだという。だから開館当初から営利的指向は薄く、かなり自由に運営してきたらしい。出石藩主仙石氏の家紋が「永楽銭」であったのにちなんで「永楽館」と名付けそうだ。明治末ころの初午祭では歌舞伎を昼夜二回興行し、大入り札止めの盛況であったという。大正はじめまでは歌舞伎をはじめ、剣劇、壮士劇、新派劇、寄席、さらには政談演説などで賑わっていた。第一次世界大戦を経て大正期後半になると、活動写真の興行がはじまった。そして昭和5年(1930)にはこの永楽館にも映写室ができ、さきの大戦が終わるころには映画上映が主要な活動となって実質的には映画館となった。昭和26年(1951)からはカラー映画上映がはじまり盛況を迎え、一方舞台では地方劇団、関西で人気が高かった花菱アチャコ劇団、宝塚歌劇団などが来演した。しかしテレビが急速に普及してきて舞台や映画館が不況となり、とうとう昭和39年(1964)永楽館は60年余りの歴史を閉じることになった。2
 時が流れて往時の永楽館を懐かしむ人びとの努力で、44年ぶりに永楽館が再興されたのであった。館内の内装は、昭和初期のレトロな看板や広告で飾られており、郷愁を誘うものである。現在では自主興行はなく、会場を貸して運営しているという。この種の地方劇場は、座席が800くらいあって十分入っていればようやく採算がとれるというが、ここは座席368で自立は困難だという。
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