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2018年1月

ボストン美術館展 神戸市立博物館 (4)

日本美術・下
 喜多川歌麿「三味線を弾く美人図」(文化初年ころ、1805ころ)がある。芸者かあるいは三味線の師匠と推測される粋な女性の絵である。とても手の込んだ決して素人はしないような髪飾りと、多くの男性から言い寄られて振ってきた記録としての多数の歌が書き込まれている。
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  そして、曽我蕭白である。「飲中八仙図」(明和7,1770ころ)は、官吏の堅苦しい仕事を辞して酒に酔狂している8人の自由人を描く。画面中央付近には「禁欲的な厳しい苦行は、なんの役にも立たぬ」として修行から離脱する釈迦を描いた図を画中画として導入し、ユーモアあふれた作品となっている。「風仙図屏風」(宝暦14,1764)は、強烈な風に耐える仙人の図である。画面左手の風上には、太く描かれた渦巻きがあり、龍を象徴している。時代を超えた大胆で斬新な構図である。曽我蕭白は、私がとくに好きな画家のひとりである。 

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ボストン美術館展 神戸市立博物館 (3)

日本美術・上
Photo 日本美術も、岡倉天心の師でありパートナーでもあったアーネスト・フランシスコ・フェノロサが研究し蒐集したもの、ウィリアム・スタージス・ビゲローのコレクション、など多数がある。「錆絵観瀑図角皿」(宝永7、1710)は、小さな正方形の白っぽい陶器製の皿だが、漢詩を尾形乾山が、滝見する日本の高人を兄の尾形光琳が描き、尾形乾山が焼き上げたという極めて贅沢な工芸品である。
Photo_2 英一蝶(はなぶさ いっちょう)の「月次風俗図屏風」(18世紀前半)がある。「月次」とは、ここでは月々の子供の遊びを言い、江戸下町のほのぼのとした風俗画になっている。江戸時代の庶民文化の繁栄が描かれている。英一蝶「涅槃図」(正徳3、1713)は、2.9×1.7メートルの大きな色彩絵である。釈迦の入滅を囲んで嘆き悲しむ多くの人々や動物を丹念に描く。人物として家族や子供が多いのが特徴であり、お釈迦さまが広範囲に慕われていたことを表している。
 姫路藩の藩主の弟であった酒井抱一の「花魁図」(18世紀)がある。琳派の達人らしく、みごとに引き締まった美しい絵である。

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ボストン美術館展 神戸市立博物館 (2)

中国美術

 12世紀初めころ、北宋は王安石・司馬光の対立にはじまる「新法・旧法の争い」で政治が混乱していた。1100年、父哲宗の崩御を受けて弟の趙佶が即位して徽宗となった。徽宗即位の直後は、皇太后向氏が新法派・旧法派双方から人材を登用して両派の融和を試みたがまもなく向氏が死去し、徽宗の親政が始まった。徽宗は新法派の蔡京を重用して宰相とした。徽宗・蔡京共に北宋時代を代表する芸術家であり、芸術的才能という共通項を持った徽宗は蔡京を深く信任し、徽宗朝を通じてほぼ権力を維持し続けた。政治的には混乱を収拾することはできず、やがて女真の台頭を許して1126年には首都開封が陥落し、北宋は滅亡する。このような北宋の最末期に、芸術的には花開いたのが皇帝徽宗であった。

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 「五色鸚鵡図鑑」(1110年ころ)が展示されている。保存状態もよく、美しい大型の絵画である。ここで蔡京が文章を書き、皇帝徽宗が絵を描いている。
 時代がくだり南宋の時代となってからの作品に、陳容「九龍図鑑」(1244)がある。陳容は、南宋末の画家で長楽 (福建省) の人で、太守をつとめた進士で、水墨画を得意とし、龍画の名手として高名であった。また詩文にも長じていたという。この作品は、約10mに及ぶ長大な紙に描かれた九匹の龍である。墨の黒が主だが、ごく一部に朱を使い、それが生きている。沸き立つ雲と荒れ狂う波のなか、あるいは悠然と飛翔し、あるいは佇むさまが、奔放な筆墨で描き出されている。自然に対して超越して生きぬく孤高で勇壮な龍というイメージであり、かつて清朝の乾隆帝も旧蔵したと伝える龍図の名品である。
 岡倉天心は、明治35年(1902)来日したアメリカの外科医ウィリアム・スタージス・ビゲローと出会い、その縁で明治37年(1904)、ボストン美術館の中国・日本美術部に顧問として迎えられた。やがて岡倉天心の発案で「中国日本特別基金」がエドワード・ジャクソン・ホームズ家の寄付を得て設立され、中国の美術作品が積極的に収集された。
 

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ボストン美術館展 神戸市立博物館 (1)

 昨年の晩秋から会期がはじまり、なんだかんだで出かけ損ねて、ようやく会期も終盤になってようやく鑑賞できた。
 ボストン美術館は、所蔵品点数50万点を超える全米でも有数の美術館だが、設立が1870年すなわち明治3年であり、偶然わが国の近代化とほとんど歩みを同じくしてきた経緯がある。そんなこともあって、フランス印象派やエジプト古代美術もさることながら、日本の仏画、絵巻物、浮世絵、刀剣などを多数所蔵している点に特徴がある。


古代エジプト美術
 冒頭は、古代エジプト美術のコーナーである。「高官クウエンラーの書記像」(ギザ、BC2490ころ)は、書記を勤める王子の座像である。当時のエジプトでは、書記は地位の高い職種であり、王子が若いころに歴任すべき職務であったらしい。若々しく凛々しい王子が、石灰岩の彫像で表現されている。
 トラバーチンというエジプト産アラバスターつまり方解石らしいが、白く半透明の美しいガラスのような石材がある。それを用いた「メンカウラー王頭部」(ギザ、BC2490ころ)と題された像がある。
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 そして「ツタンカーメン王頭部」(BC1330ころ)がある。砂岩の彫像で、これは金箔の装飾はないが、やはり細面の美男子の像となっている。すでに少年時代に即位したが、先代の父の政策を大きくあらため、ヌビアの反乱を鎮めヒッタイトとの戦いに勝利するなど、立派な業績を残したと伝えられている。しかし20歳にも届かず若くして死に、彼の後の王家の血をひかない大臣や将軍たちに引き継がれるようになったらしい。肖像作品の数が多いのも、後世から人気があったのだろう。
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 おもしろい展示品としてやはりトラバーチン製の「縛られたオリックス形の壺」(ヌビア、BC7世紀)がある。これはヌビアつまりナイル川の上流、現在のスーダン北東部に紀元前7世紀ころあったナパタ朝の貴族用御物である。オリックスはアフリカの一部に生息するウシの一種だが、脚を縄で拘束された像となっている。拘束は、ここでは支配を象徴しており、貴族女性の化粧品用の容器として用いられたのだろうという。
 古代エジプトの美術品は、これまでにも見たことはあったが、今回の展示品はどれも保存状態も良好なきれいなものが選ばれていたように思う。

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映画『海賊と呼ばれた男』

  2016年末に公開された映画で、映画『永遠のゼロ』を制作したグループが再結集してつくった作品だという。
  戦前、小舟に乗って漁船用の軽油を海上で売りまくった田岡鐵造は、さきの大戦敗戦後、日本中の大部分が下を向いて絶望しているなか、日本の復興のためにきっと石油が重要になる、それを販売することに命をかける、と宣言する。とはいえ、売るための石油そのものがなく、止むを得ずGHQの要請に応えてラジオの修理などを手がけて会社の存続を図る。GHQから指令が出て、陸軍が秘匿していた石油を掘り出して販売することを認められたが、その石油はすっかり変質したとても質のわるい代物だった。それでも苦労して商品化し、ようやく石油の事業を再開することができた。
  しかしアメリカ資本は日本の石油単独事業を認可せず、アメリカ資本の傘下での石油業でないと認めない、石油を供給しない、という。田岡は自前のタンカーを購入し、苦労の末に独自の石油輸入ルートとして、イランからの原油購入の道筋をつける。
  戦前の起業からはじまる日本の民族系石油会社の伝記で、出光石油の出光佐三をモデルにした実話をベースにした百田尚樹の小説の映画化である。
  主役は岡田准一で、とうとう離婚した妻に綾瀬はるか、他にも近藤雅臣、吉岡秀隆、染谷将太、鈴木亮平、ピエール瀧、堤真一、國村隼、小林薫など、豪華俳優陣が脇を固める。
  会社の人間関係・同志愛、政府・業界やアメリカとの葛藤、家族愛など、要素は多い。つまりは成功物語だが、妻との離婚など苦悩もあらわされたドラマになっていて、やはり感動する。

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高崎通浩『民族対立の世界地図―アジア/中東篇』中公新書ラクレ

 2002年3月発行の本である。10年以上前にテロ事件が頻発していたころ、少し興味をもって買ったものだと思う。しかしいろいろ取り紛れたのだろう、購入したことも忘れてしまって、こうして歳末の整理の最中に「発見」したのであった。
 中央ユーラシア、インド亜大陸、東南アジア、中国、クルド民族、パレスチナ、などの「民族問題」について概説的に述べている。ここで「民族」をグループ分けするとき、その根拠は従来から一般的にある言語・文化だけでなく、宗教、重要視する習慣・習俗、社会的階層なども含まれる。
とくに、アフガンのパシュトゥーン人の歴史と動き、中国のあまり報道されない少数民族の深刻な問題、いまや世界最大の国を持たない浮遊民族集団となってしまったクルド人問題、そして最近も新たな騒動が生じたイスラエル・パレスチナ問題、など簡潔ではあるが要領よく解説されている。
 国家間の「戦争」が甚大な災禍をもたらすことは誰でもわかっているが、実は「内戦」、「小規模紛争」、さらに「テロリズム」など、すなわちLow intensity warと呼ばれる戦いのほうが実は被害は大きい。戦争あるいは紛争の「責任者」がよくわからない場合が多く、容易に停止できなくなるのである。その原因の多くを占めるのが、この本であつかう民族問題である。
 民族問題の本質や真因は、簡単にわかるものではないが、必ず歴史的背景が深く関与している。そして、当事者にとっては限られた時間、限られた資源、さらに限られた能力で判断を迫られ、行動せざるを得ない。そのうえ関与してくる第三者が、常に善良で無私で妥当な振る舞いをしてくれるわけではない。典型的には、国連という存在がいかに現実に役に立たないものであるか、あてにできないものであるか、この本が述べる事例でもよくわかる。もちろん、だからと言って国連をなくす方がよいとまでは言えないが。
 個々の民族問題に対する評価としては、私はこの著者にすべて首肯するものではなく、賛同できない論点も少なからずある。しかし、傾聴に値することは多い。
 民族問題のような複雑な問題は、メディアに登場する「識者」が弁舌さわやかに話すほどには簡単ではない。そういうことが、この本からも伝わってくる。この本が書かれてから15年以上が経過して、この後ISなどの新しい問題も発生したけれど、述べられていることは現在も生きている。
 私たち自身も、こういった思わず目をそむけたくなる、逃げたり避けたくなるような事態に遭遇する可能性はある。呑気で無責任で浅薄なメディアの報道から、少しでも実のある情報を引きだすための基礎的な知識、すくなくともその素材を与えてくれることで、このような本は意味があるだろう。

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映画『この世界の片隅に』

  好評のアニメーション作品である。NHK朝ドラで一躍注目を浴びた若手女優の「のん」が主役の声優をつとめたことでも話題になった。
  広島で生れたすずは、絵を描くことが好きな他は、ぼんやりのんびりした少女であった。子供のときある橋のうえで人さらいにさらわれるが、そのとき一緒にさらわれたのが後に夫になる少年であったらしい。
  戦争が近づいたある日、すずは軍港があった呉に嫁いでいく。すずが知らない間に、すずを見初めた男がいて、そこへ嫁ぐのであった。呉での新婚生活がはじまるが、出戻りの義姉がいたりして、苦労も多い毎日であった。それでも気に病まない性格にも救われ、夫の家族に溶けこんで行く。そんなごく平凡で穏やかな生活を、徐々に戦争がむしばんでいく。
  私も戦後生まれであり、このすずの時代の生活の実態は知らない。しかし描かれた当時の人びとの日常生活は、とても丁寧に普通の平凡な生活を描いているようで、自然で説得力がある。登場人物は、ひとりも傑出したり、悪者だったり、とりたててなにかの運動をしたりする人はいない。いずれもごくありふれた普通の生活を地味に生きる人たちばかりである。それが、描かれた世界の現実感と説得性をもたらしている。
  とりたてて反戦を訴えるわけではないが、作品全体から戦争の悲しさや理不尽さが伝わってくる。のんの天然さを現すような声も、この映画にぴったりである。静かで淡々とした物語であり、しんみり観るものを引きこむ作品である。

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映画『インフェルノ』

  すでに好評を博した『ダ・ヴィンチ・コード』および『天使と悪魔』の続編であるという。ただ、残念ながら私はそれらを観ていない。
  バートランド・ゾブリストという大富豪でもある遺伝学者が、世界を滅亡させ得る非常に強力な感染型ウィルスを用いて、世界の人口を半分に減らそうという計画をたてた。「過激な方策を以ってしない限り地球の人口爆発に歯止めをかける事はできない」と信じ込んで、彼なりに人類の未来のために決断した、というのである。この企みを実行しようとするグループと、それをなんとか阻止しようとするグループとが、イタリアのフィレンツェとトルコのイスタンブールを舞台に壮絶な戦いを演じる。そしてゾブリストの計画の秘密は、ボッティチェリの絵画「地獄の見取り図(Map of Hell)」に隠されている。
  主人公はハーバード大学で宗教象徴学を専門とする教授ロバート・ラングドンである。彼は、フィレンツェの病院の一室で目を覚ます。彼は傷を負い、世界が灼熱地獄になる悪夢にうなされていた。担当医のシエナ・ブルックスは、彼が頭部に銃撃を受けた負傷が原因で記憶喪失に陥っているのだと告げる。ここへ女殺し屋ヴァエンサが現れ、ロバートはシェナとともに逃走し、事件解明の長い旅がはじまる。
  誰が敵で誰が味方か、ストーリーの展開とともにどんでん返しが繰り返され、登場人物も多く、非常に複雑でこんがらがったストーリーが展開する。
  息をつくひまもないスピード感溢れるサスペンスで、2時間ほどの鑑賞時間が短く感じられる。ストーリーは、さすがに現実離れの感が免れないが、退屈しない、おもしろい内容である。
  主演のトム・ハンクスはもちろん、謎の女医シェナを演じるフェリシティ・ジョーンズも、とても魅力的である。

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宮本正興・松田素二 編『新書アフリカ史』 講談社新書

 かなり以前に東京水道橋の書店街を散策したとき、なにげなく買っておいた本であったが、ふと細切れ空き時間の退屈凌ぎを兼ねて読み始めた。しかし、読み始めるとなかなか興味深い書であった。
 15世紀にはじまり18世紀から本格化した植民地時代より以前のアフリカについては、アフリカ大陸内に自らの書き言葉を持つ原住民が存在しなかつたために、残されたモノに頼って歴史をたどる考古学的方法と、アフリカ以外の史料に頼る方法の2つしか歴史をたどる手段がない。独自文化・独自文明の存在を引き続き解明していくことは、アフリカにとって重要である。かなり古くからアフリカ大陸内に、独自のそれなりに高度な文化・文明が存在したことはたしかなようである。また、はやくからアフリカの人々が、中東・南アジアの人々と独自の外交・通商を営んでいたことも、さらに解明が進められるであろう。ただ、これまでの研究の範囲からも、アフリカ大陸がその地理的条件のために、地域的に細かく分断され、言語も細分化されてその数が非常に多く、ユーラシア大陸よりはるかに多様性が存在した、むしろ多様性に富みすぎてまとまりを欠いたことが、現在に続くマイナスの所与条件となったようである。
 文字による記録、すなわち史料が少ないという意味では、南アジアのインドが似ているのかも知れない。インドも、言語の数が数百にのぼるほどに多すぎることが文字の記録の困難さにつながっているのではないだろうか。インドのように高度の文化・文明を古くより広く認知され、人口も経済力も大きく、他国への影響も大きかった国でさえ、文字に残る古い史料がほとんどないため、歴史的研究がきわめて困難であるようだ。
 アフリカの植民地時代以降はすでにわれわれもある程度情報を取り入れることができたが、この書が主張するように、これまでの情報は西欧先進国的価値観にきわめて偏った情報であったろう。読んでいると、とくにイギリスの巧みで狡猾な効率の良い統治方法に驚く。現地の伝統的統治システムをイギリスの植民地支配に支障のない範囲のみ切り出して、その頭領のみを確実・徹底的に掌握・制御するという方法は、かつての日本が台湾・朝鮮に対して試みた国民的同化政策と比較すると、抜きんでて冷徹・冷酷・過酷でありながら、被統治者から日本ほどには憎まれることもなかったようである。アフリカ大陸は大部分が植民地化されてしまい大変な被害を被ったが、そのこと自体がよくも悪しくも歴史的事実である。
 さきの大戦後を主とするアフリカ諸国の独立後の歴史は、きわめて厳しいものであった。しかしこの書にも述べられているように、植民地化した西欧諸国のみに原因と責任を押し付けても未来が開けるわけではない。「自己責任」を外部から主張することはいささか慎重を要するが、アフリカ諸国内部の当事者自身の認識としては、「自己責任」をしっかり自覚・意識して、自律的な意志・思考・計画・評価を貫徹して、他国からの支援を得るにしても自らの選択と決断で前進する以外に状況を改善する道はないだろう。
 また、ここでも「民主主義」の実現の難しさがよくわかる。議会をつくり、議員を選挙して、王権や首長権のような独裁的権力を廃止したとしても、それだけではまともな「民主主義」とはならない。選挙に立候補する側も、選挙を通じて為政者を選出する側も、真摯に学んで身につけなければならないことがあり、そこまで達するのは容易ではない。
 私にとっては、この書はこれまでほとんど知らなかった事実・史実を教える貴重なものであった。ただ読者の希望としては、日ごろなじみのない用語・人名・地名が多出することもあり、もっと多くのわかりやすい地図と、詳細な索引を添えて欲しかった。

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映画『素晴らしきかな、人生』

  2016年の作品で、ウィル・スミス主演作品である。
  ニューヨークの広告代理店を共同創業者でもある友人3人とともに経営し、大成功を納めていたハワードは、最愛の6歳の娘を難病で失ってからは、仕事にも人生にも意欲を喪失し、会社経営も危機を招いていた。ハワードは、親友である共同経営者3人の話にも、耳を貸さなくなっていた。そんな事態に危機感をもった共同経営者の3人は、偶然見つけた無名俳優3人を雇って、愛・死・時間の3つの「神」を演じてもらい、ハワードに働きかけようとした。その結果、共同経営者の目的とおり会社の株を有力出資者に売却することは達成したが、ハワードにも、共同創業者3人にも新たな転機が訪れた。
  仕事に人に真摯であるとは、誠実であるとは、家族とは、家族やパートナーへの、あるいは子供への愛とは、そして人生とは、そんな問いについての物語である。
  主人公ハワードを演じるウィル・スミス、共同創業者の友人を演じるエドワード・ノートン、ケイト・ウィンスレット、マイケル・ペーニヤの自然な演技がとても良い。ケイト・ウィンスレットは、タイタニックのときの若さ溢れる美貌を過ぎて、すっかり円熟した落ち着いた女優になっていた。ハワードの妻を演じるナオミ・ハリスは、成熟した知的な美貌を発揮している。愛・死の「神」を劇中で演じるキーラ・ナイトレイと老女優ヘレン・ミレンもとても良い味である。1時間半程度の比較的短い映画だが、十分満足できる、見応えある作品であった。

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歳末の墓参

 歳末の快晴の午前に、明石に墓参した。若いころはなにかとせわしなくて、先祖供養にもあまり関心なく、年に1回ほど父母にともなわれて墓参すればよいほうという感じであった。26年前に父が亡くなり、そのときの遺言に、江戸時代からの多数の墓石を整理してひとつにまとめなさい、古くなった仏壇を更新しなさい、とあったけれど、仏壇の更新はなかなか実施する機会がなく、私が離職して母が養護施設に入居したあと、ようやく仏壇を入れ替えた。すると毎朝、自然に仏壇に向かって拝礼をするようになり、さらに2回のお彼岸、夏のお盆、そして歳末と、毎年4回の墓参が定例となった。父の遺言も、思った以上に私の意識を変えたようである。
 墓参のために毎年違う季節に同じところを訪れると、季節の推移とともに明石の町の様子の微妙な変化を特段意識するでもなく観察するようになる。瀬戸内気候のためか、冬も温暖で夏は風が涼しく、とても快適そうな町である。さすがにここ四半世紀ほどの間には随分変わったけれど、長らく古い町並みが残って暖かなノスタルジーに浸ることができるところであった。実際には住んだ経験もないのに、私にとってなんとなく故郷の風情を感じることができる場所なのである。
 しかし今年の夏、菩提寺のすぐ近くにあった古い市場が火災となり、長時間燃え続けて全焼するという事件があった。このたびその現場を訪れたが、工事用のような粗末なフェンスに囲まれた焼け跡は、まだほとんど手付かずの荒廃した悲惨な様子であった。こうしてまた、見覚えのあった景観がひとつなくなった。
 墓の両親に近況を報告して、そのあと近くの別のお寺の墓地に数年前に亡くなった従兄の墓にお参りして、いつものように海岸を散策して、昼食に菊水の寿司を食した。

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